「
率直に 願いを声に 出す童 神も微笑み 運に手助け」、「楽観も 悲観も同じ 結末に さればどちらも ずっとあろうや」、「占いを 売って儲ける 心には 神は誰でも お助けになる」、「楽しみに くじ買う人を 謗るのは 弱者見下げし 世間知らずや」

去年10月末に家内と阪急阪神1日乗車券を使って芦屋から神戸三宮に出て昼を食べ、花隈に出て「相楽園」を訪れた後は梅田に戻ってヨドバシカメラで買い物をした。今日の写真はその巨大な館内のLINKS5階にある玩具売り場の近くで見かけた贋神社だ。一見してゲーム感覚のお遊び神社とわかる。本物の神社にもおみくじの自動販売機がある時代で、こうした若い女性や子ども相手の神社は不思議ではない。居酒屋の玄関に本物と見紛う鳥居を置く大阪であればなおさらだ。ネットによればこの神社は2年前の春、今日の写真の右端に「おねがいごと神社」と大きく縦書きした柱が立っていた。それが撤去され、鳥居奧中央の茶色の大きな賽銭箱はおそらくお金を入れないようにとの貼紙がある。願掛けは自由だが、金を取るのはいかがなものかとの抗議があったと想像する。噴水の池によく硬貨が投げ入れられるので、筆者はこの紛いものの神社への賽銭はかまわないと思うが、祭神がないでは神を冒涜していると受け取られる可能性はある。去年夏に大阪の天神橋筋商店街で神社でない場所に神社の巫女の人形が
おみくじを運ぶ自販機を見かけてその写真を投稿したが、それと同じような仕組みを用いておみくじを売ることはかまわないだろう。この神社の右手にガチャガチャ販売機がたくさん並び、何が出るかわからないその賭けに引っかけて、一画の片隅に神社をというテナントの借り手側の思惑があったのだろうが、おみくじとその結果に応じた神像の玩具をガチャのカプセルに入れて賽銭と引き換えに出るようにすればどうか。そして凶を出にくくすれば、つまり凶の人形が希少となれば売り上げは見込める。それはともかく傍らのパネルは参拝の方法を図示し、神社についての教育的効果はある。経済効率一辺倒の時代にこの遊び感覚の神社は当然それなりに儲かることを狙ってのことだが、神社庁に属さない単立の神社があれば誰でも勝手に祭神を謳い、それなりの神宝を用意すれば新興宗教としての神社を創設出来るのではないか。そんな罰当たりなことはしないという感覚は今後の世代では薄らぐはずで、その一例のささやかな萌芽がこの張りぼて神社にあると見ていい。それに税金逃れに目がない金持ちは宗教が金になると見込み、神道寄りの新興宗教も登場して来た。それはそうと去年は大阪の太閤園が創価学会の所有となり、宗教がいかに金を集める能力に長けているかを瞠目することになった。それはアメリカでも同じで、ザッパは新興宗教の設立を一時期考えた。それは実現しなかったが、世界中にザッパ信者はいて新譜を買い続けているので、宗教みたいなところがある。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する 