「
鰭酒の 好きな先輩 偲びつつ 話に尾鰭 つけずに飲みて」、「講演で 聞いたことみな 忘れても 演者と場所の 記憶留まり」、「あの時の あの人はもう 死んだかも 生きていたとて 面影変わり」、「年一度 知る顔集う ライヴあり 今を感じて 生の意に触れ」

レザニモヲのさあやさんによれば昨夜のザッパロウィンの客数は35人であった。これに演奏メンバーや筆者、「夜想」や食事を用意した「バリバリインドネシア」の人数を含めると50名ほどが地下にいた。コロナが完全に収まっていない状態では多い客数で、去年と比べてもそうであった。全員マスク姿で行儀はよく、筆者も新品のものをつけて出かけたが、演奏が始まる前の1時間のトークでは去年と違ってマスクを外した。今回ザッパニモヲのメンバーとして名古屋から駆けつけたギタリストの紫狂乱さんはマスクにザッパ髭をつけての演奏であったのが、後半はマスクを外した。同じ初参加の東京ザッパラスのメンバーでフルート奏者のイケマンさん(本名は今井)も当初はマスクをし、後半は顎にずらした。後で聞いたところ、フルートは強く息を吹き込み、咥内の飛沫が遠くへ飛びやすいが、不織布のマスクを被せるとかなり妨げられるそうだ。コロナのために今年もザッパニモヲのみの演奏で、時間があまるので筆者が演奏前に1時間話すことになったが、そのことについては明日に回す。ザッパニモヲの演奏は今年3回目で、レパートリーは大半は同じだが、今年はギタリストが変わり、フルートが加わって色合いが変わった。それ以外に演奏技術の進化が見られた。3年目では当然と言えるが、たとえば紫狂乱さんやイマケンさんが加わっての演奏は初めてで、それ相応の練習は欠かせず、東京、名古屋、京都勢が一緒に練習する機会は限られるが、実際昨日が初めての合同練習となった。そこにザッパの曲に対する、平たく言えば愛を前提に、それを共通言語としてすぐに全員が打ち解けられた事実があった。ザッパは演奏メンバーをしばしば変えた。ザッパが雇ったメンバーは200人以上とのことで、ザッパは雇ったメンバー用に曲を書き下す一方、好きな曲を長年にわたって取り上げた。そのため、同じ曲の異なるメンバーのヴァージョンがたくさん存在し、また同じメンバーの違う年の違う演奏もあって、ザッパの曲はザッパが統率したものの、メンバーの自由に任せた部分をかなり含む。そのことからすれば、ザッパニモヲがカヴァー演奏することは、ザッパは知らないにせよ、ザッパへの愛があればザッパ・バンドの演奏とさして変わらないと言ってよい。ただしそこには演奏技術のある一定以上の質は求められる。カヴァー演奏を聴いてザッパのバンドはもっとうまかったと思うことはもちろんあるし、その考えは聴き手の自由だが、ザッパ・バンドの演奏自体が柔軟性を持っていたことを忘れてはならない。つまりザッパ・バンドのメンバー・ソロはザッパニモヲのそれと大差はない。

76年12月にザッパは「サタデイ・ナイト・ライヴ」というTVショーに出演した。その時、同番組のホストの芸人のジョン・ベルーシが侍に扮し、ザッパが指揮するバンドに合わせて即興でビ・バップのリズムに合わせてスキャットで歌った。出鱈目と言えばそうだが、さすがの芸人のベルーシで、リズム感がよく、ほとんど完璧にザッパの難曲を自由解釈している。その演奏は正式にはCD化されていないが、その価値があるほどに面白くて興味深い。ザッパはそのようにいわば素人を演奏に参加させることをとても好んだ。そうしたいくつかの録音はCDに収められた。そこからわかるのは、あえて難解な曲に素人を参加させ、観客を笑わせ、なごませることと、演奏曲がある意味ではかなり出鱈目を含んでも成立することの自信だ。それはザッパのバンドが背後でしっかりと演奏するからだが、その強固な演奏のうえにある程度の自由解釈が載っても作品は成立するという、厳格さと柔軟性を合わせ持ったところがザッパ曲のひとつの特徴だ。その柔軟性は練習を重ねて難易度の高い曲が自在に演奏出来る状態になって初めて可能となるものではあるが、素人の咄嗟の判断が侮れないことをザッパは知っていた。音楽は作曲家が自分の思いを自由に創作し、時に他者に演奏させることで完成を見るが、聴き手を想定した場合、彼らをおいてきぼりにするよりは楽しんでもらうことがどの作曲家にしても理想だろう。ザッパは特にそのことに念を入れた。それはポップないし大衆音楽という俗受け狙いに陥って甘い菓子のようなものになりがちだが、ザッパは自分の好きにやりつつもそれを認める少数の人々がいることを信じていた。ビートルズほどの名声と金持ちになれなくても、それなりに同じ時代のミュージシャンとして食うに困らず、ファンに迎合せずに済む音楽をやり続ける自信を模索しながら人生を全うした。先のジョン・ベルーシとの共演の話を持ち出したのは、ザッパニモヲの演奏にそういう部分があるからとの意味ではない。ザッパの曲は厳格である一方、お笑いも包含し得るほどに万人に開かれていると言いたいのだ。それでザッパは「音楽にユーモアはあるか」という題名のアルバムを作ったことがある。それはますますしゃちこばって骨と皮だけのようになって来ている現代音楽を疑問にも思ったからだろう。万人に開かれているというのは、演奏する意味においてもで、ザッパ曲のカヴァーはクラシック音楽と同様、演奏者の個性の発露の場になる。そしてそういう演奏をザッパは認めたであろう。たとえば昨夜のザッパニモヲの演奏にザッパが参加していればと想像すればよい。それはたまたま旅先での臨時のザッパ・バンドの一形態で、面白い場面があればザッパはその録音を自分のCDに収めたであろう。現実のザッパはいなくても、ザッパ曲を演奏するとそこにザッパが生きている。

今年のザッパニモヲは去年以上にセグウェイで曲をつなげて演奏することに熟達していた。それだけでも見事なもので、中央でドラムを叩くくろみさんは特に演奏を引っ張ろうとする熱意が溢れていた。舞台は7人が乗るには狭く、紫狂乱さんは基本的に舞台下で演奏した。その分他のメンバーを客観視すると言えばいいか、一種の余裕での演奏となった。ギター・ソロの場面がもう少し多いとなおよかったが、ソロはさあやさん、サックスの登さん、そしてイケマンさんも担当するので、ザッパ・バンドのようにギター・ソロが多くを占めるステージにはなりにくい。さあやさんは今年も「ブラック・ページ」を演奏し、後半ほんのわずかひやひやしたが、去年以上にこなれていた。驚いたのはイケマンさんがソロの途中で同曲をかなり素早く奏でたことだ。同曲の鍵盤楽器以外での全メロディのソロはザッパ・バンドにもない。その事実のみでも今年のザッパニモヲはザッパが喜ぶ演奏であったと言える。ヴォーカルのジョーは去年とほとんど同じレパートリーであったことも手伝って、手慣れた歌い方であった。今年の客にザッパをあまり知らない若い人がいたそうだが、せっかくジョーが歌う英語の歌詞はほとんどの人は意味がわからない。そうした人のためにヴォーカル曲は対訳つきの歌詞を印刷して配布してもいいかもしれない。そのことで思いが膨らむのは、遠藤豆千代さんが亡くなったことによってヴォーカル担当がいなくなった「なぞなぞ商会」で、ザッパ曲の歌詞の日本語訳を見て、それを歌う新たな若いヴォーカリストが出て来るかもしれない。ジョーによる最後のメンバー紹介は、ベースのひょーちゃんが舞台の狭い隅に居続けたことに言及し、そこにねぎらいの思いが感じられた。ベースとドラムはバンドの根幹で、ミスは許されない。「ピーチズ・アン・レガリア」で、筆者の聴き間違いか、ほんの一瞬ベースの音が不協和になったが、全体に大きな音ではそうしたことに気づきにくい。その不満は「アイム・ザ・スライム」でのイケマンさんのピッコロに特に感じた。後で訊ねると、とても甲高い音が出るので、あえて小さく吹いたとのことだ。ザッパのどのヴァージョンにピッコロがよく響くかはザッパ・ファンでしかわからないが、逆に言えばザッパの曲を深く知るほどにザッパニモヲの演奏の微妙なところが楽しい。紫狂乱さんはロキシーのアルバムが好きなのだろう。そのジャケット写真ではザッパが腰を落としてメンバーを指す場面が映る。紫狂乱さんはそれと同じ格好を見せた。仕草までカヴァーだ。それほどにザッパは模範の型となっている。3年続いたザッパロウィン、来年はさらに新たな進化に期待したい。そしていつかはドイツのザッパナーレへ日本のバンドとしては初という演奏の機会があればと筆者は考え始めているが、まずはもっと
ザッパロウィン及びザッパニモヲの存在を広く知ってもらうことだ。

スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する 