「
飯抜きの 夜を重ねて 五日経ち 体の重さ 少しも減らず」、「ダンディは 肥えては駄目と 言われしが 吾のどこ見て その言葉かと」、「寒暖の 差があるほどに 鮮やかと 今年も聞きて 紅葉を待つ」、「もみじから 饅頭思う 甘党は 糖を気にしつ 三個頬張り」
コロナの感染者が全国的に激減し、嵐山はコロナ以前の溢れる観光客が戻りつつある。渡月橋北詰めの聖護院八つ橋の店の真横にある電柱の上に定点カメラがあって、
YouTubeで24時間、北方向の車道と歩道の様子が見られる。最も遠方に愛宕山が聳えていて、カメラの角度はひとまず申し分ない。解像度を落としているので人の顔は判別不能だが、筆者は2,3日に一度はその聖護院八つ橋の店の前を歩くので、筆者が映っている間の動画をどうにかパソコンに記録出来ないものかと思うが、スマホならたぶん出来るのだろう。昨夜10時頃、またその動画を見ていると、真っ暗な中、若い男女のカップルのみがいて、その定点カメラの下に立ち、スマホで自分たちの姿を見ている様子がはしゃぎぶりからわかった。筆者は毎年今頃は柿色の薄手の半コートに同じ色の帽子という浮いた姿でスーパーに行くので、動画でもすぐに筆者とわかるはずだ。ハロウィーンではその半コートの背中にジャック・オー・ランタンの表情を黒の紙で切り抜いて貼って歩こうかとアホなことを考えたが、ハロウィーンの当日は家内と神戸に行き、いつものように道に迷った時、通りの向こうの坂道を上って行く親子連れの3歳くらいの男子が羽織る柿色のマントの背中にジャック・オー・ランタンの表情が黒で大きく印刷されていて、みんな同じようなことを考えるのだなと思った。柿色つながりで今日の写真の話。今年の春に嵐山中ノ島公園内の
茶店に飾られる造花の桜の写真を何度か投稿した。半年経って今度はもじみを持ち出した。最初の写真は先月25日で、雨のために休業、2枚目は28日で客がひとり入っている。背後はゴミ収集車だ。嵐山の紅葉はまだ早く、派手な柿色と黄色が混じる造花のもみじが秋の色合いを演出している。同じ造花はスーパーの店内に1か月ほど前から飾られ、秋の味覚の販売促進に一役買っている。春は桜、秋は楓の葉と、この記号化した二種の植物は気候変動がもっと過激にならない限り、今後も日本の春と秋を象徴し続ける。紅葉は黄色になるイチョウも含むが、江戸期の絵画で秋を表現するのにイチョウを代表的に描いた例はほとんどないと思う。そのひとつの理由は葉はきれいでも、それに混じって落ちる実を踏みつけると雲古臭いからではないか。それゆえ筆者はイチョウのウコン色から雲古を連想する。それはさておき11月は嵐山の観光目当ての商売人たちにとって大きなかき入れ時で、ちょうどコロナがなりを潜めたのは救いだろう。筆者は買い物の往復以外は嵐山を散歩せず、前述のYouTubeの定点カメラで渡月橋北の商店街の賑わいを観察している。
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