「
搬び出し 搬び入れるに つごうよき 小さな神輿 飾りは豪華」、「古シャツの 外れたボタン 縫いつける 冬が間近な 午後の日向で」、「知らぬ土地 勘で歩いて 遠回り ブログのネタを 得たと言い訳」、「親切な 人に会えれば 旅楽し 人に親切 心がければ」

先月末に神戸に出かけた際、多くの写真を撮った。それら全部をブログで紹介するのに最低でも10日は要する。それでどれかが没になる可能性が高いが、撮った順に紹介して行くのがいいと考え、それで一昨日はヨドコウ迎賓館での展覧会について書いた。その後は兵庫県立美術館に行き、展覧会は見ずに図書室で調べものをした。その次は三宮の中華料理店で食事し、花隈に出た。行き先は家内に言わない。「黙って就いて来い」と言えば勇ましいが、実際は行き先を言うと、必ず、絶対に家内は「そんなところには関心がない」と言う。それで話をはぐらかしながら、筆者は目的地を目指すが、これがまたたいていは道に迷う。ところで先日
実をつけている街路樹のカリンの木の写真を紹介したが、その写真の左端に少し見える土塀は相楽園のものだ。三宮から花隈まで電車で出たのはそこへ行きたかったからだ。花隈駅は初めて降りた。同駅の西口から地上に出たが、これが間違いであったことを帰りがけに気づいた。また西口は無人で、出口までの仕組みがややこしく、エレヴェーターを3回乗り換えた。昼間はまだしも、夜は物騒だろう。駅のすぐ近くにある県庁付近を歩くのは久しぶりで、40数年ぶりだ。兵庫県庁には昔大阪の設計会社に勤務している時、二、三度ひとりで打ち合わせに出かけたことがある。筆者より10歳ほど年長であったその相手の男性は河川課の職員で、技術畑らしく、真面目で賢く、また筆者にとても優しかった。人生にそう何度も出会わないような人徳を感じて、その人の雰囲気を今も鮮明に覚えている。『雨月物語』の「菊花の約」に出て来るような侍と言えばいいか、筆者もそうありたいと思いつつ、育ちが邪魔をする。花隈は村上華岳が京都から移住して死ぬまで暮らした地で、今は戦前の木造の立派な屋敷が並ぶ面影はすっかりない。それどころかどこもかしこも隙間なくマンションが建ち、緑は少なく人口密度が高い。そのゆえに相楽園がその欠点を補っている形だ。そういうマンション住めば通勤は便利だが、神戸の坂はきついこともあって、筆者は御免だ。自分で運転する車椅子を利用するのが無理な場所が多く、高齢者は住みにくいだろう。村上華岳の家があった場所は調べればわかるだろう。たぶんこの辺りかと思いながら坂を上りながら、右手すなわち東に延びる道を見通した。華岳が住んだ頃は花柳街があったとのことで、その雰囲気は残っているのではないか。そんなことを思いながら、まず石造りの浄土真宗の本願寺別院が現われた。外観は写真か何かで見たことがある。レトロで貫禄のある、そしてどこか陰気臭い雰囲気は周辺を圧している。

その北隣りのビルの1階に銭湯があった。立派な構えで、京都の下町とは大違いと家内と言い合った。通りすがりに暖簾の下から奧が見えた。湯上りの、若い頃は水商売をしていたような80歳間近らしき女性がひとり靴を履いて立ち上がろうとしていた。目が合ったのは1秒未満であるのに、5,6秒に感じられた。それだけ彼女は筆者と家内とどこの誰かと訝ったようで、鋭さがあった。また前は急な坂であるので、プサンの街のように、真冬の道路が凍るような時は老人が歩くのは大変だと思った。次に「隈病院」があり、「花隈」の「花」は花柳のそれかと思ったが、まだ調べていない。病院を過ぎると前方の四つ辻の角に空に聳える大きな石像が見えた。日蓮の像であることは一目瞭然で、辻の北西角はその境内であった。ということは筆者らが歩いている道は京都で言えば寺町通りに相当するか。とはいえ、まだ寺はふたつで、先にあるかどうかはわからない。日蓮宗の寺院の土塀がしばし続き、それが途切れてすぐ、今日の写真の祠があった。神戸でこういう小さな神社は珍しいのではないか。京都には歩道ぎりぎりにこうした小さな社や地蔵の祠はよく見かけるが、坂道の途中、しかも周囲に木造建築が皆無と言っていい洒落た神戸の街中では一種異様な迫力めいたものがある。鳥居があるので神社だが、篇額には「最上位経王大菩薩」と書かれ、寺を意味する。これは筆者の知る限りは京都で見かけない。先ほど調べると、神仏習合とのことだ。伏見稲荷、豊川稲荷、そして岡山市内にある最上稲荷が三大稲荷とされ、最上稲荷は明治の廃仏棄釈の被害を受けず、神仏習合の祭祀が許可されたそうだ。最上稲荷の正式名称は最上稲荷山妙教寺で、日蓮宗の寺だ。前述の日蓮像のある寺はその本山の妙教寺の末寺なのだろう。興味深いのは岡山との距離で、神戸は大阪や京都よりも姫路や岡山に関係が深いと見える。そう言えば当日の夕方、筆者らは元町から三宮の商店街を歩き、その時家内は電車の1日乗車券を拾った。それは姫路から三宮までの区間が乗り放題のもので、姫路の若者が神戸に遊びに来たのだろう。それを落として帰りは切符を買う必要に迫られたが、神戸姫路は1000円はしないだろう。話を戻して、「最上位経王大菩薩」は境内の北西角、歩行者が参拝出来るように設けられ、観光客は珍しいものと思って目に留めるだろう。大きな鳥居の奧にミニ鳥居が三つあり、3枚目の写真では奧のミニ社殿の中央に直径5センチほどの神鏡が光っている。狐の像が置かれないのは同じ稲荷でも別系統との考えからか。また寺であればこのカテゴリーに投稿することはひとまず避けるべきだが、神仏習合の珍しい例だ。道を間違えて見かけたもので、たぶんもうこの前を通らないが、ちょっとした旅行気分になれたので季節のよい時に阪急阪神一日乗車券を買って再訪するのもよい。その時はついでに前述の銭湯に入る。

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