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●「悩む脳 醜きはずと 思う後 何とはなしに 景色美し」
よりも 音なしの雪 より恐し 布団抜け出て 布団の世見る」、「能無しの 役に立つこと ありはすれ 能無し嗤い 皆に嫌われ」、「生まれしは めでたきことと 疑わず 生きる間に 苦にため息も」、「鷹の爪 赤色塗って とんがらし 鵜の目鷹の目 とんと騙され」



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一昨日の投稿と少し関係する記事をネットで読んだ。アメリカのマイケル・サンデル教授の「能力主義者社会のエリートたちは何も結果を残していない」と題するインタヴューで、アメリカを追随する日本はアメリカと同じ格差社会になって、中間層がいなくなって来ていることがわかる内容だ。ではどうすればいいかという同教授の考えを書く後半は有料記事で、それを読まない筆者は意見がわからないものの、「大学入試にもくじ引きを導入せよ」という題名から結論は推察出来る。この話を家内にすると、大阪の教育大付属の小学校は入学希望者がとても多く、入試資格はくじ引きと言う。日本で大学入試にくじ引きを前提とすれば、大半の大学は消える。入学希望者がそもそも少なく、中卒程度の頭でも入学してほしいのが大学経営者の考えだ。そして先ごろ大学の理事長以下が逮捕された事件のような出鱈目な経営が明るみになる。日本の政治もおそらく同じと思っていい加減で、金がなくなれば税を上げればいいと政治家は思い、そして湯水のごとくそれを使う。民主主義であるので、能力が平均的な人物が首相になってあたりまえで、その平均のレヴェルが著しく落ちて来ていることは日米ともだ。とはいえ平均、大多数の考えが民主主義であるので仕方がない。前述のサンデル教授のインタヴューで面白いのは、質問者の言葉だ。「能力主義の勝者は敗者よりも道徳的に優れていると考え、そればかりか得てしてきわめて無能でありながら、その代償を払うことがほぼないように見える。」との下りは大いに笑えた。ネットではフランス在住の日本人が無能という言葉を好んで使い、絶大な人気者になって収入もそれに応じ、本人は能力が優れていると思っているのだろう。だが学者でも芸術家でもなし、ただの口から出任せで経済的に裕福になれるのであるから、無能は無能の権化たる神をいつの世でも欲することの見本と言ってよい。とはいえ元々無能の男がほらを吹いても当然であるからそれはまだましだ。厄介なのはかつて学者として名を売った人物が、老化が原因か、「トンデモ」本で名を売ろうとし、しかも自分を憂国の士であると自惚れることだ。そういう人物の立ち位置は本居宣長以来の伝統と言ってよいが、何せ格が違い過ぎる。にもかかわらず、本人はわずかな専門を武器に我こそはという珍説を唱える。こう書く筆者がネットで昨今頻繁に宣伝されるある本を指していることを知る人はいるだろう。先日TVで在住2,30年に中国人の学者が、日本は嫌中嫌韓のあまり、現在の中国韓国を見ようとしないと語っていた。
 これについて思い出すのは、日本は世界の最たる神の国であるので他国を見る必要はないとする本居宣長と、日本は世界から見てごく小さな国で、日本の神が世界一と言う根拠がわからないとする上田秋成との論争だ。植田一夫の『雨月物語の研究』には、本居宣長について「かつての国学者が日本精神の究明のために、作品を資料として用いた……」と書いた後、岡崎義恵氏の「万葉集の第何行目の字を何と読むかといふ事を決定するのに数年を費やす。それは無用のことではないが、その一首の歌に、凡そ如何なる上代人の精神が響き出て、今日の煩雑な生活に、いかなる刺戟を与へるかといふ事を抉別する洞察の業に比すれば、何程の価値があるであらうか」という意見を引く。そして植田は「作品の文芸性の究明のためには、まず作品を読まなければならない」とし、宣長の国文学のあり方に理解を示す。宣長の方法はその後文献学と呼ばれるようになるが、前述の最近宣伝が目立つトンデモ本は、日本や日本人の根源を研究する文献学者は文献だけに頼り、美術がわからないので限界があるという立場を取る。そして東北地方で見られる埴輪が古代ユダヤ人そっくりで、一方で遺伝子的にも日本は中国や韓国とは共通点が少ないと意見する。嫌中嫌韓がきわまってついにユダヤと来たかと思わせられるが、小学生でもわかるように、その埴輪に並べて紹介されるユダヤ人は顎髭をたくわえ、帽子を被って一見確かに似ているが、埴輪時代のユダヤ人がスーツを着て20世紀のユダヤ人と同じ服装をしていた根拠を示す必要がある。つまり誰も古代のユダヤ人を見たことがないのに、なぜ日本の埴輪をユダヤと結びつけるのか。また遺伝子にしても中国韓国とは共通する部分のほうが圧倒的に多い。それはともかく、こういうトンデモ意見が出て来るのは、宣長由来の日本人を特別の存在と思う一種の自惚れだ。それは悪いことはでない。矜持は持つべきだ。しかし埴輪がユダヤ人ではなく、当時のファッションを示していると考えるほうが自然で、またたまたま20世紀のユダヤ人のツァディックと呼ばれる指導者たちの身なりが埴輪に似ただけだ。それにその埴輪は髪を巻いて両耳脇に下げ、ユダヤ人とは異なる特徴のほうが多い。わざわざ反論を書いていて恥ずかしくなるが、そういう論を提供する人たちは自分の祖先が中国や朝鮮の血が混じっているかもしれないことを信じず、ましてや外国人が日本人になることを憎悪しているのだろう。そして「日本精神」を代表すると信じて疑わないだろうが、上田秋成のように有名な本居宣長に論争を挑む、そして合理的な考えが出来る人物がいたことは今後の日本を考えると、なお「日本精神」を体現していると思える。植田一夫は秋成の名作を研究した本を上梓する一方で、宣長にどれほど関心があったかは知らないが、敬して遠ざけたことは想像がつく。ともかく、学者でも晩節を汚す者は多い。
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by uuuzen | 2022-01-13 23:59 | ●新・嵐山だより
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