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●「枯れてなお 花色深き 鶏頭の 不動が並ぶ 姿逞し」
裾には 噴火口あり 富士の山 いつかいかつは 不治の病か」、「癇癪を 破裂させぬと 監視役 吾はへらへら 妻のてのひら」、「整いの 陰に世話人 あるを知り やっと大人の 常識人に」、「もう終わり また来年と 待つはよし 生は待つこと 待てば生あり」



●「枯れてなお 花色深き 鶏頭の 不動が並ぶ 姿逞し」_d0053294_14383095.jpg ここ2,3日、急な仕事で根を詰めた。今日は染色工場に反物を持参し、明後日からまた数日は神経を使う仕事となる。昨日から咳が出始め、それが収まらない。窓を開けてはいたが、仕事で喉にはよくない薬品をたっぷりと使い、その蒸気を2時間ほど吸い続けたからだろう。それに寒さも手伝った。先日上田秋成の「菊花の約(ちぎり)」について少し触れた後、ずっとその小説が気になっている。毎年秋に読んでいたその本を探すも、案の定見つからない。また見つかっても仕事が忙しく、読み返す暇がないので、今日は別の本に半ば頼って書く。10年ほど前に買った植田一夫著『雨月物語の研究』だ。隣家に行ってその本を取って来た。これは浅野三平著『上田秋成の研究』という分厚い本やその他の秋成研究本と目立つ棚に置いていて、その置き場所が真っ暗でも探し当てられる。植田は大阪生まれで、秋成と同じ「うえだ」であることも秋成研究に進んだ契機になっているのかもしれない。それはさておき、植田の同著における「菊花の約」の章は、秋成が「菊花の約」の冒頭と最後に書く、「浅薄な人」が誰を指すのかという議論から始まる。あまりに面白いので家内に読ませたほどで、筆者は全面的にこの著者の意見に賛同する。植田に反論する論文はその後出ているはずだが、秋成が何を重視してこの物語を書いたかに思いを馳せるべきだ。それは秋成の人柄を愛するかそうでないかというところに行き着く問題でもある。筆者は秋成がどういう顔をしていていたかを、遺されている像や肖像画によって昔からしばしば想像し、それなりに確定させている。そしてその秋成のそばに自分が立つ姿を思うこともよくある。もちろん尊敬する人として眩しく思うからだ。そこでふと考えるのは、秋成が「菊花の約」における自刃して亡霊となる赤穴(あかな)宗右衛門で、赤穴の無念を果たすべく、赤穴を幽閉した丹治を殺すために出雲に駆けつける青年学者の左門が筆者という師弟関係のなぞらえ、置き換えだ。秋成の亡霊は、その著作を読むと誰の前にも瞬時に現われる。後はどれほど魅せられるかどうかだ。赤穴と左門こそが秋成の言う浅薄な人物の代表という読み解きは、日本がますます儒教を嫌悪し、血も涙もない功利主義を称え、それが幅を利かせている風潮と軌を一にすると思うが、作品の読み解きが時代の変化によって正反対になることは、作品が古典となり、優れているからと言える一方、秋成の思いとは正反対な、つまり作品を誤解することを秋成ならどう思うかという怒りの混じった考えが去らない。とはいえ今日は少々別の角度から書く。
●「枯れてなお 花色深き 鶏頭の 不動が並ぶ 姿逞し」_d0053294_14385336.jpg 今日の3枚の写真は以前紹介した右京警察西100メートル、三条通り沿いの久留米鶏頭で、最初は11月10日、2枚目は22日、3枚目は29日に撮った。世話する老婆と去年立ち話をし、見事に咲いていることを言うと彼女は喜び、それで今年も植えたのかと思うが、自転車でたまに通りがかる筆者が彼女と会う機会はこれまでの経験から20回に一度の確率なるか。彼女は筆者が鶏頭の写真を撮り、こうして投稿していることを知らず、さらには「菊花の約」に絡めて書くことも想像しない。左門の母親は左門の妹を嫁がせ、妹はそれなりに幸福な家庭を築いていることがほのめかされる。左門は清貧を愛し、学問を続けているが、それが出世の役に立っていない。生活の資は母親の機織りで、秋成は孟子の母の故事を挙げて左門とその母の関係を書く。そこに近江から出雲に行く途中、加古川で行き倒れになった赤穴を世話することで、左門は赤穴を慕い、母は「息子は才能がないので兄として指導してほしい」と言う。この母の側に立った読み解きは、たとえば左門は親不孝であるというものがある。母のことを思えば、丹治を討つために出雲に行くことは浅薄な決断と言うのだが、儒学の書を含めて家の中で母の収入に頼りながら勉強ばかりして来た左門は、赤穴と出会うことによって、そして赤穴の悲しい亡霊と対面することによって初めて家を飛び出て仇討ちを目指す。この仇討ちの場面はこの小説の原案となった中国の小説になく、それもあって重視しない研究家がある。筆者はその意見に反対で、この仇討ちの場面にいつも涙を流す。その行為は亡霊の訪問への呼応で、左門が出雲に行って丹治に会い、彼を殺さねば物語は成立しない。左門は母に赤穴の亡霊が会いに来たことを告げてから旅立つ。その時、母はついに息子が一人前の男になる日がやって来たと、悲しみつつも喜んだに違いない。学問が役立たなかったような息子だが、そうではない。その学問によって赤穴と精神が響き合ったのであり、赤穴の亡霊を鎮めるためには左門は行動せねばならず、その絶好の機会が訪れた。確かに左門が学問してどこかの藩のお抱えになって禄を食めるようになることが理想であろうが、左門はその機会を逸し、母はおそらくそれを知っていた。ところが赤穴との出会いによってそのまま腐らず、学問が教える信義を身を持って実行する機を得た。それはあまりの激情に駆られてのことかもしれず、植木はそれを「情熱」と書くが、左門の母は息子が赤穴との出会いでそれを持っていたことを知り、たとえ左門がその後自刃しても恨みを覚えることはなかったはずだ。左門が丹治を討つために家を飛び出ることがなければ、つまり母と以前同様慎ましく暮らすのであれば、そもそも赤穴は亡霊にならなかったし、菊花の約もなかった。そういう浅薄な人が左門や赤穴を嗤う。今日の写真の鶏頭を世話する女性は何となく左門の母を思わせた。
●「枯れてなお 花色深き 鶏頭の 不動が並ぶ 姿逞し」_d0053294_14392080.jpg

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by uuuzen | 2021-12-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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