「
服役が ましかぶつぶつ ホームレス 雪はこんこん 咳はこほこほ」、「時代劇 いずれ昭和を 指すことに キモノちょんまげ どこの国かと」、「映画村 空き家を見せて 金を徴る いずれ日本は 映画国へと」、「古家や ユンボ踏み込み きしむ音 時代劇での セットも同じ」

半年前からキモノ3点の染め替えをぼつぼつ手がけていた。その仕立てが一昨日終わり、昨日郵送した。いつでもいいと言われると仕事が極端に遅くなる。それはさておき、仕立ては1年前に太秦で新たな工房を見つけて依頼した。以前と違って自転車や徒歩で出かけられるので便利になった。技術が年季に比例するならば、以前依頼していた高齢の女性のほうが筆者との付き合いも長いこともあって、意思の疎通がうまく行き、筆者の望みどおりに仕上がった。とはいえ今回は筆者よりかなり若い女性で、筆者にとっては4人目、上げ絵羽専門も含めると8人目で、もう新たな人を探す必要はないだろう。太秦のその仕立て工房は大映通りより南に位置し、家が建て込んで道が覚えにくい。嵐山から三条通りを帷子ノ辻まで行き、そこから大映通りに入ってもいいが、車の多い三条通りは苦手で、筆者はいつものごとく裏道を行く。最初は大いに迷い、ついに最短距離を見つけた。松竹撮影所の南端の狭い道を通る。2か月ほど前、その撮影所の高さ3メートルほどのブロック塀の取り壊しに遭遇した。地震で倒れると危ないからだろう。塀のすぐ奥に連なっていた背の高い木立の一部も撤去され、そこに設置された工事用フェンスの隙間から奥が見える状態になった。自転車で走りながらもその奥に朱色の鳥居が建物のトタン塀に立てかけられているのが見えた。塀の奧は撮影所の時代劇用のセットだ。その後何度か仕立て屋に通う間に工事は進み、新たな金属製の塀が同じ高さで完成した。もう鳥居はないかと思いながら一昨日はカメラ持参で仕立て屋に走ると、まだそのままになっている一間ほどの幅の工事用フェンスの隙間の奧にまだ鳥居が見えた。それが今日の最初の写真だ。2枚目の写真は最初の写真の左端につながり、3枚の写真を合成した。覗いた隙間には針金が飛び出ていて、それが左手に写っている。それに写真右端にあるはずの太鼓橋が途切れた。東映映画村のように有料の施設にするほどの規模ではないはずだ。さりとて時代劇を頻繁に撮影する機会もなく、土地の有効利用から写真の空き家はいずれ取り壊されるだろう。その最初として神社がやり玉に挙がったようだ。この撮影所や仕立て屋の東北に位置する大映通りの角に6年前に紹介した
映画神社と呼ばれる八幡様がある。その映画の神様は大映通りに今後も残り、映画のセットにあった神社はフィルムに記されただけで消え去る。あるいは立てかけてあるふたつに鳥居はまた別の場所に据えるのだろうか。それにしても時代劇のセットに神社ないし鳥居が欠かせないとの考えは面白い。

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