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●「玄関の 脇を彩る 菊の花 家人の世話に 契る姿や」
う菊 仁王のごとく 立ち守る 奥に暮らすや 老いた夫婦を」、「嵯峨菊を 嵯峨で探せば そこかしこ 乱れし花の 細き狂おし」、「酒に菊 浮かべて飲むや 菊慈童 古希の十度も 齢を重ね」、「枯れ姿 恥じて晒さぬ 媼には 菊の香りの 風情漂い」



●「玄関の 脇を彩る 菊の花 家人の世話に 契る姿や」_d0053294_18194268.jpg 今日の写真は最初が先月21日、地元嵐山の筆者に知り合い宅、2枚目が今月2日で、嵯峨の車折神社近くだが、どちらも撮影しようと思ってから1,2週間経っていた。また撮ったのに写っていない嵯峨のとある家の玄関脇の菊もあって、これは来年また撮影する。最初の写真の住民に用事があって出かけた際、菊の育て方について訊ねたところ、意外な答えがあった。毎年新たな苗木を購入するのかと思っていたのに、一度咲くと毎年同じ菊が同じように咲くと言う。枯れた後、鉢の周囲に背丈数センチの葉群が芽生え、それを抜いて別の鉢に指すと、それが育つとのことだ。その技術さえ覚えると春から手入れをすれば秋に確実に咲くそうで、手間がかかるのは確かだが、手間をかけた分、花はそれに応じる。神戸の相楽園で見かけた福助仕立ての菊について話すと、その育て方は矮小化させる薬品を使うこともあってかなり高度で、長年の経験を要するらしい。暇がたっぷりとある老人の趣味として、筆者はその部類に入りながら、その人の家のように陽当たりのよい場所がごく限られ、菊を育てることに向かない。それで今後も眺める一方となるが、散歩の途中で見かけることも楽しい。西院の交差点北東角の菊は鉢で育てたものを持って来ていて、鉢を撤去すれば地面に別の植物を植えることが出来る。昨日の最後の写真は慌ただしく菊の鉢を撤去した様子がわかるが、鉢が並んでいた場所には無数の白菊の花弁が散らばっていて、まだ咲き続けるものを処分したことがわかる。そういうところが西院らしいと言えば差別になるが、菊のイメージのために倒れたままの花も持ち帰るべきではないか。その思いがあって昨日の4枚目の写真を撮った。その菊は命の半ばで途絶えた様子を思わせ、痛々しい。さてそこで昨日の続きを書くが、「菊花の約」は長寿の象徴であるはずの菊が、短命に終わったふたりの男の想い合いに適用されている。これはどういうことか。そこに戦時中のたとえば特攻隊の若者の命を見ることを秋成は想像もしなかったはずだが、宣長の国学が国粋主義につながり、やがて戦争を惹き起こして多くの若者が短命で散ることをこの小説はどことなくかすかに暗示させていることを感じる。特攻隊の若者たちが犬死したという考えを筆者は取らない。上官たちはぬくぬくとした場所で命を長らえたとしても、それは別の話で、命を賭けた行為は尊い。「菊花の約」における菊花を短命と捉える秋成の行為は、それこそ赤穴と左門は浅薄な罰当たり者と捉える人の考えの根拠になるかもしれないが、筆者は左門の母の存在が案外大きいことを思う。彼女は50歳くらいと思うが、当時としては老婆だろう。
 左門が帰宅しなくても母は長生きするはずで、彼女は左門と赤穴の「菊花の約」を目撃したことを反芻し続ける。その意味で菊花は長寿であり、また実際その小説は長年読み続けられている。つまり主人公にふたりは短命であったがゆえに長寿を得た。ここが大事だ。浅薄な人は長生きしても何も残しようがない。左門は母にことづけてすぐに旅立ち、寝食を忘れて出雲に着き、丹治に会って赤穴の自刃を言うと、丹治はなぜそのことを知っているのかと不思議がる。この亡霊の存在、その怨念は、『雨月物語』の重大な思想だ。作り話であるので、また亡霊を信じない人は、「菊花の約」をおおげさな娯楽話と受け取る。そういう人が浅薄かどうかは問わないが、秋成は神を信じ、霊があると思っていた。筆者は霊感が乏しいが、霊感をあると言う人を否定しない。家内の母は若い頃から霊感があったらしく、よく人から占いを請われた。また従兄が亡くなる1日前に夢枕に現われたそうで、親しい間柄にはそういうことはあるのだろう。左門が信じて待ち続けた「重陽の節句」の深夜についに死んで亡霊となった赤穴がやって来たことはあり得ないことではない。それが左門の思い込みであったとしても現実に(小説のうえでの)赤穴は死んでいたのであるから、左門と赤穴の精神的な強いつながりは補強される。浅薄な人にはそういう親しき人の霊が見えることはあり得ず、つまりこの小説が理解出来ずに、赤穴と左門こそが浅薄と考える。そういう見方をするであろう人が多いことを見越して、秋成は冒頭と結末に浅薄な人について言及した。繰り返すと、赤穴と左門を浅薄と考える意見の根拠は、赤穴が左門との約束を守ることはさほど重要でなく、もっとほかにやることがあった、またそれをこなしてからでも左門は納得したはずということ、そして左門が母親ひとり残される不幸を顧みることなく、激高して出雲に走ったことは短絡的で、殺す相手は丹治の新たな主君となった尼子であるはずなのに、真面目に尼子の命令を実行しただけの丹治は迷惑を蒙ったといったところにある。赤穴が重陽の節句に左門の家に戻るという約束は、いわば軽く交わされた。赤穴は左門からしつこく訊ねられるので、思いついた「重陽の節句」を挙げたのだが、約束は一旦交わされるとお互いそれを強固に守るべきものだ。赤穴がいわば適当に9月9日と口約束したからには、約束を破らねばならない立場を強いられれば破っても言い訳が立つと考える人は、それこそ浅薄だ。そういう人はこの小説を味わう資格がない。秋成もそんな人を相手にしたくはなかっただろう。赤穴の自刃の理由は軽いか。自刃したことで左門は丹治を討ち、また尼子は左門が赤穴の亡霊の訪問を受けて丹治を殺しに来たことを知って家来に後を追わせなかった。赤穴と左門の間に信義、あるいは仁義と言い替えてもいいが、それを見たのだ。それは武士の精神ではないか。
●「玄関の 脇を彩る 菊の花 家人の世話に 契る姿や」_d0053294_18201464.jpg これはどこで読んだか忘れたが、秋成が生きた時代、ある事件に秋成は関心を持った。ある貧しい武士が大きな商家にひとり娘を嫁がせたが、彼女はすぐに実家に戻らされた。その理由は伝えられず、武士の父親は娘の首を切り落とし、それを布に包ませて嫁ぎ先の商家に送り届けさせた。そのことは当時大いに話題になって、秋成はその武士を一目見たがったようだが小説にはしていない。武士の娘がなぜ出戻りさせられたかはわからずとも、どういう理由であれ、役立たずとして見限られ、傷物にされたからには、父親は改めてその首を輿入れさせるつもりであったのだろう。これは金持ちを笠に着る商売人に対するせめての武士の矜持だ。そこに秋成は瞠目した。現代であればこの父は娘を殺した罪で服役させられるが、最初に殺したのは商家であって、父はその後始末をしただけと言える。今なら父は殺人罪で逮捕されるが、当時は殺された娘は父の怒りの矛先を受け入れたはずで、それほど潔い精神がまだあった。ところがそれを今はただの狂気による暴力で、しかるべきところに訴えれば済む話ではないかとしたり顔で意見する。その訴えるべき場所が機能せず、腐敗もしているとすれば、私怨は自分で晴らすしかない。秋成が生きた時代と今はほとんど差はないと見ることも出来る。浅薄な人ばかりが目立ち、それで秋成はそういう人とは距離を取った。どうせ理解してもらえるはずがなく、ならば好きなように生きる。自分の人生に責任を持つとはそういうことだ。飢えたところで仕方がない。ただし秋成を慕う人も多く、援助者もいた。赤穴や左門のように激しく生きることは誰にでも出来ることではないが、ふたりの間にあった交友の情は誰しも密かに求めながらほとんどが縁なきもので、その点は秋成も同じであった。それでも浅薄な人にならないように努めることは大事で、慕い慕われる人物になること以上の美しさはこの世にはないと信じる。2枚目の写真は花弁が糸のように細い嵯峨菊で、速水御舟がこの品種を精細に描いている。嵯峨菊を本場の嵯峨で見かけることは案外少ない。この写真よりもっと形のよい嵯峨菊が嵯峨の三条通り沿いのあまり裕福でなさそうな家の玄関脇にあって、筆者は何度か立ち止まって眺めた。神戸菊花展にも嵯峨菊は出品され、なくてはならない品種になっているようだ。前述の知り合いによれば、支柱の具合で咲き具合が大きく異なり、面倒だそうだ。か弱いイメージがあるのでそのことはわかるが、そのか弱さが魅力だ。秋成はどういう菊を好んだか。充分に手入れされた園芸種ではなく、野に咲く小菊ではなかったかと思う。赤穴や左門にふさわしい菊は在野であらねばならない。時折りそういう小菊ではっとさせられる美しさをたたえたものを見かける。その菊の周囲に漂っている清らかな気配は他の花にはないものだ。
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by uuuzen | 2021-12-08 23:59 | ●新・嵐山だより
●「交差点 歩道に花壇 珍しや... >> << ●「紅葉狩り 飾り造花の 鮮や...

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