「
枝分かれ さらに分かれる 枝はなき 子なき孫なき 先祖の泣きや」、「最中をば 食べる最中 最早叔母 言葉失い 喪中のごとく」、「どら焼きを とら焼きにと 斑紋 入れて喜ぶ 阪神ファン」、「とらやにて 虎文入りの 菓子探し 最中なければ 自分で描き」
題名も含めて今日の冒頭の5首の啖呵短歌と画像で今日の投稿は充分な気がしている。先ほど投稿した15センチの色紙2枚で作る左右対称の
切り絵「寅文喪中最中」に添えた文章もあるのでなおさらだが、いつものごとく1200字ぎりぎり以内の文章を書く。中元と歳暮のために百貨店の地下の菓子売り場には昔からよく行くが、去年の暮れは珍しく筆者ひとりで大丸に出かけ、和菓子売り場を半周して即座に好きな最中に決めた。特に仙太郎の最中は艶のある粒餡がわざと見えるように大量に詰め込み、ウィンドウの内部を見下ろすたびに食べたいと思うが、どの会社の最中もだいたい似た味で、また甘いものは控えるべきとの気持ちもあって、想像するだけで食べた気分になる。ところで今年は年賀状代わりに松明けには出そうと決めていた寒中見舞いはがきのデザインを、やはり毎年恒例にしている切り絵で作ろうと思い、昨夜下絵を描いた。それが今日の最初の写真だ。2枚目は完成した切り絵を印刷用の画像に加工したものだ。ただしプリンターはインクが黒と赤しか出ないので、虎を意識した黄色と黒がピンク・タイガーになりそうだ。それならまだましで、インクの出は悪く、ピンク1色になる可能性が大きい。「風風の湯」の常連Fさんは今年の年賀状は去年よりうんと減らして40数枚書いたとのことだが、筆者も同じような枚数で年々減っている。年賀状を見て今年は会っておきたい高齢者が2,3人いるが、オミクロンの感染拡大で歓迎されないはずで、ぐずぐずしている間にまた年内に会わないかもしれない。年賀状に書かれるごくわずかに添えられた文章は大多数が筆者にとって年一度の言葉であるので、出来るならば全員に一度は会っておきたいが、たぶん実現しないうちにどちらかが世を去る。そう思うと年賀状も捨てたものではない。この文章を読む人は大部分が筆者は会ったことがないはずだが、筆者はそういう人に関心がない。会って言葉を交わし、お互い親しみを抱くことは大変稀な縁で、それを大切にしたいと思いつつもその縁が途切れてしまい、年賀状も交わさない人も多い。そういう人が何かの拍子にこのブログに目を留めると筆者が相変わらずであることを知るはずで、気が向けばメールを出してほしいと思うが、ブログで筆者の近況は充分わかる。メール・アドレスは公開しているが、筆者と言葉を交わしたい人はまあいないだろう。それに会ったことのない人にはよほどのことがなければ返事はしない。それはともかく新年用の割安で売られる阪急阪神1日乗車券で出かけることは家内の急激な体調悪化によって中止になった。
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