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●「気が違う 夕焼け仰ぐ 大寒や 凍える空に 叫び呼応し」
入りの 蛤混じる 鍋料理 縁起のよさを 酒の肴に」、「玉と聞き パチンコ思う 人も知る フェルメールの 真珠描く絵」、「十年待ち 手に入れし本 繙けば 知りたきことの 滝に見舞われ」、「白糸の滝 多岐に流れて 多喜ありし 初の遠出の 修学旅行」



●「気が違う 夕焼け仰ぐ 大寒や 凍える空に 叫び呼応し」_d0053294_16064713.jpg
今日の2枚の写真は17日に撮った。2枚目は「風風の湯」の玄関前から正面の桜の林を眺めたものだ。わかりくいが、中央の桜の幹の少し上、夕焼け雲の上端に1日早い満月を収めた。嵐山の稜線を撮った最初の写真も左右対称的で、夕焼けがどす黒くて目を引いた。撮りながらムンクの「叫び」を思い出した。どちらの写真も没かと思いつつ、寒い間に投稿しておく。それで今日は寒い話になりそうだ。東大受験生を刺した17歳の高校生は1年前から犯行を計画していたという。江戸時代なら大人であるから、すぐに死罪になるだろう。監督不行き届きとして親も同罪になるかもしれない。筆者が子どもの頃は「気〇がいに刃物」の言葉があって、当時も刃物を振り回して利害のない他人に切りつける者がいたはずだ。今では「気〇がい」の言葉はネットで使えず、昔の映画や小説でもその言葉は伏せ字にするのでなければ公に出来ない。「気〇がい」は「気」が普通でない、つまり異常であることを指す。筆者は「crazy」と同様使ってもいいと思うが、今は精神病は本人のせいではなく、環境がそういう状態に陥らせているとの考えだ。それで精神病とされると殺人も罪は問えない。先の17歳の男子は今後精神の診断を受け、それが原因での犯行と認定されれば精神病院に収容されるだろう。いつの時代でも精神を病む者はいる。核のボタンを押したり、戦争を強引に推し進めたりする者もその類だが、そういう万単位の人間を殺す為政者は英雄とされる。何が言いたいかと言えば、誰でも多少は精神が狂っているということだ。東大生になるために休憩時間も英単語を必死に覚えようとする行為は、筆者には精神を病んでいるように見えるが、努力型で素晴らしいと褒めるのが大勢だろう。嵯峨のFさんはTVのクイズ番組に登場する東大生を、「将来何になるのか」と首をかしげる。同感だが、どこにも就職出来なければ最悪はTVタレントとして食べて行くつもりだろう。京大卒のお笑い芸人の例があるからには、東大生の看板でそれなりに有名人になれると本人たちは思っているはずだ。そうだとして、それは筆者には狂っているように見える。もちろんそう思う筆者を狂っていると思う人のほうが多いことは知っているが、前述のように、みんな多少は狂っている。それでいじめがなくならず、SNSでの誹謗中傷も減らない。みんなどこか狂っていることを認めたうえで、やはり他者を殺傷したいと考え、実行するのは真に狂人で、彼らの考えを矯正することが可能か。矯正出来ない場合があるので、精神病院に収容しておくしかないのが現状だが、江戸時代ならさっさと首を切った。
 当時は見せしめのために、縛った極悪人を一般人が鋸で引いてもよい刑罰もあった。それをしても残酷な事件はなくならず、残酷な刑罰は廃止し、今では死刑も駄目になりつつある。だが残酷な刑罰が残酷な事件の抑止力にならないかどうかは完全に証明されていないだろう。残酷な殺され方をすることがわかっていても、捕まるまでの間は残酷なことを含めて好き放題したいと思う者はいるだろう。そういう連中を「気〇がい」と呼ぶことのどこが駄目なのか。人は自分に危害が及ばないのであれば、あるいはその想像力を働かせない者は、残酷な事件に案外鷹揚だ。日本で死刑がなくならないのは、殺された者の憤りに沿おうとの考えがあり、また異常な精神が犯したこととはいえ、異常さをわずかでも認識する正常さがあるだろうとの思いからだ。「気〇がい」に理性がわずかにあるかどうかは精神病理専門医がどのように研究しているのか、筆者は門外漢ながら関心はある。話を混ぜ返すのではないが、誰しも多少狂っているとの前提を設ければ、精神病を診断する医師もどこか狂った状態で狂人を診察するのであって、何が真に正しいかは判断され得ない気がする。そしてそういうことを見越して江戸時代は殺人や放火を起こした者を死罪に処していたのだろう。それもまた残酷には違いないが、残酷な行為に対して見せしめのために残酷な刑を与えることは教育的見地からは、つまり理性を育ませるうえでは意味があるだろう。悪いことをすれば地獄に行くと教えられたことには意味があったと思う。やがて子どもは為政者や学校の先生が陰で悪いことをしていると知るが、それはそれであって、自分もそれを真似しようとはほとんどの子は思わないし、矛盾を感じれば大人になってそれをどうにかしようとする者も出て来る。ところで精神科の医者であった式場隆三郎が日本でのゴッホ紹介に大いに尽力したことは、自分の耳を切り落したゴッホを精神病者として見ていた部分もあったはずだが、ゴッホの猛烈な創作活動は、言葉の意味は違うとしても普通の人には「気〇がい」に見えるだろう。休憩時間を惜しんで英単語を覚えようとした17歳もある意味では同じだ。生涯筆記用具を振り回し続けたゴッホは理性と狂気が同居し、また常軌を逸した狂気は他者に危害を加えずに自分に向かったが、客観的な眼差しで一作ごとに満足し、眼力のある人には必ず作品の真意が伝わることを知っていたはずだ。そういう自分だけの創作を持てなかった17歳は成績が落ちたことで目標を見失い、自暴自棄になる。何と悲しいことか。東大を出てもゴッホのような作品は描けず、有名にもなれない。それどころか式場ほどの痕跡も人生に残せない。大阪のクリニック放火犯と同じく、17歳はそのことを知って事件に及んだのかもしれない。ただしゴッホとはヴェクトルの方向が正反対だが、世間に注目されたからには本望だろう。
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by uuuzen | 2022-01-20 23:59 | ●新・嵐山だより
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