「
寓話では 薔薇の花色 赤か白 熱き心の 無垢を忘れず」、「いと狭き 裏庭の薔薇 枯れて見え 季節変わりて 白花ひとつ」、「ゼラニウム 赤き花落ち 庭さびし 忘れし薔薇が 今朝ひとつ咲き」、「咲き切らぬ 白薔薇かわい そっと触れ 明日は蕊見せ 虫を呼び寄せ」
5か月前に裏庭の白薔薇がひとつ咲いた。その後は葉がほとんど虫に食われるなどして枯れるかと心配したが、2、3週間前に若葉がわずかに伸びて来て、昨日の朝、今日の写真のようにまたひとつだけ咲き始めた。そして今日は前述の短歌のように、陽射しに向けて金茶色の蕊を全部見せて咲いた。その様子も撮った花弁全開はあまり美しくなく、投稿しないでおく。白薔薇の苗を買って4年経つのに、ほとんど成長せず、むしろ花の数は減って来ている。冬場の剪定や養分の施しを怠っているからで、また日射不足のせいもあるだろうが、養分を与え過ぎると却って具合が悪くなるだろうし、日光は狭い裏庭ではどうしようもない。それに薔薇は直射日光をさほど好まないと思える。この白薔薇は開花するすべての花の写真を載せるつもりでいるが、年に2,3しか咲かないでは投稿回数は増えにくく、そのうち本当に枯れてしまうかもしれない。それほどに弱い品種で、花の形もとても小さい。その可憐さがこのVIRGOのよさなのだろう。ともかく久しぶりに花が咲いて嬉しい。さてもうひとつの薔薇の話題について。去年8月に
エルザ・トリオレの小説『幻の薔薇』の感想を書き、その際フランスで映画化されたことにも触れた。「幻の薔薇」は安っぽい題名で忘れやすいが、原題「Roses à crédit」を「クレジットの薔薇」と邦訳すると面白みは伝わりにくい。「クレジット」には「信用貸し」と「名誉」という大きくふたつの意味があり、それを日本語にそのまま置き換えることは出来ない。小説では主人公の女性が月賦で住居や生活用品などを次々に買い込むことと、薔薇の新種を開発する仕事の夫が主人公の妻と別れた後、ついに望みの新種の開発に成功し、その品種名をその妻の名前とすることのふたつの意味を「クレジット」に託している。映画はまだ見ていないが、そこにヴァレリア・ブルーニ=テデスキが出演している。当時彼女は46歳で、主人公の友人としての役は無理で、年配の端役と思うが、映画を見るのを楽しみにしている。またヴァレリアが20代であればこの映画の主役を演じることが出来たかどうかだが、小説を読んだ筆者にはそうは思えない。エルザがどういう顔の女性を思ってこの小説を書いたかだが、知性とは無縁であることが第一条件で、男に従順、しかも生活能力は旺盛、また稀に見るほど女っぽい魅力を持ち合わせていることを念頭に置いた。ヴァレリアにはそういう役は無理だろう。彼女に薔薇は似合うが、別の花の雰囲気がある。大きな百合か、あるいは北イタリアに咲く大型の花だが、即座に思い浮かばない。花の色は赤で、淡い青もいいかもしれない。
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