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●神社の造形―角倉稲荷神社、安倍晴明墓所
鉢に 似合うか星の 紋所 日月の恩 妙なりと言う」、「近くでも 知らぬことあり なるほどと 気づき思うは 時の限りや」、「いつまでも あると思うな 親と金 昔から聞き 改めて知り」、「墓なきは 儚きことと 俗は言い 偉人は墓の 心配無用」



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喪中はがきは出さないと決めていたこととともに、母が亡くなって1年間は鳥居をくぐってはならないということが気になっている。にもかかわらずいくつかの鳥居をくぐり、このブログのこのカテゴリーに投稿した。罰当たりなことかどうか、これは迷信を信ずるかどうかの問題でもあるが、筆者は迷信をあまり信じない。筆者の世代であれば、子どもの頃に霊柩車を見かけると、両手の親指を即座に他の4本指で隠す行為をしたのに、筆者はそのことを息子に教えなかった気がする。街中を走る霊柩車をめったに見かけなくなったからだ。それに家の玄関の両脇に始まって近隣の家の前を借りてずらりとしきみ列を立てる葬式は昭和40年代で終わったのではないか。それだけ人の死は見えないようにされて来ている。個人主義が徹底して来たためとも言える。近隣が全部普段それなりに親しくしているのであればいいが、昔のように葬儀でしきみを立てさせてほしいと言うと、今では半分以上の家は嫌な顔をするに違いない。それで葬儀会館を利用し、さらには家族葬という限界までコンパクトな葬儀の求めが増えている。葬儀がそのように省略化されれば、墓も倣う。樹木葬というのが近年は流行のようだが、筆者が母の墓を建てた時に石材屋と話したところによれば、10年や20年、あるいは30年というコースがあって、焼いた骨を小さな筒に入れ、それをそのまま地面に埋め込み、契約年数が来るとそれが抜かれて処分される。つまりゴミだ。伏見深草にある共同墓地も似たようなもので、故人の骨は大切にされない。同じことは大阪天王寺の一心寺でも行なわれているとその石材屋は不満であった。同寺は昔から死者の骨をまとめて練り上げ、それで大きな仏像を作っている。「そんなふうにされて大山さんなら我慢出来ますか?」と言われた。死んでしまうと意識はないので骨がどうなってもわからないと言いかけてやめた。見ず知らずの人と一緒に仏像にされるのは何となく嫌だが、その理由は骨で仏像を作る必要はないとの思いと、僧侶がその仏像に向かって読経するのはあまりに合理的つまり手抜きとも感じられるからだ。そう言えば散骨の話も聞いた。遠方で暮す息子が親の墓の面倒が見られないので、墓じまいを依頼し、墓下の骨は適当に海に撒いてほしいと言う。そこで海に捨て去る場所の緯度経度を船に乗って計測し、そのデータや証拠写真を依頼者に送付するらしい。親としては浮かばれない気持ちだろう。その息子もいずれ自分の子どもから同じように適当に他人任せで骨は処分される。それが仕方ない時代でもある。
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 嵯峨や太秦をグーグル・マップで調べていると、嵯峨のスーパーへの途上にある旅館「花のいえ」の北側に角倉稲荷神社、その西に接して安倍晴明の墓があることを知った。安倍晴明は清明神社に祀られていて墓はないと思っていたので意外であった。ついでに書くと清明神社は数年前に訪れ、このカテゴリーに投稿したと思って今調べるとまだであった。手当たり次第に訪れて写真を撮りながら、まだ投稿していない神社がたくさんある。それはさておき、その墓所の近くにある川沿いの南北の道を昔から頻繁に歩きながら、何となく踏み込む気分になれない東への横道が2本あることが気になっていた。墓所はその道の奧の突き当りにある。それで存在を知って1,2月後の去年11月28日に訪れて撮ったのが今日の3枚の写真だ。その横道を歩く人はその道沿いの住民と郵便や宅配便のみと言ってよく、いつもとても静かで昭和の雰囲気に満ちる。筆者が南側の道を東に踏み込んだ時、40代の男女がすぐ後を追う形になった。彼らも安倍晴明に関心があるのかと思っていると、突き当りを北に曲がってすぐの1軒に消えた。そのことでどういう人がその墓所を護るような形で並ぶ古い家に住んでいるのかを知ることとなったが、筆者なら嵯峨に住みたくてもこの2本の道沿いは嫌だ。千年以上前の有名な人物の墓が神社の形の墓所となっているのはさすが京都だが、なぜ嵯峨のこんな場所かと思えば、千年前は周辺に住宅は皆無で、霊が眠るにはふさわしいさびしい場所であったに違いない。その雰囲気はそれなりに今も保たれている。清明神社は陰陽師がドラマなどで扱われてブームになっていることから若者が大勢訪れる観光スポットになっているが、この墓所を知る若者は少ないだろう。墓はそれでいいのだが、鳥居や星の紋をどれも刻む石の玉垣は立派なもので、現代でも敬うべき人物として丁重に扱われていて、参拝を勧めているようでもある。訪れれば清明も喜ぶだろう。筆者を含めて無名であれば墓は百年も残らず、大金持ちや有名人であっても数百年は残らない。そう思うと清明の墓所はよほどのことで、存在を知ったからには一度は訪れる気になる。清明のように名を遺すことは、本人にその気が強烈にあっても思いどおりにならず、立派に祀られる人はその思いを全く持たずとも周囲が放っておかない。とはいえもっと長い年月で物事を見れば、誰の墓も残りようがなく、樹木葬によって慎ましく短期に骨が消えて行くことを含めて散骨と大同小異だ。『雨月物語』の「白峯」に描かれる崇徳院の陵墓は西行が訪れた時は石が三つ積まれるだけの素朴なものとされるのに、崇徳院の怨念の祟りと思われることが相次いで生じるに及んで荘厳に祀られる記述で終わる。安倍晴明の墓所も粗末に扱うと祟りがあるかしれない。そんなことを思うとなおさらその墓所付近を歩き気分になれない。
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by uuuzen | 2022-01-02 23:59 | ●神社の造形
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