「
冠が 親の威光の 凡人に 隠しよう無き 嫌われ目つき」、「青空の 雲の形に 心とめ 思い流れて 気づけば雲も」、「断言の 鸚鵡返しは 人の性 顔も名もなし 湧いては消えて」、「政治家が 好きに操る 社会でも 人の思いは 左右は出来ず」
先日ショパン・コンクールで日本人が入賞した。そのニュースをいくつかの番組で見ながらとても気になったことは、グランプリを獲った演奏者が誰かわからなかったことだ。それは異様なことで、日本人受賞者を紹介した後で、「因みにグランプリは〇〇の〇〇でした」と一言添えるだけで済んだ話ではないか。なぜその数秒の時間を惜しむのか。一方で先頃日系アメリカ人がノーベル賞を得たニュースではほとんどどれも漢字の日本名を用いて日本人であるかのように放送していた。メディアは誰に忖度しているのだろう。劣化が著しいと言われるのはそういうところからもわかる。国際感覚の欠如と言い替えてもよいが、それは今に始まったことではない。岡本太郎は晩年、日本のたとえば飛行機の事故でアナウンサーが「日本人の犠牲者はありませんでした」と口にすることに対して呆れていたが、それを今言えば、「日本人であるから日本人の心配をすることはあたりまえで、岡本太郎の考えがおかしいと口を尖らせるに違いない。岡本が言いたかったのは、人間の死に外国人も日本人も差はなく、外国ではわざわざ自国人が何人被害に遭ったかなどを公共放送で言わないということだ。話を戻して、ネットで調べてショパン・コンクールの第1位が中国系カナダ人であることを知った。さらに調べると中国人ないし中国系の演奏者の技術が目立って高く、入賞者は全員彼らということになりかねないこともあって、予選で多くが篩落とされたそうだ。さすがにそこは審査員の忖度が働く。アジア系の躍進はダン・タイソン辺りからだと思うが、彼がグランプリを獲った時、イーヴォ・ポゴレリッチを推したアルゲリッチの思いが通っていたならば、アジア系の躍進はもう少し遅れたかもしれない。当時のポゴレリッチはなかなか絵になる、つまり日本の劇画向きの風貌で、アルゲリッチは男特有の野生味に惚れたのだろう。ダン・タイソンはその点損をしているが、アジア系にもロマンはあって、それゆえショパンやシューマンの音楽を好む人がいる。ショパン・コンクールの審査員はそのショパンのロマン主義の国際化を意識的にどう定義して行くかの問題に晒されていて、それは引いてはポーランドの国際化につながる問題で、台頭著しいアジア系演奏者を退けることは出来ないが、さりとて彼らばかりを上位に位置づけることも出来ないという悩みがあるのだろう。ダン・タイソンもポゴレリッチも還暦を過ぎ、今は彼らの子どもや孫の世代がショパン・コンクールを目指している。そしてアジア系全盛の時代が到来していると言ってよい。
ところでスポーツ競技と違って芸術コンクールに情実が入るのはある程度は仕方がない。筆者が30歳になる直前、全国規模の染織新人展で100万円の副賞つきのグランプリをもらった際、新聞各紙に作品の写真とともに記事が載ったが、そのひとつは有名な染色家の親類の若い女性が佳作程度の賞を獲得したことのほうに多くの文字を割き、そして「血統がよい」云々の見出しが添えてあった。記事にするほどの作品でもないのに、審査員筋に彼女に出来るならばグランプリを与えたかった人がいたのだろう。で、彼女の作品はその後見ないので染色をやめたはずだ。話を戻して、ショパンの故国のポーランドとしては5年に一度の国際コンクールで本来は自国の若者にグランプリを獲ってほしいはずだが、演奏の技術の上達はある程度は経済に負う。収入のために働かねばならないとすれば、その分練習時間は少なくなる。それで親は子どもが2,3歳の頃に将来有名になるように金を費やして仕込もうとするが、今に始まったことではなく、先月書いたセザール・フランクの親も、またベートーヴェンの親も同じことを目論んだ。クラシック音楽界では経済力に恵まれることが有名になるための大きな条件で、漫画の『ピアノの森』の主人公のような人材は現実的ではない。よほどの天分があっても、それを磨き上げる機会に恵まれないことには埋もれてしまう。そして磨き上げるには経済力は欠かせない。ゴッホの才能も弟テオがあって持続し得た。テオがいなければゴッホは存在せず、その後の美術史は随分変わったはずで、金運も才能のうちと言われるように、ゴッホの絵画は手助けしてくれた弟との共作と見てよいほどだ。ただし、ゴッホは弟の援助にただただ甘えていたのではなく、絵が売れないことに心苦しさを感じていた。それでもさらに描き続けたのは、そのことが何よりも大事であると思っていたからだ。芸術家は何を最優先すべきか。言うまでもなく創作で、そのほかはどうでもいいことと言ってよい。話をショパン・コンクールに戻すと、今回の日本人ふたりの演奏を筆者はほとんど知らないが、YouTubeに2位を獲った男性のショパンの「スケルツォ 第2番」が上がっていて、それを聴いた。長年聴き馴れているミケランジェリの演奏とどうしても比べがちになり、また辛口にならざるを得ないが、コンクールで上位入賞するからには技術的には完璧と言ってよい。要は結局好き嫌いだ。有名であるから嫌いと言う人もいて、この好悪の問題は簡単には片づかないが、ある人物に対する好き嫌いの第一印象は外見に負うところが大きい。これはスタイルがよい、顔つきがモデルのようだといった狭い意味だけのことではない。美人だが好きではないという場合が誰にもあるように、味があって印象深いことが肝心で、その意味においてどんな人でも誰かに好かれる可能性はあり、実際どの演奏者にもファンはいる。
筆者が20代頃の『芸術新潮』には1,2ページのクラシック・レコードの評があって、人相判断でも当時有名であった小説家の五味康祐が担当していた。とても辛口で、面構えにカリスマ性が感じられない演奏者には容赦がなかった。その伝で筆者が言えば、日本のTVに出て来る芸能人はたいてい失格で、特に昼のワイド・ショーに出ているお笑い芸人は誰ひとりとしてろくなものがいないが、高尚であるべきクラシック音楽界でも同じで、頂点に燦然と輝く巨匠には比べるべくもない才能がごまんといると五味は言いたかったのだろう。当時の五味は晩年で、限られた時間により多くの感動がほしかったのは当然で、それで苛立ちもあって辛口批評をしたかもしれない。それに一聴で判断してしまいがちで、またそれは長年聴き込んだことによる肥えた耳を持っていた自信にも裏づけされていた。筆者はそこまでクラシック音楽を聴き込んでおらず、わずかな好きな盤、しかもほとんどたまたま知っただけのものを長年聴いているので、誰のどの盤がよりよいのかわからないでいるが、前述したようにレコードになるのはどれもだいたい一流で、技術的に差はほとんどなく、後は演奏者の容貌に左右されがちだ。ただし、差がほとんどないとしても、その僅差が決定的で、ある盤のある箇所が特に好きで、それを基準に他の演奏を比べがちになる。日本酒はどれも日本酒で差はないと思う人と、銘柄によって全く違うと感じる人がいることにたとえてよく、前者はどの酒でも酔えるが、後者はある酒でしか酔いたくないという大いなるこだわりがある。話をショパン・コンクールに戻すと、筆者は五味の人相判断を思いながら、今回入賞した日本人男女の演奏をあまり聴きたいとは思わない。男性はゲーム音楽が好きとのことで、いかにも現代人らしいが、ある意味ではそれゆえに入賞する時代になっているのかもしれない。筆者は抜群の技術を持っている人が好きだが、クラシック音楽の演奏では楽譜の解釈が問題になり、技術とは別に作曲家が何を考えていたかへの思いが欠かせず、それをするには作曲家の思想と彼の時代の歴史を知る必要があり、そのことから今に通ずる何かを内面に醸成せねばならない。そのための最適最短の方法は資金力とは無関係で、むしろいろいろと恵まれないほうが精神の逞しさが見につくだろう。その点でさまざまな考えの人がいる社会で生きるのがよく、また恋愛に悩むのも若い間は大いに人間的成長を促す。ショパンやシューマンのロマン派の音楽を演奏するのであれば、喜怒哀楽の感情をより強く持つ必要もある。2,3歳の頃からピアノの練習をし、好きなだけそれが出来る経済力に恵まれたとしても、人間的な成長が乏しければ演奏はそれに応ずる。五味はその人間力が人相に現われると思っていたが、他のどこにもない高邁な精神を作品で表現すべきである芸術家であればそれも当然だ。
前置きが長くなった。本論であまり書くべきことがないからとも言える。シューマンの曲を取り上げるのにショパン絡みの話になった。世界的にもピアノの作品ではシューマンよりもショパンの方が有名だろう。最近取り上げた映画『明日へのチケット』の最初のエピソードでも、老教授が幼ない頃にショパンの曲を演奏する若い女性の後ろ姿を印象に留めたことを想起する場面がある。そしてその見知らぬ女性を老教授は眼前に突如現われた40歳ほどのヴァレリア・ブルーニ=テデスキが演じる秘書の女性に重ね合わせるが、それほどに長年生き続ける思いはロマンティズムの最たるものと言ってよい。老教授は秘書に向かって「心動かされました」と率直に言わずに、子どもの頃に耳にしたピアノの思い出を語るが、それは大人であれば、「あなたに心が動いています」と同義で、映画では秘書は老教授を見据え、彼に謎めいた魅力があると言って頬に接吻するが、それは黙って老教授の思いに応えたのであって、極上のロマン性が漂っている。映画でショパンではなく、シューマンの『子どもの情景』から「トロイメライ」でも使わればなおよかったが、東欧の移民問題が絡む映画であるのでショパンが選ばれたのだろう。このカテゴリーでシューマンの曲を取り上げることはブログを始めた頃から思いがあった。長年聴いて来たのは、誰でもそうだと思うが、『クライスレリアーナ』や『子どもの情景』で、前者はアルゲリッチの盤以外に高橋悠治のものをよく聴いて来た。そう言えば高橋が著わした『ロベルト・シューマン』を図書館から借りて読んだのは30数年前のことで、当時からクラシック音楽の作曲家ではシューマンが最も気になる存在であり続けている。交響曲は4つで若々しさがみなぎるが、そのどこか青臭さがシューマンの魅力であるのは、彼が40半ばで死んだことにもよる。精神を次第に病み、ライン川に身投げした後に死ぬが、現在の研究ではシューベルトと同じく梅毒が原因とされる。脳が侵されたのだ。シューベルトも若い頃の売春宿での行為による梅毒で死んだとされるが、20歳頃は仲間とそういう場所に繰り出すことは珍しくなかったのだろう。売春婦の誰もが梅毒に罹ってはいなかったはずで、シューマンは運が悪かったとも言える。天才が若気の至りが遠因となって命を縮めたことはとても惜しいが、クララと結婚して8人の子をもうけたのは、性欲はクララで満たされて売春宿に行く必要がなく、安定した生活の中で収入だけを心配して創作に励むことが出来たことは幸福であり、作品は今も輝いている。筆者はちょうど秋の今頃になると毎年シューマンのピアノ曲が聴きたくなる。そして人生の永遠性をたっぷりと味わう気になれる。しみじみとそういう気持ちにさせる音楽は長年聴いて来たことによるが、そういう音楽の中でもシューマンの曲は特に深みがある。
シューマンは交響曲やピアノ曲以外に歌曲が有名で、そのCDを10年ほど前に1枚買ったのにあまり聴いていない。シューマンの歌曲に感動したのは以前にも書いたが、93年頃、歌手クラウス・オッカーのリサイタルが京都の盲学校の教室で開催された時のことで、シューベルト以外にシューマンの歌曲も取り上げられた。観客は10数人であったと思う。題名は忘れているが、シューマンの歌曲が歌われている間、筆者は全身に衝撃が走り、涙が止まらなかった。音楽にそれほど感動したことはその時以外にない。そのリサイタル以降、歌曲のCDを買いはしたが、30年も経つのにまだシューマンの歌曲を本格的に味わっていない。それには理由がある。筆者が感動したシューマンの歌曲はハイネの詩にメロディをつけたもので、それでハイネの全詩をドイツ語でまず知りたいと思ったからだ。そう言えば92年秋にフランクフルトに行った時、本屋でハイネの詩の全集を手に取りながら買おうかどうか迷ったのは、オッカーの歌に感動していたことが最大の理由かもしれず、ならば前述の93年は92年になるか。ともかく相変らずハイネの詩とシューマンの歌曲は遠いところにあるが、最近ハイネの全集を入手し、次はそのドイツ語版をと思っているので、わずかずつでもハイネの詩を味わうことには近づいている。そしてそれに踏み込んでからシューマンの歌曲を本格的に聴こうとしているが、70歳という自分の年齢を思えばあまりに悠長過ぎるか。10年ほど前にシューマン生誕200年記念のCD全集が発売され、それを入手しながら相変らずもっぱら聴くのはピアノ曲ばかりで、歌曲には手が出にくい。同全集では歌曲のCDはピアノ曲の9枚よりも1枚多く、いかにシューマンにとって歌曲が重要であるかがわかる。本来ならば前述の筆者が感激した歌曲について書くべきところが、今日はピアノ曲を取り上げるのは歌曲をほとんど聴いていないことのほかに、これも述べたようにちょうどシューマンの曲を聴くのに最適な季節で、今年を逃せばまた来年で、その来年はどうなるかわからないからだ。シューマンの代表的ピアノ曲の大作は「幻想曲 ハ長調 作品17」であることに異論はないだろう。「作品16」が『クライスレリアーナ』で、これは短い曲が9つ並ぶ。「幻想曲 ハ長調」をポリーニの演奏で聴いているが、3楽章から成る約30分の曲で、シューマンが交響曲のような大曲を志向していたことがわかる。それはたとえば『交響的練習曲』と題するピアノ曲集があることからも言える。先日TVのクラシック音楽番組でブルックナーの交響曲第7番をパイプオルガンとホルンのみで演奏する様子を見たが、教会のオルガニストであったブルックナーの交響曲は元来オルガンで代用演奏が可能でそのような録音のCDもあるが、そのことはシューマンのピアノ曲と交響曲との関係についても言える。
先にシューマンの交響曲に青臭さがあると書いたが、交響曲の響きとしてはどこか物足りないという意味で、逆に彼のピアノ曲はとても男性的な強い鍵盤の叩きも手伝って、交響曲が聞こえて来そうだ。そのため、ショパンのピアノ曲よりも人気がないのかと思うが、一方でクララがどのようにシューマンの曲を演奏したのかという興味がある。ショパンのどこか女性的な曲に比べてシューマンは男性的であるからだが、マッチョという筋肉隆々の男性的という意味ではなく、男性特有の感情だ。それを言えば今は男尊女卑と揶揄されそうだが、筆者は男で、同じ男のシューマンの思いが女性よりもわかる気がする。シューマンのピアノ曲はすべてクララとの恋愛が基盤にあり、またシューマンがピアノを学んだクララの父親が、娘クララとシューマンの交際を認めないばかりか、しばしば罵倒し、シューマンはクララと結ばれるかどうかわからない逆境の苦しさの中で作曲に勤しんだ。シューマンのピアノ曲は恋愛の妨げを乗り越える苦悩を抱える中から生まれたのであって、ロマン主義音楽の代表的作曲家となったことは納得出来る。クララの父が結婚を反対した理由は、クララがピアニストとして天才的な才能を持っていたこととに対してシューマンのピアノ演奏をさほど評価していなかったからだが、父の反対を押し切って裁判までして結婚したふたりで、やがてシューマンは作曲家として有名になり、クララの父も折れた。このことで思うのは眞子さんの結婚で、相手はアメリカで弁護士になることを目指しているので優秀だ。これがシューマンのような音楽家になりたいという相手であれば、反対意見はもっと多いだろう。結局は金かということになりそうだが、クララにあった芸術性がシューマンのそれと呼応したのであって、お互い高め合って名声を不朽のものにした。そこに大いなるロマンを見るが、ロマンだけでは飯が食えないと現実を考える向きが多いのはいつの時代も同じで、クララやシューマンの話を全く知らない若者が圧倒的に大多数だ。ところでショパンの音楽もそうだが、シューマンの曲には聴きながら息使いが激しくなる激情や憂鬱さが色濃く、寛ぎとは相容れない緊張がみなぎっている。いつの間にか背筋を伸ばして聴くことを強いるようなところがまた魅力であり、クララへの恋情を作曲に移し変えた才能に純心さと真実味を思う。それはクララがピアニストであったのでなおさらで、ふたりは言葉以外に音楽で心を通わせた。そういう例は音楽史では珍しいだろう。高橋の本で知ったが、シューマンは20歳頃にピアノの練習のし過ぎで右手の中指と薬指を故障した。薬指は独立して動きにくいが、シューマンは特別な器具を使ってそれを可能にするような練習をしたためだ。指の故障もあってピアノ曲以外にも作曲を目指したのかもしれないが、ベートーヴェンへの敬愛から交響曲の作曲へ進むことは当然でもあった。
「幻想曲」の題名から何を思い浮かべるのも自由で、またそのためにシューマンはこの曲を書いたはずだが、一方できわめて文学の素養もあったシューマンであるので、彼の内面ではこの曲に固有の思いが込められた可能性はある。それをシューマンが日記などに書き残しているのかどうか知らないが、音楽は言葉と違って元来何も意味しないので、「幻想」の言葉から自由に空想を広げてよい。バッハやベートーヴェンの曲にはなかったこの言葉はロマン主義者を定義づける最適なものと言ってよいが、人間は誰でも夢を見るし、幻想を抱く。その言葉から幸福を連想する場合もあれば、悪夢を思う人もあって、ファンタジーは取りとめのない連鎖の物語と同義になりやすい。そういうもののどこが楽しいかとなるが、人生は睡眠中の夢と同じで、「落ち」はない。あるとすれば死だが、それが人生全体を総括するにふさわしいものとは本人には思えないだろう。ただし自殺は別だ。それが精神の病によるものであっても、ひとつの結論として自分で決めたからには、「落ち」にほかならない。自殺以外の死は、やり遂げていない仕事が脳裏に浮かび続け、「これでおしまい」という気持ちにはなれないだろう。そこでシューマンの生涯を思うと、20歳頃の売春婦との行為が少しずつ理性を蝕み、傍目にも異常な行動をするようになった。そんなシューマンが抱えていた幻想は支離滅裂なもので、作曲をまともに続けることは困難であったが、それでも時に理性は蘇り、作曲を続けた。そんな晩年の姿を思いながら「幻想曲」を聴くと、鍵盤の強打は悪霊を振り払う仕草にも感じられる。さて先日嵯峨のスーパーに行く途中、丸太町通り沿いの自治会の掲示板にピアノ・コンサートのチラシが貼られていた。わが家からは歩いて30分ほどの上桂の青山記念音楽館ことバロックザールで来月7日に開催される。奥田有紀実という若い女性の上半身の写真が使われていて目を引いた。当日券は2000円で、安い。座席は200だが、コロナのために今はたぶん半分だろう。ベートーヴェン、シューマン、ショパン、スクリャービンを取り上げ、シューマンは『幻想小曲集』、ショパンは「スケルツォ第2番」で、これは聴いてみたい。バロックザールに勤務するSさんは「風風の湯」の常連で、彼とはよく話をするが、ここ2,3週間は姿を見ないのは、コロナ感染者が激減し、バロックザールの仕事が増えたためだろう。彼曰く、女性の演奏家であれば美貌もひとつの売りになり、大いにそれを宣伝するのがいいとのことだ。その例はクララにあったと言ってよい。奥田さんは今風の美女で、また線が細そうだが、それだけにどのような演奏をするのか気になる。ショパン・コンクールに出演はしないが、実力のある若手が日本にどれほどいるのだろう。毎年育って来るので、若くて華やかな時に一定の成果を上げねば目立たない。
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