「
脅えるな いずれおさらば 塵と散り とちり落とせば 塵取り使え」、「道連れに 他人巻き込む 弱き人 負けを覚えて 負け王目指し」、「心病み 闇を照らすと 火を放ち やったやったと 己も焼きて」、「無辜の人 殺して誉める 戦争が 平和な時に 顔を覗かせ」
人間がいかに残酷になれるかの見本のような事件が午前中の大阪で起こった。大勢の人が狭いところに積み重なって死んだ。犯人は腕のいい職人ということで、それは自分とは関係のない人をなるべく大勢殺そうとしたことと符合する。その入念さを仕事に活かし続ければよかったものを、いろんなものに恨みを募らせたのだろう。結局その恨みは人に行き着くが、自分と無関係の者を巻き込むのは人間性に対する憎しみか。去年筆者は京都のとある地下のライヴハウスの出入り口が1か所しかないことがとても気になった。京都アニメ放火事件があったからだ。同様の出入り口がひとつだけのビルのテナントは珍しくない。ライヴハウスにガソリンを撒いて火を放つ者が来ないとは言い切れない。匿名でSNSに誹謗中傷を書く馬鹿が何かの拍子に心に火がつき、満員のライヴハウスを火の海にすることはあり得る。ライト・マイ・ファイアーからジ・エンドへと、ドアーズを聴きながらドアに火を放ち、人生のジ・エンドを味わう。ネットには炎上商法という言葉があるが、建物に火を放って炎上させ、悪名を世に残そうと考える肉弾的炎上焼法は今後増えるかもしれない。電気自動車全盛になればガソリンの入手が困難になり、その時は電池を使った別の酷い殺人事件が流行るか。ネット社会が権力者にとって管理しやすいこととつながって、狂った市民がその隙間を狙ったようなテロを起こすことを予想させる。戦争のない平和な時でも戦争と同じような残虐な心が人間に巣食う。孤独ゆえと思うが、それをどう手懐けるか。教育の問題か。道徳の問題か。話題転換。昨日ほぼ2週間ぶりに焼酎で渋を抜いた大きな熟し柿を2個食べた。ほとんど液体になっていて、渋さはほとんど抜け、また焼酎の味がした。一方、二度目に買って作った干し柿は、やはり白い粉は全く吹かないが、最初のものより格段に甘い。教訓1。青味の渋柿は数日待って赤みが増してから干し柿にすること。教訓2。熟した渋柿は干し柿にすると甘いが、蔕が取れやすく、また皮が脆くて干し柿に向かない。買った柿の1割強が干し柿に出来ず、もう1割強が蔕が取れて糸で吊る羽目になった。教訓3。よって干し柿を作る絶好のタイミングはわずか1週間ほどしかない。教訓4。白い粉を吹かせるために歯ブラシで表面を擦ったが全く効果なし。この点は今後の課題。今日の写真は二度目の干し柿で、ラップに巻くのが遅過ぎて干物のように固くなり過ぎた。最初に作ったものは相変わらず無味で渋さも残っている。せっかく作ったので全部食べるつもり。それでも1日に3個以上食べると便秘となって往生する。
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