「
略図では 誤解の多き 知らぬ土地 スマホ持たぬは 略され人や」、「たまたまを 玉と言いたき 出会いあり それを信じて アプリに嵌る」、「調べれば 昔がわかり 今も知る ネット世界の 点を転々」、「かりそめと 思えばさびし 出会いゆえ 写真捨てずに いずれは処分」

今日は昨日の続き。出かける前に花隈駅から相楽園までの経路を頭に叩き込み、一方家内は兵庫県立美術館で筆者が調べものをしている間に三宮を中心とした無料の観光地図を手に入れていたので、迷うはずがないのに、相変らず遠回りをした。昨日の祠を撮った後、東に向かうべきが反対方向に歩き、やがておかしいことに気づいた。その途中で現われたのが今日の最初の関帝廟だ。長崎や東京に孔子廟があり、神戸に関羽帝の廟があることは不思議でないが、予期せぬ時に色鮮やかな派手な建物が出現したことにいささか驚いた。無料で入れるようで、また玄関奧に関羽になり切って撮影出来る顔出し看板があったが、玄関の屋根に監視カメラがこちらを向いていて、写真を1枚だけ撮ってさらに西に向かった。すると道路向こうに大きな鳥居と長い石の階段、「熊野神社」を記す石碑があった。神戸に熊野神社があることは意外だ。昨日書いた岡山に本山のある日蓮宗の寺を思い合せば、神戸は岡山と大阪京都の間にあることに納得が行く。階段を上ってお詣りしてもよかったが、午後3時頃で先を急ぐ必要がある。それに坂道を歩き続けて来た身としては長い階段は避けたい。鳥居を正面に写真を撮っていると、数人の児童が階段横の坂を騒ぎながら上って行った。先ほど調べると、その道は高台の小学校に通じている。熊野神社のすぐ背後に学校があって、その校庭は昔は神社の境内であったかもしれない。境内の写真はネットに出ているが、港方面への見晴らしはいいはずで、それを思えば階段を上っておくべきであった。再訪する目的が出来たことにしておこう。それで今日の投稿は羊頭狗肉で、改めてこの熊野神社については書くかもしれない。2枚目の写真を撮っている時、児童たちとは反対に坂を下りて来る男性がいた。児童たちの姿を意識して写真に収め、先ほど写真を加工する時、彼らの元気のいい姿を収めたことは遭遇記念になったと思い返した。トリミングの際、鳥居を写真中央から少しずらしてでも写真に収めたかったのは、児童たちとは反対にこちらに向かって坂を下りて来る40歳ほどの男性で、黄色っぽい上着姿で写真右端に写っている。撮ってすぐ、筆者は信号を待とうとする彼をつまかえて相楽園はどこかと訊ねた。関帝廟の前から来たと言うと、相楽園はその東で、また道は一直線ではなく、上がっては下りるを何度かしなければならないと笑顔で言った。気持ちのいい人で、筆者らを遠方からの旅行者と思ったのだろう。彼に会わねばもう2,30分は迷ったかもしれない。それほどに道を歩いている人を見かけず、店もなかった。

神戸の道路はひしゃげた碁盤目状に近いが、前述のように一直線に進んで北か南に行くと相楽園があるという厳密な碁盤目状ではなく、行き止まりも斜めの道もある。西に向かって歩き始めると、筆者の後方すなわち坂の下にいる家内はいつものごとく怒り心頭で、「もう帰る!」と言い、筆者が神戸特有の坂道を上って行くのに対して坂をそのまま下って行ってついに姿が見えなくなった。筆者は家内に相楽園へ行くことは言っておらず、伝えていたにしても家内もその場所を知らない。また筆者は財布を持っていないので、電車の一日乗車券で家に帰ることは出来ても、相楽園には入れない。家内が筆者の方向音痴に呆れ果ててひとりで帰ると言い出すのは毎度のことだ。家内と別れた後、家内は筆者が進んでいる西への道のひとつかふたつ南の同じ方向の道を歩いていると想像し、次の四つ辻に出た時に立ち止まって坂下の遠くに家内の姿が見えると踏んだが、そうではなかった。仕方なしに先に進み、ついに相楽園とわかる長い土塀の端に至った時に後ろを向くと、家内の小さな姿が見えた。当日は他の歩行者はほとんどおらず、家内は筆者から100メートル以上離れても見分けがついた。一緒に歩けばいいものをわざわざ坂道を下りて姿を消し、また戻って筆者を追ったので、家内は筆者より数百メートルの坂道をよけいに歩いている。家内が帰ると言い出すのはひとつの馴染みの行事で、老夫婦のじゃれ合いだ。不機嫌は半分はポーズで、相楽園に入ると一気に機嫌はよくなった。さてネットで調べたことを書いておく。関帝廟の前身は黄檗宗萬福寺の末寺で、明治半ばに大阪布施から中国人が遷座させ、戦時中に関帝を祀った。それが空襲で焼け、中国人の有志が土地を買い取り、関帝廟を建てた。仏教ではなく道教の寺院だが、神仏習合の日蓮宗の寺院が近くにあることを思えば神戸らしさを体現している。熊野神社については、花隈駅付近の地図を見ていて気になったことがある。花隈西口から北(厳密には北西)に延びる宇治川線という大きな道路で、これは宇治川に因む名称だが、黄檗宗本山の萬福寺のある京都の「宇治」と関係があるのか。WIKIPEDIAによればそうではないらしい。神戸の「宇治」もそうとう歴史が古く、8世紀前半の行基時代に記録がある。また福原遷都に際して平安貴族がこの地に別荘を設け、また現在の熊野神社の地に「宇治新亭」と呼ばれる邸宅を建て、天皇が泊まったこともある。この熊野神社はこの地の物部氏の創建で、福原遷都の際に再建された。神戸から熊野三山に詣でるのは今なら電車か道路が早いが、それらがなかった時代、陸路の西国街道を大坂まで出るのではなく、船を使ったかもしれない。関西空港を現在の地に決定する時、昔筆者が勤務していた設計コンサル会社の家内がいた課では、泉州沖か神戸沖かどちらにすればいいかの基礎調査を受注していた。神戸は案外和歌山に近い。
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