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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●「白梅に 青空と雲 絵になりし 巫女の袴の 朱あればなお」
になれ 枝になるなと 言われしが しがなき草に なりて踏まれり」、「ひつまぶし うなぎ眩しき 唸り節 貧しきはまず 見て暇つぶし」、「コロ柿の 食べごろ待ちて 寝転びて 古老喜び 笑みのほころび」、「コロナ禍で 転ぶ店あり 苔蒸さず 戯言意思を 祝おう隣」



●「白梅に 青空と雲 絵になりし 巫女の袴の 朱あればなお」_d0053294_00283088.jpg
ツイッターのプロフィール欄を少し変え、短歌を載せた。その「コロ」で始まる2首を今日の冒頭に転載する。語呂合わせや地口をよく使うのは英詩の押韻を意識してのことで、超現実ならぬ笑現実が時に現われることを楽しんでいる。先日取り上げたゴスペル曲「Trouble Of The World」の歌詞ではDawnとDoneの押韻が特徴的で、Dawnを含む行を思いついた後、Doneを連想し、その言葉を含む行を考えたと想像する。つまり語呂合わせが基本にあって、それを活かしながら全体の詩に膨らみを持たせたであろう。そのことで当初の思惑以上の効果が出たと考えてよい。これは最初に主張したいことをそのまま詩にするのではなく、語尾に似た言葉を選んでいわば無理にこじつけることで当初の思いが拡張することで、形式の中で遊ぶことが芸術の基本となることを再確認させる。ところがそれが独善的になり、過激化するとロジェ・カイヨワの言う「文学の思い上がり」になる。伝えたい意味を明確にしつつなお音韻が滑らかで唱えやすい詩が望ましいが、それには多くの言葉を扱えねばならず、小中学生では無理だ。絵の場合は象は豚が描いた出鱈目の抽象画でも人間は面白いと思う場合があって、そこから児童画が賛美される理由もわかる。字も同じで、習字の枠からはみ出したものを前衛的と讃える人もいるだろう。となれば言葉も文章として意味を成さない組み合わせを作り、それを前衛詩と主張する方法があるはずで、実際そのような詩人はダダイズムにあった。繰り返すとその流れをカイヨワは否定するのだが、言葉の組み合わせが意味の伝達のみに意義があるとすれば、一度その意味をわかってしまうと役目を終える。音楽や美術は何度も鑑賞し、そのことで別の思いが生じることに価値がある。言葉の連なりは意味の把握のみに役割があるとは限らず、詩は音楽や美術と同じく、人により感じるものが異なり、また同じ人でも年月が経てば別の味わいを得る。小説や随筆もそうと言ってよい。ところが途中で読むのが嫌になる文章は少なくない。そこに文章のアマチュアとプロの差があると言いたいところだが、プロの文章でも筆者は関心のないことは多い。またそれには絶対に読みたくない場合と時間があれば読んでみたい場合があるが、後者に関しては半世紀以上気になりながらその機会がなく、たまに思い出しては焦る。人生が限られた時間であることを知りながら、その実感がまだ湧かないからだ。これは誰しもではないだろうか。ネットで読んだ文章に、高齢の母が文学全集を全部読んでから死んだというのがあった。理想的な死に方だ。
●「白梅に 青空と雲 絵になりし 巫女の袴の 朱あればなお」_d0053294_00284740.jpg 昨日の写真のうち、ゴッホの「ひまわり」を横目で見つめる女子を描いた版画を筆者が選んだのは、最近ゴッホのことを深く考える準備をしているからだ。筆者がゴッホの名前を知ったのは小学3,4年生であった。図画工作の時間に同じクラスの男子が水彩絵具を盛り上げて描き、ゴッホの名前を連発していた。ゴッホの複製画が教科書に載っていたかどうか記憶が定かでないが、わが家には画集はもちろんなく、また母は絵画に無関心で、その級友がゴッホの名前を出したことに彼の家庭を想像し、少し羨ましかった。つまり家にはゴッホの画集かそれに類するものがあり、両親や兄弟はゴッホの名前を口にしたであろうからだ。そこで昨日の「ひまわり」は版画を作った女子が60年ほど前の筆者の級友に重なるが、昔と違ってゴッホの絵は何百倍もの量で拡散され、家に画集がない人でもゴッホの絵を知らずに見ている。それで女子がゴッホの絵を選んだのは、ゴッホの名声が相変わらず絶大で、義務教育の場でも巨匠として教えられているからだろう。巨匠と目される画家や音楽家は誰が決めるのかと言えば専門家で、その専門家は一般人の評判を汲み取って評価すると言ってよい部分がある。鶏と卵の関係にあってどちらが先とは言い切れないが、フェルメールのように忘れ去られた画家を発掘するのは専門家だ。また日本では西洋絵画は西洋の専門家の受け売りをほとんどして来ているが、それはかなり限定的であって、洋書に頼らない限りはおおまかな全貌はわからない。また正しき全貌というものもなく、あったとしても結局は好悪の問題から個人の受容は限定的になる。前述の女子の「ひまわり」は版画であるので左右反転しているが、個人蔵の作を忠実に模写している。その図版を彼女がどこで入手したのか興味が湧く。ゴッホが描いた壺入りのひまわりのうち、最も簡素な作を模写しているところに、手抜きとはいえ、版画の力強い効果を狙っていて好ましい。彼女が賢いと書いたのはそういうところからでもある。「ひまわり」ではなくフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を描けば版画の印象ががらりと変わったが、やはりゴッホの絵というのが中学生らしくていい。さて今日の写真は先月末に三条通り沿いのスーパーから北上し、車折神社を突き抜ける際に撮った。白梅が咲いていて気持ちがよかった。わが家の白梅も咲いているが今のところ花数は少ない。「ひまわり」の版画女子は、嵯峨に冨田渓仙が暮し、車折神社に枝垂れ桜を植えたことを知っているだろうか。大人になってそれを知り、さらに渓仙の絵を見て感動するだろうか。中学校の美術の先生も渓仙は知らない可能性が大きい。有名画家はごくわずかでよく、その頂上の下に知る人ぞ知る画家の群れが広がっている。その中からごくたまに上へ押し上げられる画家がある。専門家が主張するからで、過去の作品は発掘を待っている。
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by uuuzen | 2022-02-04 23:59 | ●新・嵐山だより
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