「
載せる価値 なきとは知りつ データ消え バックアップを 探す気になり」、「傘の嵩 雪で増しつつ 店前で バサバサ払い スーパー巡る」、「雪積もり カネノナルキの 葉は焼けて 世話焼けぬ吾 金に縁なき」、「空き腹に ロック2杯の スピリッツ 熱気高めて ブログのモード」

5年ぶりか、昨日の早朝、京都市内に大雪が降った。厚さ8センチとのことだ。裏庭に出て長い棒で屋根や木々から雪をかき落とし、いつものように雀に玄米を与えようとすると、頭上の合歓木などに集まって羽音を立てる。陽射しが照る中、小雪が舞うが、もう積もることはなく、予想どおりに午後には大半が溶けた。今日の写真は昨日の朝に3階の部屋から撮った。ホームページを作った頃、数年要して今日の最初の写真と同じ角度で毎月定点撮影し、その画像を載せた。誰も注目しなくても、決めたからには当分続けようとした。当時ヤフーの無料サーヴィスでホームページのデータをアップしていた。そのサーヴィスが4年ほど前か、終了されることになり、別の会社にデータを移す必要が生じた。それがややこしく、2社と契約する必要があって、毎月合わせて500円ほどを支払っている。データ移転は専用ソフトをダウンロードして実行し、全データがパソコンに入ったことを確認したうえでHTMLの細部を一斉に書き換えるなどし、それを新たなサーヴァーにアップすることでヤフー時代と変わらぬ見栄えを実現した。ところが今朝、今日の最初の写真を昔の定点撮影と同じ構図にトリミングするために、画面で反映されているはずの10数年前の画像を確認すると、半分以上が消えている。画像は当時MOに保存したはずで、それを気長に探してアップすれば修復は可能と思うが、
1、2、3月分に関しては文書データが消えていて、その3つのHTML文書に書いた写真の説明文は控えを取っていない。つまり投稿当時の状態に戻すことが不可能になった。ヤフーからデータを移し変えた時、100パーセント完了の文字を確認した記憶がある。それを新たにアップする際に一部のデータが洩れたのだろう。ホームページは切り絵以外、作った当時以降気になりつつも手を加えておらず、自作の友禅作品の画像を全部載せ、逐一説明を加える予定がそのままになっている。技法を伝える製作工程のみはいつか書籍に出来るほどにもっと詳しく書き改めたいと考えている。一方、座って手作業することを好む弟子のような人物を2,3人探して技術を伝えたい思いもある。そのためにもホームページで自作をもっと紹介し、友禅の魅力を広める必要がある。その作業場の窓からの眺めはどうでもいいもので、何年何月の定点撮影の画像が欠けているかを確認し、それをMOディスクから探す作業は当分先になる。年々やることが増えるのは、作業処理の能力が落ちて来ているからと思うが、筆者には到達点が見えず、関心事は拡大するばかりだ。

さてここからが本題で、雪で隠れた部分を明らかにする必要がある。昨日ザッパの3月発売予定の新譜を紹介した。ザッパは録音を全部収蔵庫に保存していたので半世紀経ってそうした新譜が発売される。だがすべてのコンサートを録音しておらず、また録音しても収蔵庫にないテープも若干はあるようだ。それはさておき、50周年記念盤は4,5年後に日本公演が対象になるが、75年に初めて演奏された「拷問は果てしなく」を初め、当時のザッパ曲の歌詞に暗い内容のものがあって、そこにザッパのひとつの人生観が見られる気がする。それは厭世的に見え、それゆえザッパの風刺や皮肉の出所もわかると言ってよいが、「ああ、面白い」と楽しませる曲の陰で、そうした解釈しづらい曲の底にあるザッパの心理についてほとんど誰も云々しない。つまり読み取りがなされていない。最近筆者は上田秋成の『雨月物語』を植田一夫の研究書と併せて再読しているが、植田は『雨月物語』を江戸時代の歴史小説という立場を取らず、核となる人間の本質的な情感を対象に普遍性を読み取る。その手法はたとえばザッパの「ビリー・ザ・マウンテン」を解読する際に大いに参考になる。作品を読み取る必要上、ザッパがステージごとに変えた時事的な語句をすべて知る必要があろうが、そういう細部に面白さの本質があるならば、同曲は当時消耗し尽くされ、現在聴く意味がない。植田の立場からすれば、同曲の雑多な歌詞の奧にザッパが本当に言いたかったことは何かを探る必要がある。それでザッパが75年以降、最期のロック・コンサートになった88年まで演奏し続けた「拷問は果てしなく」には、「ビリー・ザ・マウンテン」を基礎にしたうえでの人生に対する凝視があると考える。さて、今朝はよく見る電車に乗る夢をまた見た。その夢は常に目的地に着かず、また目的地は常に遠い。今朝は京都市内の市電に乗る夢だ。乗り遅れたので走って追いかける。空中を滑りながら猛速度で追うと、電車はいくつかの角を同じ速度で曲がり、やがて45度ほどの急な坂を上って行く。それを見て筆者は乗るべき電車ではないことに気づく。その途端、別の電車がやって来た。3,4人の制服姿の女子高生が待っていて、筆者は彼女らより先にアルミ製の幅のとても狭い滑り台を3メートルほどよじ上って座席に着こうとし、上に着いて見下ろしながら女子高生たちが上がって来るのを待つが、街はどうも京都ではない。彼女らに声をかけると「ここは京都ではなくて東北です」と言う。『ああ、今日中に市電でどうして京都に戻れるか』そこで目が覚めた。「拷問は果てしなく」の歌詞は筆者がその電車の夢を見るのと同じことが理由になっていたと想像する。それは本来やるべき仕事が何らかの理由でうまく進まないことが最大の理由だが、それとは別に人生そのものの意義への疑問だ。とはいえ、作曲し続ける熱意だけは強くなるばかりだ。
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