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●「山底の 岸辺に鵜籠 まだありし 迂回は出来ぬ 小径戻りて」
に描く 矛の柄には 盾の紋 矛と盾とは にわとりたまご」、「紅葉の 盛り見逃し 口惜しき 朽ちた葉叢 見事な見物」、「遠目にも わかるもみじの 色具合 今年も駄目と 早くから知り」、「幼子の 手になぞらえし もみじ葉を 踏んで歩くは 痛み覚えし」



●「山底の 岸辺に鵜籠 まだありし 迂回は出来ぬ 小径戻りて」_d0053294_01452822.jpg今月2日の午後、嵯峨のスーパーに行く前に渡月橋上流の右岸の小径を歩くことを家内に提案した。その小径は特に夏場に、まだ学校に行かない息子を自転車に乗せてよく出かけた。当時家内は外で働いていたこともあって、そのことを家内はあまり知らない。それに今回家内と歩くのはたぶんまだ二、三度目だ。それに2日は結局道の突き当りのある豪華ホテルの前まで行かなかった。渡月橋からそのホテルまでは1キロほどで、その半分の場所で引き返した。その場所まで道は平らで、その先は急な坂を上り下りする必要があるが、坂の上から見下ろす川の眺めは観光ポスターそのもので、画家ならいくらでも絶好の構図を見つけられる。紅葉が鮮やかな頃であればそこ坂を歩くのはいいが、紅葉がもうないことは明らかだ。それで引き返すことにしたが、別の理由は息子を連れてよく出かけたのが小さな滝がある小径の曲がり角と言ってよい場所で、その30年前の息子をよく連れて行った話を家内とすることでお互い満足したからだ。それに小径の突き当りにある豪華ホテルを筆者も家内もまだ見ていないが、スーパーの買い物に出かけたのであるから、先を急ぐのがよい。ところでその豪華ホテルの宿泊客は船で渡月橋から運ばれるので、この山裾の小径を歩かず、芭蕉の句碑や小さな滝に気づかない。その宿泊客が早朝の散歩で渡月橋まで歩けばいいが、そういう客はいないだろう。大金を支払うことだけが贅沢な経験とは言えない。どのような状態にあっても感興を覚えることが贅沢というものだ。金を使わずしてそれを主張するのを負け惜しみと言う人はいるが、筆者のような年齢になると金持ちが羨ましいということはない。どのような金持ちでも持っていない心の贅沢を持っている自信があるからだ。そのことを自尊心が強い、世間が狭いと言われそうだが、古希の老人に何を言っても聞く耳を持たない。筆者は若い頃から自分の気が済むように生きて来た。それで家族に貧乏生活を強いて来ているが、貧乏も考えようだ。何とも思わねば何ともない。筆者がそのように思っているので家内も感化される。これは主人は弱音を妻に見せないでおけということだ。しかしそれは最低限の経済生活があってのことで、さらに主人は常に実現可能な夢を妻に提示しておく必要がある。男は夢を語り、女はそれを信じたくなるものだが、夢が形になる過程を女に証明し続けることは日々の暮らしで明白で、またそもそも女がいなくても男はそういう夢を実現すべく生きていなければならない。とはいえ夢は多過ぎてもよくなく、またひとつに絞っても時代の変化でその夢が小さく見えるようになることもある。
●「山底の 岸辺に鵜籠 まだありし 迂回は出来ぬ 小径戻りて」_d0053294_01454826.jpg
 今日の最初の写真は昨日の最初の写真の左端に見える黄色の葉の樹木の前に立って南側の嵐山の裾を見上げた。目を引いたのは斜面に積もった楓の葉だ。これと同じ状態は嵯峨のスーパーに行く途中に必ず歩く旅館「花の家」の前の歩道にもあった。そこから見上げると楓の枝は確かに張り出ているが、葉は厚さ4,5センチほどに積もっている。その様子が赤ちゃんの掌の大集合に見え、美しいというよりも無残さを感じさせるが、落葉はそもそも無残なものだ。もう4か月すると今度は桜の花びらが同様に地面に重なる。今日の最初の写真を彩度の調整でもっと紅葉の落ち葉らしく見せることは出来るが、数日早ければそのような鮮やかな落ち葉であったろうか。どうもそうは思えない。「風風の湯」のフロントの女性から今年の紅葉は見事と聞いたので渡月橋上流を見に出かけたのに、いつも遠目に見ていた嵐山はその中に入ってもやはり同じく赤茶けて感動させなかった。楓の葉は落ちる前に真っ赤になるとは限らない。そのことは隣家の裏庭の楓からもわかる。庭の片隅にいつの間にか芽生えた楓は3,4年の間に高さ2メートル半ほどに育ち、葉は赤くならずに茶色のままで落ちた。そういう場合もあるというか、むしろそのほうがほとんどなのだろう。それで楓は青々とした葉の状態が美しい。夕焼けと同じく、老人は死ぬ間際にとても美しく輝く日々があるとよく言われる。そんな僥倖に恵まれる人は稀で、楓にたとえればたいていは緑から茶色に化して散って行く。老境の僥倖は宝くじの大当たりというのが凡人の考えることだろうが、それが無理とわかっている人は何を目指して何に心をときめかせるか。ただ長生きして傍迷惑になることは望まないが、死んで蒸発することはない人間で、弔いやその後の始末では必ず他者の手を煩わせる。落ち葉は土の地面に落ちれば放置していいが、コンクリートであれば誰かが掃除する。その後始末を最小限にするために「断捨離」という言葉が生み出されたが、最近その言葉が英語の「downsizing」を当て字したものではないかと思わせるTV番組を見た。生活に必要な物を減らす、生活を縮小するという意味から、「断捨離」は理屈に合った造語だが、英語の発音そのままを「妥運才人」とすれば、「運を手なずける才人」ということで、老境になっての不要物処理は死ぬまでの運を穏やかなものにする意味合いを持って、きつい響きの「断捨離」よりいいのではないか。「断つ」「捨てる」「離す」はいずれも老いるほどにしんどい動詞で、筆者は好まない。断って捨てて離すことで、確かに楓は来春また芽吹くが、落ち葉がただ燃やされるだけの存在であるというのは歴史的にはごく最近のことで、自然のサイクルでは有効に利用されている。人が抱え込む物も同じであるべきで、手を離れた物は次の持ち手にわたってその人が「妥運才人」になることが理想だ。
●「山底の 岸辺に鵜籠 まだありし 迂回は出来ぬ 小径戻りて」_d0053294_01460400.jpg 今日の2枚目の写真も昨日の最初の写真にわずかに見えている。石の鳥居があるのはいいが、侵入禁止にされていて、鳥居は「断捨離」されておらず、むしろ片脚が補強されている。扁額部分に「蔵王権現」の文字が刻まれ、これが川向こうの天龍寺のものであったことがすぐ先の小さな滝の際にある駒札の説明からわかる。鳥居はさほど古くはなさそうだが、1世紀以上は建っているだろう。駒札の説明によれば滝は「戸無瀬の滝」と称されて平安時代から有名であった。そして現在の地より蔵王権現堂の背後にあったという。蔵王権現堂は現存しないが、今日の最初の写真の右端辺りにあったと想像する。同写真は中央に溝があり、その暗い奧に滝があったに違いない。駒札の文章の最後を引用する。「この滝は、江戸時代初めに角倉了以によって行われた保津川の開削工事によってその多くが削り去られたといわれる。現在、上流ではその残影を見ることができるが、明治以降、災害防止のために行なわれた治山工事による規模縮小、緊伐に伴ない常緑樹が繁茂し、対岸からほとんど見えなくなるなど、往時の姿をうかがい知ることはできない。」室町時代にはこの滝は三段になっていたとのことで、今日の3枚目の写真はそれを偲ばせる。この写真は上下2枚をつないだ。最下段は筆者の足元より1メートルほど下の水溜まりで、そこから大堰川に注ぐ小さな口がある。昔はこの滝壺に相当する場所に蝋燭がよく灯っていた。戸無瀬の滝が対岸からもよく見えるほどであったならば、嵐山はさらに見所があった。蔵王権現を祀る小さな祠程度なら町内会でも賄えるが、誰が世話をするかだ。それに現在嵐山は国有林で、天龍寺の領地ではない。国有林に一般人は立ち入れず、適宜役人が管理のために嵐山に上っているのだろう。昔は赤松が目立っていたそうだが、今はほとんどないように思う。あるいは幹が黒い別の松が主だろう。それに桜と楓が中心ということもない。鳥居があるのは撤去するにも費用が必要で、また撤去するには天龍寺の許可が必要で、しかも撤去では歴史を忘却することになるという理由で寺は反対するだろう。片脚が破損したのは背後の山から落ちた岩が当たって倒れたためではないか。現在は痛々しい中途半端な姿なので、もう少し手入れをして見栄えよく出来ないものか。蔵王権現に滝と言えば、10数年前に息子の車で連れて行ってもらった宇治田原の「大滝」を思い出す。それを売茶翁は永谷宗円に会いに行った際に見た。その時には石像の不動明王もあったと想像する。因みに売茶翁は嵐山を茶売りで訪れており、また近いうちに一般公開される渡月橋下流左岸の臨川寺での法要に参加もした。その折りに嵐山麓の蔵王権現堂や戸無瀬の滝も見たことであろう。そんなことに思いを馳せると見慣れた近場も輝いて見え、また老境が「断捨離」ばかりのさびしさとは感じられない。
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by uuuzen | 2021-12-12 23:59 | ●新・嵐山だより
●「いいかもね 飛べて泳げて ... >> << ●今年で最後の嵐山花灯路、その1

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