人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●高麗美術館
25日に北区の高麗美術館に行った。ここで見た企画展と、当日に見た別のふたつの展覧会については後日書く。



●高麗美術館_d0053294_1143431.jpg高麗美術館が開館したのは1988年秋だ。筆者は開館後すぐに訪れた。その後現在まで5、6回訪れた。開館直後、館長の鄭詔文氏のお話を数十人の人々と一緒にこの美術館の中で聞いたことがある。鄭氏は在日朝鮮人でパチンコ屋や飲み屋を経営しながら、朝鮮の美術品を収集し、それらを展示するための美術館を本当は本国に設けるのが一番だが、南北に分断しているうえ、どちらの国家もたいして美術文化に関心がないのを見て、結局京都の自宅近くに建てることにした。確かそのような話で、しかも北朝鮮も韓国もお互いいがみ合っているとして、政治家を厳しく批判するような調子がこもっていたのが印象的であった。鄭氏が最初に京都の古美術商が集まる古門前町で李朝の白磁壺に関心を抱き、それを月賦で買ったのは昭和24年頃だったという。これはたいした炯眼だ。当時はまだまだ日本は貧しかったし、ましてや在日朝鮮人の暮らしとなると推して知るべしで、そんな生活の中で故国の陶磁器に目を奪われ、それを実際に購入するというのは、後年の鄭氏の収集ぶり、そして朝鮮文化についての積極的な意見の発表ぶりをよく予告する。美術品は確かにお金がなくては買えないが、いつも書くように大金持ちでも美術に何の関心を抱かない人々の方が多い。美術品を買うのは経済的な問題ではなく、むしろ関心があるかないに左右される。美術に関心があっても買わない人の方が断然多いし、またたくさん買うから美術に造詣が深いとも言えないので、買う買わないはあまり問題ではないが、それでもまず何か小さなものから買ってみることを始めると、また見方も変わって来る。そしてなるべく身銭を切って買う方がよいと思う。筆者が初めてシュマイサーの大きな版画を買ったのは20年近く前だが、その頃の筆者の月収に近い金額がした。それでもほしくてたまらなかった。その後何枚も入手したが、最初に買ったものには特別の愛着がある。また版画だけではなくて、もっと高額な江戸時代の絵画をここ何年かは集中的に買っていて、それが全部でどれだけあるか自分でもわからないほどになっている。ま、それはいいとして、鄭氏が朝鮮の美術品をその後どのようにして次々と購入して行ったかの物語については知らないが、商売で得たかなりの金額を費やしたであろう。それは優品がまだ比較的市場にたくさん出回る頃に目をつけていたのがよかったとも言える。
 たとえば李朝の家具が一時かなりのブームになってことがあるが、鄭氏はすでにその頃にはたくさんの数を集めていたはずだ。先日ポジャギ展について書いた時、許東華氏が1960年代に刺繍屏風に出会って収集を始めたことに触れた。その後氏はポジャギを集めることになるが、鄭氏がたとえば刺繍屏風やポジャギの美しさを知ったのはもっと前のことではないだろうか。高麗美術館には刺繍屏風もポジャギも所蔵されており、それらは許氏の所有品に全く引けを取らない風格のあるものだ。鄭氏は京都あるいは日本の古美術店からだけではなく、入札会に臨んだり、ひょっとすれば韓国にまで視野を広げて出物を漁っていた可能性はある。日本の古美術店では柳宗悦以来の李朝モノのある程度の市場があって、それなりに優品が買える状態にあったはずだが、それらは当然日本の収集家に好まれるようなものが中心になっているし、そこから洩れた美術、民芸品となると韓国にまで行く必要があったろう。また、まだ1960年代の韓国では古美術品の市場が民間に大きく広まってはおらず、比較的安価でいいものが買えたと思う。許氏がポジャギを集中して収集したのは恐らく70年代になってからで、眼力とそれなりの資金があればいくらでも将来美術館入りしそうな品物が買えたことを示す。そのことは大抵の美術に関心のある人もよくわかっているのだが、日々の生活に追われていると、その美術品としてはわずかと思える金額の捻出がなかなか出来ない。鄭氏が朝鮮の美術に関心を抱いたのは民族としての自尊心ゆえだが、収集の過程において柳宗悦の民芸がどのように見えていたには少なからず関心がある。柳が朝鮮の民芸を発見して、その保存を美術館設立という形でソウルで運動を起こしたことを鄭氏が知らないはずはなく、ある意味ではそれが大きなヒントにもなって、いずれ美術館を建てて自らの収集品を展示する夢を抱いたことだろう。それはひとりの男の人生としては実に壮大なものと言える。美術品を収集する人はたくさんいるが、それで美術館が出来るほどのクラスとなると珍しい。しかも朝鮮美術となると、もうこれは鄭氏のような在日コリアンしか考えられない。大阪の東洋陶磁美術館の中心となった有名な安宅コレクションがあるが、これは陶磁器に限ってのものであって、鄭氏のようなあらゆる美術品、民芸品を目指したものではない。
 美術館とはいえ、あまり大きなものを期待するのは無理で、閑静な住宅地の一角に2階建てとして建つ。だが、内部の展示室は確か東洋陶磁美術館の内部施設を担当した企業と同じ会社に設計施工をしてもらったはずで、小さいながらも落ち着いた風格がある。こう言って悪いが、いつ行っても他に人が来ていない静けさがまたよい。初代館長は林屋辰三郎で、陶磁器の評論で有名な人だが、確か京都国立博物館の館長も経験したと思う。開館当初は他に上田正昭、岡部伊都子、森浩一など有名な人物が理事として名を連ねた。現在の館長は上田正昭で、これは当然のことだ。上田正昭は京大教授で、しかも鄭氏が主宰した季刊雑誌『日本のなかの朝鮮文化』にずっと寄稿していた。この雑誌はたまに筆者も見たことがあるが、昭和56(1986)年10月に50号まで続いた。つまり、この雑誌が終わって高麗美術館という形が結晶として生まれた。同誌は司馬遼太郎や金達寿が創刊当初から応援していたもので、そこには古代の日本と朝鮮のつながりをもう一度確認して、相互理解を深めようという知識人たちの地道な活動があった。これは不思議なことだが、日本は昔からたとえば井戸茶碗といった国宝級の朝鮮の陶磁器を愛好する文化がずっと伝えられて来ているのに、明治になっての日韓併合以降、朝鮮に対する蔑視感情が一般化し、今なおそれは続いている。一方でその文化を讃えながらであるので、これは日本人の感情が奇妙に分裂していることを示すが、そういう偏見を覆すためにも『日本のなかの朝鮮文化』の発刊の意味があり、また高麗美術館の設立だったはずだが、それから12年経って21世紀になった途端に、急速に韓国映画やドラマによって韓国の現在の情報が豊かにもたらされるようになった。このことについて墓の中の鄭氏も喜んでいると思うが、大衆文化がまず最初に歓迎された後に、もっと本格的な芸術の紹介が来なくてはならない。そのためのひとつの日本における充実した施設がこの高麗美術館であることは間違いがない。今一度その重要性を認識すべきだろう。
 美術館の2階も展示室になっているが、そこには小さな図書室も兼ねていて多少の蔵書が置かれている。今回興味深かったのは、非売品と記されていた数冊の本だ。ソファに座ってそれらを順に手に取って眺めたが、まず『うれしい! 朝鮮民畫』という展覧会図録が目についた。韓国ソウルの歴史博物館で去年9月に開催されたもので、280ページの厚くて重い本だ。価格が37500ウォンと印刷されていたので日本円で3750円、これは日本の図録の感覚から言えば多少割高だ。それはいいとして、図録の表紙に日本語で「うれしい!」と書いてあることに驚いた。そして中を見ると、ハングルと英語、日本語の3か国表記になっていて、日本の執筆者による論文もあった。序文を担当する韓国人は柳宗悦を李朝民画の発見者と讃えていたが、それほど柳の功績は大きく、韓国でもその名前がよく知られていることを示す。それで、この図録を入手したいと思ったが、韓国でしか購入出来ない。高麗美術館が何冊かを購入して売店に置けばよいのだが。話が前後するが、2階に上がる階段横の壁に2枚のポスターが貼ってあった。右は大津市歴史博物館で開催中の『大津絵の世界』、左が静岡の芹沢銈介美術館で開催中の『朝鮮の民画展』で、このポスターが実によかった。そこに描かれている朝鮮の人々の柔和な姿は単純な線描による漫画に過ぎないようなものだが、いかにも自然の中で幸福な人間の営みを伝えていて、こういう絵を生んだ国、時代というものに憧れを抱く。それは日本でも江戸時代の文人画家が理想としたものにきわめて近いものだが、厳しさよりももっと高貴も平俗も合体したような平和さが見えて懐かしい感じがある。ちょうど仙厓の絵に近い雰囲気を思えばよいが、桃源郷とはそのような絵の世界を指すと思う。それで、2階に上がって『うれしい!…』の図録をパラパラ見ると、そのポスターと同じ作品があった。それは芹沢が収集したものだったのだ。芹沢の型染作品が李朝民画の影響を強く受けているのは言うまでもないが、芹沢は熱心に李朝民画を収集し、今はそれらが静岡の芹沢美術館に所蔵されている。そして『うれしい!…』に出品された民画の所蔵先を確認して行くと、8割以上が東京の日本民藝館、芹沢美術館、高麗美術館、そして倉敷の民藝館から借りて来たものであった。つまり、韓国で李朝民画展を開催するには、日本に大部分を負う必要があるのだ。それは韓国がまだ伝統美術にあまり関心を抱いていない頃に日本がいち早く目をつけて買ったからでもあるが、それほど美術品の収集は時期を逃せばどうしようもないもので、今の韓国がいくらお金にゆとりがあってももはや手遅れなのだ。その意味で、高麗美術館はよくぞ鄭氏が戦後間もない頃から収集を始めたことだと思う。豊かになってから集めるでは遅く、苦しい中からすでに集め始めなければいい美術館は出来ない。これは何事も同じで、ほとんど無の状態からすでに動き始めない限り、将来に大きな実は期待出来ない。
 芹沢美術館における『朝鮮の民画展』は5月下旬まで開催中で、もし図録が作られているのであれば郵送で買うか、あるいは展覧会に行ってもいいかと考えて昨日電話した。だが図録は制作されていなかった。残念だ。それほど李朝民画について関心が日本ではまだ一般的に乏しいことを示す。ごくごくたまに万博の民藝館でも李朝民画展が開催されるが、いずれも図録はない。筆者は昭和54年に開催された『李朝民画展』の図録を所有するが、これはとても珍しいもので古書でもあまりみかけない。講談社が確か分厚い2分冊の李朝民画本を昔出版したが、10万円前後の古書価格となっている。それほど李朝民画に関する図版情報がまだ日本では一般的になっておらず、そのためもあって『うれしい!…』の図録を入手したいと考えている。さて、2階のソファで面白かった本でもう1冊触れておく。それは写真集で、2600円で売店でも買える。モノクロ写真ばかりでこの価格は少し高いが、おそらく日本のどこにも売っていないから、それを考えれば安い。ハングルが読めないが、写真家はボーチャン・クー(Bohnchan Koo)という人で、2冊目の作品集、英語のタイトルは『Mask』だ。その名のとおり、韓国の仮面劇の仮面をそれに応じた衣装を身につけた人物が実際に被り、そしてそれにふさわしい場所に立って写っている。簡単に言えばそれだけのことだが、写真はいずれも素晴らしい。筆者は仮面が好きだが、韓国の仮面はその独特のおおらかさで特に注目している。仮面だけでも造形的に面白いのに、それを昔の衣装をつけて被ると、実際の人物以上に本物らしく見える。これは仮面の表現力が凄いからだが、日本の能面とは全く違う仮面の力をそこに感ずる。たとえば、破戒僧の仮面を被った僧侶がいて、その両隣に美しい仮面のキーセン(妓生)が身を寄せて立っている写真がある。韓国の仮面劇は権力風刺が目的のものが大半だが、破戒僧と若いキーセンの仮面を別々に見てもあまり意味がわからないが、それが実際の仮面劇で用いられるようにして人間が被ると、そこに本物以上の破戒僧とキーセンが出現し、女を買う僧侶という、人間のドロドロとした感情が一気に静かに渦巻く。他の写真も同様だ。実際の韓国の仮面劇をそのまま撮影しても同じような効果が得られそうでいて、ここではカメラマンの指示によってあるポーズをして写っているため、仮面が示すある階級の人々はひとつの典型的表象として凍結した状態で写真に収まっている。日本で同じような写真が考えられるか。動きの少ない能では無理だ。写真にしてもあまり意味はない。文楽ならばかなり近い線まで比肩し得るだろうが、すべてが人形というのではやはり限界がある。韓国には韓国だけにしかない芸術が確かに存在する。だが、そんな文化の紹介が日本に奥深く浸透するのはまだまだ先のことだろう。
by uuuzen | 2006-03-29 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●講義室での映画鑑賞と帰途での... >> << ●『大津絵の世界』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?