「
腸捻じる ほどの笑いは なき晦日 腸捻転で 友は入院」、「晦日蕎麦 買いに出かけた 雪夜道 滑って転び お手つきで怪我」、「半額の 肉を山ほど 買う人は 酒樽も載せ 酒池肉林に」、「半額の 鯛を買うての 御利益は やはり半分 貧之神笑み」
年末は年賀状作りが気になるのに、去年母が亡くなった。喪中はがきを先月出しておくのが礼儀になっているが、喪中はがきはもらって嬉しくない。筆者は昔から母が亡くなった後に喪中はがきを出すつもりはなかった。その代わり、松明けに出す。そのほうが受け取った人は正月気分を覚ますにはいい。とはいえそのはがきを書く手間が1か月ほど延びただけだ。何でも引き延ばしにしがちな筆者で、この調子ではやることが山積した状態で死ぬのは明らかだが、誰でもそうであまり気にしていない。この「あまり」が微妙で、人によってその程度は大いに違う。自殺するほど深刻と捉えている悩みに対して「それしきのこと」と言えば、相手は憤るかもしれないが、極度の悩みでも「あまり」と思い込む自己暗示は必要だ。どんな悩みでも死ぬほどのことはない。自殺は悩むことが面倒臭くなるからだろう。それはわからないでもないが、ともかく「あまり」悩まないのがいい。さて今日の冒頭の啖呵を切ったとはとても言えない短歌は昨夜あったことだ。自治会の仏師のOさんから久しぶりに電話があり、腸捻転で1週間入院したとのこと。あまりに痛みで転がり回ったそうだが、電話の声は明るかった。買い物に車で乗せて行ってやると言われたが、もっぱら徒歩でスーパー巡りをする筆者で、親切を断った。息子と一緒に昨夜雪が降る中、6時頃にスーパーに蕎麦を買いに行くと、丸太町通り沿いの歩道で滑って倒れた。雪で白い部分とぬかるんで黒い部分が筋になり、黒い部分を歩いて前につんのめった。右手小指を擦りむいて血が出た程度で、膝はズボンが擦り切れてその跡が残りそうだ。その程度でよかった。大腿骨を折って寝た切りとなることは珍しくない。母もそれに似たことになって死んだ。それも家の中で厚さ1センチの絨緞に躓いてのことだ。新年早々に転ぶよりも大晦日でよかったと思い直し、帰りは安物のロボットのようにとぼとぼ歩きすると、また同じように転びそうになった。どのスーパーも半額商品を漁る客で満員で、先ほど「風風の湯」で嵯峨のFさんに高級肉を山ほど買っていた女性客がいたことを言うと、金持ちはそういうことはしないと辛辣であった。実際そのとおりだ。だが貧しい人がせめて正月だけでも高級肉をたらふく食べるのは微笑ましい。今日の写真の上は
去年11月22日、下が昨夜息子のスマホで撮影した市営嵐山駐車場で、うっすら雪が積もる中、小さな赤球が灯る細長い棒が挿してあった。左の仮面ライダーは倒れていたので起こした。撮影後、自転車に乗るFさんの後ろ姿が見えた。先ほど「風風の湯」でそのことをFさんに言うと、やはりそうであった。
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