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●『カサブランカ』
み行く 花のそばには 蕾あり 咲いては散るを 思う夕暮れ」、「間に合うと 思いつ過ぎる こと増えて 手遅れ知りつ それもいいかと」、「なるように なるしかないと 年重ね 何にもなれず 悔しくもなし」、「一か八 小さく賭ける こともなき つまらぬ人の 夢は大きく」



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今日取り上げる映画は7月1日にTVで放送され、家内が録画していた。この映画を過去に二度見た。たぶん30年かもっと久しぶりに改めて見たので感想を書いておく。本作に対する思いは昔見た時と全く変わっておらず、また肝心な箇所はより意識するようになっている。今日はそのことについて書く。その前に『無法松の一生』で書かなかったことを。一昨日ようやく眞子さん夫婦が渡米した。その直前に夫の母親の金銭問題のひとつが解決したようだ。その機会を逃せば問題は日米でややこしくなるし、眞子さんの夫は弁護士であるから、週刊誌を通じて訴えていた男性はぎりぎり最後の機会と思ったのだろう。今後その男性がさらに週刊誌にネタを売れば眞子さん側から訴訟を起こされかねない。その話はいいとして、『無法松の一生』の主人公の松五郎は未亡人の幼ない敏雄の面倒をことあるごとに買って出たうえ、未亡人に愛する思いを告げず、大金を敏雄名義で遺して死んだ。そのことを眞子さんの結婚相手の母子を金銭的に援助した男性と比べてしまう。その男性の容貌は紳士的だそうだが、松五郎とではどちらが真の紳士か。筆者は眞子さんの結婚問題がTVやSNSなどで盛んに報じられ、週刊誌に情報を流し続けた顔も名前もわからないその男性の行為に疑問が抱かれないことに、有力政治家の陰謀ではないかと疑ったが、そのことは別にして、一度は金銭の返還を求めないと言ったその男性がなぜ思いを変えて情報を週刊誌に洩らしたのか、同じ男として理解出来ない。週刊誌の記者からいくらもらったのかという下衆な話にしたくはないが、金をもらってないにしても、一時は未亡人とその男子を世話することで自分も楽しく過ごした記憶を、なぜ美しいままにしておかなかったのだろう。400万円を取り戻してうさ晴らしたと思うのであれば、何とけち臭い話か。とはいえ、男性の本性を知らずに援助を受けた母親もそれなりと思ってしまう。男女は似た者同士がくっつくからだ。世間が彼女とその息子を大いに叩いたのは案外そういうことを感じ取ってのことかもしれない。援助した男性の醜聞は聞こえて来ず、どこまでも哀れな被害者として世間では遇され、また借金問題として世間に通し得たことはその男性の思惑どおりだが、その男性や眞子さん、夫やその母も醜聞の渦中にいていわば同類と思われた。ここから得る教訓は、金銭の援助を受ける場合、相手をよくよく見定めるべきことだ。たいていは下心がある。本当は松五郎にもそれがあったと見る人もあろうが、あったとしてそれを穢れたこととして自己を責め続けたことが映画から想像出来る。
 松五郎はあまりに純粋かつ潔癖で、敏雄の母親は松五郎の死をどのように受け取って余生を過ごしたか。また敏雄名義の通帳を敏雄にどのように説明出来るかだが、賢い敏雄は父の次に大事な男として松五郎への感謝を生涯宿すだろう。この美しい記憶というのが人生の最大の価値だ。松五郎はそれを充分に得た。未亡人に憧れ、そのひとり息子の成長を父親代わりに見守り、時々未亡人から相談も受ける。それ以上に望むことは何もないではないか。小説や映画は空想であって、現実にはあり得ないと考える人があるが、事実は小説より奇なりで、松五郎のような人物はいつの時代にもいるだろう。松五郎が慕う未亡人の園井恵子は実に適役で、品がある。その彼女が原爆が原因で若死にしたのであるから、『無法松の一生』はなおさら一度限りの稀有な作品となった。『カサブランカ』は同作の前年、1942年のやはり戦時下の作で、同じく男の格好よい生き方が描かれる。とはいえ、そういう表現は男女同権がうるさく言われる今は時代遅れとされるだろう。中国では韓国や日本の男性アイドルすなわち女性っぽい顔立ちの男を否定し、男は逞しくあらればならないとする文化的鎖国と強制をしつつあるが、女性的男性の人気が高まるのは平和であるからで、戦争になって兵士量産の必要が生じると一瞬にしてなくなると言ってよい。つまり平和を希求する限り、女性的な男の人気が高くなるのは当然なところがある。とはいえ、マッチョ好きの女性はいつの時代もいて、女性的な美しい顔の男性ばかりが愛されるとは限らない。ついでに書いておくと、ミシュレの『女』第2部第3章「最も愛情深いのはどのような男性か?」にこんな下りがある。「プルードンが巧みに述べているが、女性の書いた小説の中で真に男らしい男は描かれたことがないのだ。それらに登場する主人公は男=女なのである。ところで実生活で、娘のために母親が選択し決定するこの結婚という大事件において、彼女たちは小説と同じ様な行動をする。母親たちが好ましいと思うのは、十中八九、男=女なのである。思慮深く品行正しい男である。まず最初に彼女たちは、自分がその男よりもエネルギッシュで男らしいと感じて悦にいる。そういう男なら御しやすいと考えるからだ。だが、しばしば期待はずれになる。精細に欠けて柔和そうなこの人物はたいていの場合腹黒く、目的を達するまではぺこぺこしているが、中身はひどくエゴイストであり、翌日になれば無情、冷淡、不誠実なその本性を現わす。」これを偏見に満ちた時代遅れの考えと言う人は多いだろう。この本にそういう箇所がないとは言えないが、真理がはるかに多い。とはいえ、そもそもミシュレの本を積極的に読もうとする人はミシュレを論破しようなどとは考えず、その意味からすればミシュレの意見は届くべき人には届かず、無駄ということになりかねない。
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 ところが人間は完全に住み分けておらず、たとえば『無法松の一生』や『カサブランカ』の主人公の行動について何も知らない、あるいはもっと現実的な考えを持っている人がそうした映画を見ることはあり得る。そして主人公の生き方を否定したとして、心のどこかにそういう生き方もあるという思いは残り続けるだろう。その伝で言えば、ミシュレの本を引用する筆者のブログも同様で、万にひとりくらいはミシュレを読む人がいるかもしれない。それは筆者にはどうでもいいことだが、筆者自身の考えを書き留めておく場としてこのブログがあるのは幸いだ。『女』の同章の最後にはこうある。「誰であれ自分を力あふれていると感じているもの、つまりみたされ、強く、生産的で、創造的でかつ生みだすものだと感じているものは、(まさしく本物の)真面目な陽気さと勇気と、そしてまた愛の無尽蔵の蓄えを持っているのである。奥様、あなたの娘さんにこの男を与えなさい。常に自分の仕事を凌駕している男、自分の行動に娘さんを引き入れ、自分のめまぐるしい動きに彼女を巻き込む男。こんな男であれば娘さんを愛し、昼も夜もいつ何時でも(この一点こそ肝腎です)、彼女に対して語るべき多くのことを持つに違いありません。」別のところでミシュレはそうした男を「生産し、行動する」と書いていて、これはミシュレ自身のことを言っている。「常に自分の仕事を凌駕」という表現は「大器晩成」に結びつき、年を重ねることは「完成」により近づくことだ。ただしそれは常に考え、持てる技術を磨き続けることが欠かせない。そういう男が真に格好いいのであって、そのほかはみなどうでもいい属性だ。だが、いつの時代も見栄えがよくて口先だけの男が女の人気を得る。それも似た者同士で釣り合いが取れていると思えば、男は自分を振る女に未練たらしくあっては時間の無駄だ。星の数ほどに女はいる。女がそのことを知っていて、真に格好いい男のために一生を捧げるという覚悟を持つことを示しているのが『カサブランカ』だ。ヒロインのイルザを演じるイングリット・バーグマンは当時27歳で、筆者がこれまで見た映画では最も美しい女優の顔のクローズアップが最後に何度か挿入される。物語の展開が素早いので、彼女の揺れ動く心理の読み解きには何度か鑑賞する必要があるが、どの場面も顔の表情のみで内心を巧みに表現し、才能のほどがよくわかる。類稀な美貌だけの女優ではなく、演技に命を賭けた。坂東妻三郎は松五郎を演じるのに命を賭けたと言ったが、同じことは『カサブランカ』の俳優にも言える。また戦時下の生死ぎりぎりの状態に追い込まれていた者たちのドラマであるので、命を賭けたという意味が二重に伝わる。そんな作品を平和な今に見ることは感動が薄いかと言えば、それは戦争を知らない者には比べようのない話で、松五郎のように、こういう物語はあって不思議でないと思うしかない。
●『カサブランカ』_d0053294_00073417.jpg
 ハンフリー・ボガートが演じるリチャード(リック)はパリにいた頃にイルザと出会う。黒人ピアニストやジャズ・シンガーを抱えるクラブの経営者で、一方で弱者を陰で助ける「センチメンタル」なところを持ち合わせていて、男が惚れるという男ぶりだ。パリがナチスに占領されるという直前、お互い素性を知らないリックとエルザはフランスを脱出してカサブランカを経由し、そこからリスボンに行ってアメリカにわたろうとするが、出発の時間になってもイルザは現われなかった。当時リックは37歳の設定だが、実際は当時のボガートは43歳で、その年齢に見えている。イルザはオスロからドイツに出た時、ラズロという反ヒトラー政権の運動家と知り合い、夫婦になる。イルザはラズロの崇高な仕事に心奪われたのだ。だがラズロは捕らえられ、殺されたという報せを受け、イルザはさびしさからリックに出会い、恋愛関係になる。そのようなことは珍しくなかったであろう。リックとパリから出ようという直前、ラズロが生きていることを知り、イルザはリックの待つ駅に行かない。理由のわからないリックはカサブランカに行き、そこでまたクラブを経営する。ある日、ラズロとイルザがその店にやって来る。リスボンから渡米するためだ。ところがそのためには当時のドイツの傀儡政権であったヴィシー政府が認める旅券が必要だ。それはカサブランカでは闇で売買されていて、宝石を売るなどして法外な価格を飲んで入手して渡米する金持ちがいた。たいていはその費用はなく、カサブランカで待ち続けたのだが、戦後彼らがどのように身を振ったかは別の映画で描かれているのだろうか。当時のカサブランカは日本とは関係がなく、また本作にアジア人の登場はない。そのため政治的な内容はさほどぴんと来ず、もっぱらリックとイルザの関係の変化をはらはらしながら見ることになる。待ち合わせ場所にいたリックはイルザから手紙を受け取るが、そこには詳しい理由は何ら書かれていなかった。リックは女に不自由しないようで、カサブランカではもっと若そうな女性がリックに色目を使っているが、靡かないリックに業を煮やして彼女はドイツ兵と仲よくする。同じような娘は当時のパリにもたくさんいて、戦後彼女たちは見せしめとしてパリ市民から頭を坊主にされたニュース映像があるが、日本でも進駐軍と交渉を持った女性はいたし、それは下層階級の女性に限らなかった。戦争に負ければ真っ先に女な被害を受けるか、あるいは進んで身を捧げる道を選ぶ。本作のイルザはそうではなく、どこまでもラズロに就いて行くという一途な女性だ。ではカサブランカでリックが出会った若い女性がドイツ側に寝返ったかと言えば、リックの店でドイツ兵が国歌を歌い始めると、リックの命令でお抱えの楽団はフランスの国歌を奏でる。その時、その女性は合唱に加わる。つまり精神は売っていなかったという設定だ。
 ラズロとイルザがリックの店を訪れる前、リックは知り合いの男から旅券を託されるが、その直後に店の中でその男はドイツ軍に殺されてしまう。リックはドイツ軍から旅券を持っているはずと睨まれるが、旅券をピアノの覆いの下に隠し、誰からも見つからない。ラズロとイルザはリックが旅券を持っている情報を得て、ある夜イルザはリックのもとを訪れ、拳銃で脅しながらそれを手に入れようとする。その時に初めてリックとの待ち合わせ場所に行くことが出来なかった理由や自分の素性を打ち明ける。筆者が長年よく覚えているのは、その時イルザがリックに「女のことはちっぽけな問題だ」と諭すことだ。これは本作では最も重要なセリフとはされていないが、最後の場面からして、本作の大きな主題はリックとイルザのロマンスよりも男が命を賭けて後に続く者のことを思って働くことだ。その信念をイルザはラズロから教わって、それでラズロを渡米させるためには旅券がぜひ必要で、自分のことはどうでもよいと思った。そこまで勇ましい、また夫婦として強靭な絆をイルザに見せつけられると、リックは卑怯者にはなりようがない。元はイルザは人妻で、噂を信じて一時的にリックと恋仲になっただけで、ラズロが生きていると知れば、またふたりで活動を再開するのは当然のことだ。つまりリックはイルザから事情を明かされた時点で腹は決まった。ところが旅券をイルザにわたさず、イルザは銃を向け、結局撃たない。それどころか久しぶりに会ったリックに心を奪われ、もうどうなってもいいと考える。ここで少々わからないのは、旅券は1名分であるはずが、本作のクライマックスでリックは飛行場にいるヴィシー政権の警察署長にラズロ夫妻の名前を記入させることだ。そのことを目の当たりにしてイルザは驚く。ラズロのみを飛行機に乗せると思っていたからだ。離陸するというのにドイツ軍がやって来て、慌ただしい中、リックはイルザ、そしてラズロにそれぞれ事情を説明する。イルザをカサブランカに置けば強制収容所に入ることになり、ラズロの活動にイルザは欠かせないので、一緒に行かせると言う。それどころか、旅券を得るためにイルザはリックに色目を使ったというようなこともラズロに言う。この一部始終を目撃していた日和見主義の署長はリックを「センチメンタル」な男と揶揄する。これはあまりに格好よいことをするリックに向かって、映画を見る客の思いを代弁もしている。だが男は痩せ我慢であってもそういう格好いいことをすることに憧れがある。リックのそのような他人を無条件で助ける様子は他にも描かれる。飛行場に到着したドイツ軍の大佐を銃で殺したリックだが、署長はリックの味方をし、飲もうとした水の瓶に「ヴィシー産」と印刷されているのを見てそれをゴミ箱に入れる。最後の場面は夜霧の飛行場をリックと署長が新たな友情の始まりと話し合いながら去る場面だ。
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 ラズロはいかにも知的な活動家、リックはクラブの経営者で、ふたりは対照的だ。その双方にイルザが恋をしながらラズロを選ぶのは、イングリット・バーグマンの容貌にはふさわしい。もっと言えば、いくら男気のあるリックでも、命を賭けて自由のために戦っている活動家にはかなわないことだ。そのことをリックは充分承知しているゆえに、再会したイルザをラズロとともに逃がした。男として敗北を認めたこともあるが、自分なりに人助けをしたいからだ。リックのイルザとの思い出はパリで一時期暮したことで充分で、人妻の弱みにつけ込んで自分のものにしたいなどとは思わなかった。このことがどれほど現実的かそうでないかは筆者にはわからないが、イルザから旅券がほしいと言われてリックが拒んだ時、前述の「女のことくらいで……」というイルザの言葉はかなりに響いたはずだ。本作の結末が署長とリックの新たな友情の始まりであればなおさらイルザの言葉は重みがある。ラズロがアメリカで活動する際にイルザは支えとなるし、彼女がリックを選んだとして、せいぜいクラブの経営の足しになる程度だ。イルザはそういう個人的な幸福よりももっと大きな役割に目覚めていた。もっと言えばラズロの前ではリックはちっぽけな男だ。この点は『無法松の一生』における吉岡小太郎と松五郎の関係に似る。松五郎にすれば吉岡夫人はあまりの高嶺の花で、その点はリックに対するイルザも同じだ。そのような崇高な女性としての役割をバーグマンは演じ切っている。それほどに稀有な女優で、バーグマンでなければ本作の大ヒットはなかった。26,7歳という、最も美しい頃の彼女の顔がスクリーンいっぱいに映し出される場面を筆者は今回見直さずとも記憶に深く刻んでいる。それは男に惚れて身も心も委ねる女を体現している。そんな彼女が後にロッセリーニに手紙を出し、夫と子を捨てて彼のもとに行くのは想像を絶する大胆さで、普通の不倫女ということになるが、前述のミシュレの『女』からの引用を思えば、彼女は誰よりも才能のある男が好きであったのだ。女優にとって監督は眩しい存在だろう。スウェーデン出身の彼女がイタリアの男を熱烈に求めたことも何となくわかる気がする。そう言えば『サン・ミケーレ物語』を書いたアクセル・ムンテもイタリアに憧れ、カプリ島に住んでそこで死んだ。バーグマンの実像は本作のイルザに重なる。現実の彼女は何度も結婚と離婚を繰り返し、恋多き女として生きた。本作の彼女を見ると男が彼女を巡って争うことは大いに納得出来る。またそういう男たちはもちろんミシュレの言う「常に自分の仕事を凌駕」している格好よさが最低条件だ。そんな男にはふさわしい女がそばにいる。ところで昔はバーグマンを美女の代表と思っていたが、今はあまりそう思わない。彼女よりも美貌や気品ははるかに劣るが、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキの姿を見るのが楽しい。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する

by uuuzen | 2021-11-16 23:59 | ●その他の映画など
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