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●「TROUBLE OF THE WORLD」
顔 子どもに泣かれ 苦笑い 目元の怖さ 隠しようなし」、「ゴスペルを しみじみ聴きつ 母想う 吾産むことを 知らぬ子どもの」、「強がりて 作り笑いの 写真のみ SNSに 載せるさびしさ」、「ひとりでも 味方を持てば 無敵の世 信を秘めれば 真のみ見える」



●「TROUBLE OF THE WORLD」_d0053294_01014658.jpg
今日は先日TVで見た1959年公開の映画『悲しみは空の彼方に』の最後にマヘリア・ジャクソンが歌った曲を取り上げる。彼女のベスト・アルバムにこの曲が収録され、そのブックレットには「トラディショナル」とあるので、マヘリア以前に別の歌手が録音したかもしれない。筆者の所有するベスト・アルバムでは1956年3月の録音が収められる。同映画の感想は後日書くつもりでいるが、本曲は主人公のひとりである黒人女性の葬式の場面で歌われる。映画を一度だけ見たので曲の長さはわからないが、長く感じた。たぶんCDと同じ4分半ほどが歌われたのではないだろうか。それほど同映画では本曲が重要で、また監督は歌うマヘリアを出演させたかったと見てよい。そのことについては同映画の感想を書く時に改めるとして、今日はマヘリアと本曲について。日本でゴスペルがよく聴かれるようになったのはいつ頃のことだろう。ブルース以上には人気がないのは、歌詞がキリスト教に因む点だろう。その点ブルースは世俗的な歌詞で、極端に分ければゴスペルとブルースは聖と俗の関係にある。今では日本でもゴスペル・グループがあってTVで紹介されるが、ゴスペルの魅力が日本で知られるようになったのはマヘリアのレコードが日本で発売されるようになってからとして、それがいつの頃か筆者にはわからない。筆者は60年代半ばからラジオで盛んに洋楽のヒット・パレード番組を聴いたが、彼女のシングル曲がヒットした記憶はない。そういう曲を歌っていなかったからと言える。以前このカテゴリーでアレサ・フランクリンの大ヒット曲「小さな願い」を取り上げた。それを初めて聴いたのはラジオの洋楽番組でビートルズの全盛時代のことだ。それから30年ほど経って確か大阪市立図書館で借りたCDで彼女が10代半ばでに教会で歌ったゴスペルを聴いて度肝を抜かれ、またその時の歌唱力と「小さな願い」のポップ性との間の落差に戸惑った。ゴスペルは黒人社会の音楽で、よほど歌唱力のある歌手でも金にはあまりならない。名声を広めるにはヒット・レコードを作るしかなく、アレサにとってそれは「小さな願い」であった。ただし同曲は「prayer」という単語が題名にあり、祈りという点でゴスペルの歌詞に通じている。アレサはマヘリアより31歳若い1942年生まれで、アレサの母親がマヘリアと同世代だろう。マヘリアはアフリカから連れて来られた奴隷の孫で、アレサは曾孫世代になる。一方マヘリアはブルース歌手のベッシー・スミスの影響を深く受けたとされるが、ベッシーは1894年生まれでマヘリアより17歳年長だ。
 ゴスペルとブルースの差は前述のように歌詞や歌われる場所が教会と市井とに大別出来るとして、ヨーロッパの白人社会の教会音楽から出発した前者は、もとより黒人の人々の悲哀や愛を歌う後者とはいささか違うが、現在ゴスペルの言葉から思い浮かぶ音楽性はヨーロッパの教会音楽とは無縁と言ってよい独自性がある。その根本を創造したのは黒人の教会音楽作曲家やそれを歌う歌手たちで、その中からマヘリアが生まれて来た。当初マヘリアの歌い方は黒人の教会から否定され、退去を命じられたとCDのブックレットにある。それは西欧の讃美歌を楽譜どおりにではなく、即興を交えながらテンポを自在に変え、またソロ歌手がコーラスとの掛け合いを繰り広げたからで、そこに音楽的恍惚感が生まれ、それを牧師は否定したかったのだ。もちろんそういうゴスペルは歌詞によって神に讃辞を送るので、歌い手も聴き手も音楽に陶酔することで、神の存在感をより身近に感じられると言ってよく、実際マヘリア以降の黒人の教会ではマヘリアの歌唱法をもっと過激にしたものが主力になっているであろうことは、YouTubeのたとえばこれも以前紹介した「Praⅰse Is What I Do」からわかる。同曲は黒人の教会だけではなく、白人の団体も歌っているが、どの歌手にも共通するのはソロ歌手の圧倒的な声量とバックのコーラスと楽団を即興的に自在に操る一種の演技性だ。演技という言葉はふさわしくないかもしれないが、周囲が全員そのソロ歌手の歌い方に引率され、その一体感の中で演奏者全員、そして、聴き手もトランス状態に導かれる。そこに危うさを筆者は感じもするが、ゴスペル以外にそういう一体感をもたらす音楽はないと言ってよい。同じことをベートーヴェンは第9交響曲で試みたが、同曲の聴き手は演奏者や歌手と同じほどに興奮して一体感を味わうかとなると、白ける人は皆無とは思うものの、一歩引いてその芸術性を云々する立場に陥りやすい。ゴスペルはどの曲もそうではないとは言わないが、「Praⅰse Is……」はビートルズの「ヘイ・ジュード」と同じく後半の長大な繰り返しが聴き手の魂を次第に高揚させて行く効果を狙っている。そして同曲のソロを歌う黒人女性歌手はマヘリア以上にマヘリアが培ったことを巧みに歌い上げられる能力を持っている。それは初期のブルース・ギタリストの奏法がその後曲芸的に発展したことからも当然だろう。ただし初期の素朴な味わいと現在の極端に技巧的になった演奏のどちらが芸術性に富むかは好みの問題だ。また初期があって現在があるので、開拓者は永遠に讃辞を受けるべきと言える。それでマヘリアはベッシー・スミスがブルースの皇后であることに対し、ゴスペルの皇后とされるが、ベッシーがいてマヘリアが生まれたとは一概には言えず、生まれや育ちが両者の活躍する音楽の方向を定めた。
 ベッシーは戦前に死んでいるが、その音楽が当時日本に紹介されたのだろうか。日本のブルースと言えばまず淡谷のり子を思い出すが、彼女が戦前にヒットさせた「別れのブルース」はベッシーが歌うような黒人色はなく、ブルース・コードを使わずにその雰囲気を模倣したものだ。日本で本格的な、そして全国的に知られるブルース歌手はその後育っていないのではないか。戦後進駐軍がやって来て、たとえば江利チエミがアメリカの曲をカヴァーして大ヒットさせるのは50年代で、江利の歌はベッシーを思わせるところがあるものの、もっと明るい。それは戦後の明るい空気を反映するためで、ブルース本来の翳りは70年代のフォーク・ブームの陰に日本のミュージシャンに成果を見た気がする。そしてゴスペルは日本では誰が最も関心を寄せ、牽引したかとなると、マヘリア、あるいはベッシーの腹から絞り出すような歌唱力は和田アキ子よりも都はるみに実りがあったと言ってよい。和田アキ子が日本のリズム・アンド・ブルースやソウルの代表的な歌手であるとして、彼女がマヘリアのゴスペルのように歌えるかとなると、早々とTVタレントとなって生活の資を稼いだと言ってよく、やはり日本ではマヘリアのような歌唱力は望めない。それはそれであって悪いことでもない。ただマヘリアのようなゴスペルがアメリカで生まれ、それが現在に引き継がれ、発展して来ていることを知ると、日本での黒人音楽受容と変容はまだ皮相的にも至っていないことを思う。それはキリスト教国家ではないことと、黒人の受けた人種差別とそれを克服して来た5,60年代の怒涛の歴史がないからで、いわば形も心も引き継ぐべき状態にない。となればベッシーのブルースならまだしも、マヘリアの歌の魅力を正しく伝えることは難しい。WIKIPEDIAやCDのブックレットを読むと、彼女の経済的な苦労がいろいろわかるが、ニューオリンズ生まれの彼女は同港町でさまざまな人種の文化に接したことが後の彼女の歌の糧になったことを書く。そのことが具体的にどの曲にどのように表われているのか筆者にはわからないが、彼女が国際的に有名になる素地として、ニューオリンズで生まれ育ったことは大きかったことは何となくわかる。母に早く死なれ、16,7歳でシカゴに移住し、そこですぐにトーマス・ドーシィという黒人の教会音楽の作曲家に目をつけられ、一緒に演奏しようとの誘いを受けるが、それを断り、教会でジョンソン・シンガーズと数年組んだ後はソロで歌い続けた。当然収入は乏しく、家政婦やベイビー・シッターとして働き、その合間の歌手活動であった。夫は定収のない化学者で、夫の勧めでソープ・オペラの歌手になろうとしたが、マヘリアにその才能はなかった。またこれも夫のアイデアか、石鹸や化粧品を手作りして地道に売り歩いたこともあった。
 やがて美容士の資格を取得して店を持ち、その待合室がマヘリアの歌を聴く人のたまり場になった。店の向い側に教会があり、そこにトーマス・ドーシィがいたことで彼のかつての申し出を9年後の1937年に受諾し、その後14年ともに演奏してマヘリアはゴスペルの皇后としての地位を築いた。最初の録音は37年で、4枚のシングル盤を出したが、ヒットせず、レコード会社はブルースを歌わないかと提案したがそれを拒み、翌年ジョンソン・シンガーズは解散した。世界的な名声を獲得することになったのは47年の曲で、ゴスペル史上初の大ヒットを記録した。筆者の所有するCDで最も古い録音曲は1954年だが、どれも歌い慣れた曲であったのだろう。「マヘリア編曲」とのクレジットが目立つのは、独特の間を取る歌い方など、半ば即興を交えての録音であるからだろう。ブルースと同じくメロディも歌詞も繰り返しが多く、畳みかける歌い方ではこぶしや即興が入りやすい。またバックのコーラスやオルガン、ピアノとの絡みに聴きどころがあり、その一体感に体全体でいつの間にか引き込まれるところにマヘリアのゴスペルの味わいがある。それはブルースやリズム・アンド・ブルースと接するもので、黒人音楽は厳密には区別出来ないと言ってよい。ましてや前述のようにマヘリアは「ガンボ・スープ」のごときニューオリンズ生まれで、言葉もそうだが、体を、そして心を揺すって楽しむという音楽固有の能力に最大限に負うところを目指したものと言ってよく、人種を超えて響く真実味がある。またそれは葬式で歌われるものであれば、悲しみにしみじみに浸りながら生きる活力を掻き立てようとするもので、ブルースとはいささか違う前向きの音楽と言ってよい。「TROUBLE OF THE WORLD」はザッパの「TROUBLE EVERY DAY」を思わせる題名だが、ザッパはマヘリアの本曲を意識したかもしれない。ただしザッパはよりベッシー・スミスの曲に関心があったろう。そのことは「イリノイの浣腸強盗」の最初、ザッパの語りの背後に演奏される「BLUE SPIRIT BLUES」の特徴的な伴奏からも言えると思うが、ではザッパが教会音楽をどう意識していたかは「STRICTLY GENTEEL」にひとつの答えがあって、それはマヘリアのゴスペルとは違ってヨーロッパの教会音楽を範にしている。脱線ついでに書くと、マヘリアのある曲に「レット・イット・ビー」のとあるフレーズとそっくりな箇所がある。節回しが酷似し、ポール・マッカトニーはおそらく同曲を知っていたであろう。またこれは言うまでもないが、ジョン・レノンの『ジョンの魂』収録の「神」はピアノ伴奏を含めてゴスペルそのもので、ジョンもビートルズ時代にマヘリアの曲を聴いていたことは間違いない。とはいえ歌詞には批判的であったはずで、神一色のゴスペルは当時の白人のロックは拒否したであろう。
 ゴスペルはマヘリアに限ることはないが、アメリカのゴスペル歌手の歌唱法の基礎を築いたのはマヘリアだ。その意味で間接的にしろ、ビートルズはマヘリアにつながっている。またそれを言えば60年代のロックや同時代のソウルなど、ヒット・パレードを飾った曲は大なり小なりマヘリア抜きには考えられないと言える。ザッパが好んだドゥーワップもゴスペルのコーラスから出て来たもので、そのことはマヘリアの曲からもよくわかる。ところで、マヘリアとアレサ・フランクリンの31年の年の差はアメリカの黒人の歴史にとっては特に大きい。アメリカの人種差別は今なお根深いが、それでも黒人がリンチで殺される人種隔離政策があった時代からすれば、特に音楽の方面で黒人は常に時代をリードし、受け入れられて来ている。黒人文化が西洋のそれに取り入れられるようになって1世紀以上経つが、今はヒップホップのダンスが世界的な潮流になり、日本でも歌手は激しい踊りをこなし、曲芸的ダンスはオリンピックの競技になろうとしている。一方で相変らずアメリカでは差別があり、また世界中に人種差別は減るどころか、SNSを通じて増加している。そんな状況でマヘリアの歌を改めて聴くと黒人の誇りが伝わる。それはブルースに見られる諦念を踏まえたもので、人間の本質に関わって人生を考えさせる。「TROUBLE OF THE WORLD」が『悲しみは空の彼方に』の最後で歌われることは、世界はいつまで経ってもトラブル続きであると捉えるならば救いがない。問題から救われるのは死の安らぎしかない。その意味を込めてマヘリアが同曲を葬送の行進を見送りながら歌うが、その映画と同じ場面をマヘリアは何度も経験したに違いない。だが生前苦労した黒人が死によって安らぎを得ると言いたいかのような本曲であるにしても、歌詞は黒人に限らない。「世界は夜明けとともに問題を抱え、誰しも問題に見舞われるが、母への、そして神への愛とともに帰宅せよ」と歌い、後の「ラヴ・アンド・ピース」の原点とも言える歌詞だ。「神」の単語が出て来るのはゴスペルであるので当然として、ジョン・レノンは「神」を信じずにヨーコへの「愛」のみを信じると前述の曲「神」で歌った。その点では半ゴスペルと言っていいが、白人が歌うとなれば半分になるのは致し方がない。若き頃のマヘリアは劇場で歌わなかったが、その反俗の考えからすればレコードの大ヒットは本意ではなかったかもしれないが、名声による経済力の好転は社会的地位を向上させ、キング牧師やケネディ大統領とつながって黒人解放を促進する役割を果たした。還暦ほどで亡くなった彼女の人生は激動の20世紀前半から半ばに相当し、多くの黒人有名ミュージシャンに影響を与えた。「Praⅰse Is……」の後半の短調の繰り返しがもたらす陶酔性とは無縁の、もっとじっくりと聴き込ませる歌唱力がある。
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by uuuzen | 2022-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●「十日後も 少しも減らぬ 路... >> << ●「からたちの 棘が護る実 種...

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