「
轢く音を 狙って走る 自転車の タイヤ当たりの 枯れプラタナス」、「自転車で 踏めばクシャリと プラタナス ゴッホの描く 枯れ葉思いつ」、「刈った柴 役に立たずに 焼き場行き 思えば人も 同じさだめや」、「折に触れ 集めまとめる 柴の山 燃やすと知りつ 束を整え」
この調子ではシリーズ投稿になるかも。
同じ題名で最初に投稿したのは去年6月、
二度目は今年5月であった。毎月一度回収されていた枯木の束は半年に一度となった。何度も報道されているように京都市の財政は危機的で、ゴミや廃品の回収サーヴィスも激減した。「風風の湯」の常連の85Mさんによれば、市バスの敬老パスは最低ランクが年間3000円で、来年から3倍、その翌年には5倍になると言う。1日乗り放題チケットが700円なので、再来年からは月に最低二度利用してとんとんの計算だ。高齢になると出かけるのが億劫になるが、一方ではすることがないので積極的に市バスに乗る人もいる。とりあえず申し込んでおこうという人が多数派のはずだ。そのことによって少しでも市の財政が好転すればいいが、Fさんは「老人をいじめても微々たる税収で、根本的に徴収すべきところがある」と手厳しい。話を戻して、今日が半年ぶりの枯れ枝の回収日であった。陶器や電池、雑誌など、持って行ってくれるものはほかにもあるが、布団や大型家具は駄目だ。半年の間、何度も今日の回収日を確認しながら、裏庭のさまざまな木の剪定枝を少しずつ束ねて来たが、きつく縛ったつもりが必ずガサガサになって隙間が出来る。そこに新たに差し込み、強固かつ太くして行くのだが、枯木なので思ったほどの重量はない。それが4束出来た。一家に2束限定で長さ50センチまでとされているが、束ねから飛び出る枝がある。筆者は計ったことがなく、70センチほどの枝がよく混じる。最近家内の両手が神経痛であまり動かなくなり、手伝ってもらえないので筆者ひとりで二度に分けて折り畳みのカートに載せて持参することにし、その前に4束を並べて撮影した。一番乗りで小学校前に着くと、1,2分後に回収の軽自動車が2,3台やって来た。すぐに家に戻って残り2束を同じようにして持って行くと、同じように駆けつける数人と出会った。有料のゴミ袋に入れて毎週の回収日に出してもいいが、枝は袋を突き破って思うほど入らない。それに他のゴミと一緒にするのが嫌なのだ。一緒に焼却されることはわかっているが、柴には柴の矜持がある。それを満たせてやるべきではないか。回収は1時間が指定され、役所仕事で少しでも遅れると持って行ってもらえないだろう。二度目は平安講社の護摩木と代金を役員に持参することもあって最初の時から30分後になった。先とは違う男性が筆者を見ながら「さっき持って来たんとちゃんうか?」とタメ口で訊いた。「隣家の分」と答えて引き取ってもらったが、実際に2軒分だ。『文句あっか?』
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