「
什器でも ガラスは駄目と 廃品屋 割るのは惜しく コップ嵩張り」、「どのコップ どの酒選ぶ 楽しみの 自前カクテル 今夜も作り」、「どの道も ローマに続く 帝国は 海路使いて エジプト近し」、「飛行機で 一足飛びに 文化混ぜ 自然壊しも 同時に進み」
本作「水の寓話」を自治会のOさんに見せた後、Oさんは日本の映画のほうがいいと言った。音楽でもそうで、筆者と同じ年の生まれでもあるせいか、三橋美智也の歌が年々聴きたくなるそうだ。日本の作品は日本のよさがあり、外国のものはまたそれなりのよさがある。ところで、60年代終わり頃にデビューしたヒデとロザンナは当時イタリアの少女が日本語の流行歌を歌って大いに日本を湧かせた。ヒデが死んでからと思うが、ロザンナはTVで故郷イタリアの町が何もなくてさびしいと語った。彼女が生まれたのは北イタリアのスキオで、筆者は当然グーグルのストリート・ヴューで本作のロケ地を調べるためにその付近の山を確認した。スキオの街区は他の北イタリアの都市に比べて大きいように見えるし、またロザンナが故郷を離れて半世紀経って拡大したと思うが、それでも日本の人口が集中する都市よりははるかに狭い。ロザンナは地元の音楽学校を出てカンツォーネを歌っていたそうだが、東京にミュージシャンとして出稼ぎに来ていた叔父に誘われて来日したらしい。そう言えば筆者が1992年にロンドン市内の小さなホテルに滞在した時、その経営者の父と娘はコモ出身と言った。筆者はコモにはきれいな湖があり、絹の染め物で有名なことくらいしか知らず、そのことを話題にすると彼女はとても喜んだ。因みにコモから山を越えた150キロほど東にスキオが位置する。どの国でも出稼ぎは貧困が最大の理由だが、芸能を生業とする人は他国を見てやろうという冒険心も大きいだろう。ロザンナは来日が17歳で、細身の美人であったことも人気を博する理由になった。イタリアの大衆音楽界の事情は知らないが、彼女がイタリアに住み続けたとして日本でのような人気と知名度を得た可能性は少ないのではないか。芸能界はどの国でもだいたい同じと想像するが、TVを稼ぎの場とするタレントがどの国でも似るかとなれば、日本人はTV好きで、それに頻繁に出れば有名かつ金持ちになれる幻想があり、実際そうだろう。テオ・アンゲロプロスの1975年の映画『旅芸人の記録』は身ひとつで巡業して歩く旅芸人家族を描き、その生活は19世紀とほとんど変わらないように思わせ、現在の日本の大衆演劇の人々の生き方に通ずる気がするが、日本では年配のファンがおひねりを奮発し、『旅芸人の記録』のような貧しさ、悲惨さとは違うかもしれない。とはいえ好きなことをして生きて行くことはいつどこの国でも喜びの反面、人に言えないような苦労があるはずだ。年齢を重ねてもファンが逃げず、食べて行くことが出来ればいいが、それも少数派だろう。
本作のロケ地をストリート・ヴューで調べていると、「ローマ通り」という名前の道が目立つことに気づいた。それらの道は全部ローマにつながっているが、どの道でもそうだ。とはいえ「ローマ通り」は歴史的にかなり古いだろう。そういう道がみな拡幅されて高速道路化しているかとなれば、史跡的扱いによって昔のままにしていると思える。今日の最初の写真はトリノの北方50キロほどを突き当たった山辺の町レヴォーネ(REVONE)の入り口で、ローマ通りだ。古びた煉瓦造りの建造物が聖母子を祀る壁龕かと思って別角度から拡大すると、2枚目の写真のポスターが確認出来た。「オルケストラ・スペッタコロ、ジウジィ・モンタニャーニ」とあって、後者の「Giusy Montagnani」はポスターの女性歌手の名前だ。北イタリアには「MONT」がつく都市名が多く、これは「山」に因む。モンタニャーニもいかにも北イタリアの姓で、彼女は北イタリアに点在する都市を巡業しているのだろう。ストリート・ヴューの撮影は2011年8月で、彼女のポスターは貼られてから年月が経っているように見え、下には何枚かのポスターが覗く。すぐ北の町をストリート・ヴューで調べると、とても小さな、ローマ時代からあまり変わっていないような古い教会や建物がわずかに密集する。
郵便局前には町の掲示板があり、その中央ほどの1枚は若者が叫ぶ漫画イラストに「ROCK」の文字を添える。地元や近隣の半ばアマチュアの演奏会があるのだろう。ジウジィの演奏はYouTubeで見られる。チャンネル登録数は50人強で、5,6年前の演奏以来投稿がない。彼女も含めメンバーは、「オルケストラ・スペッタコロ」と勇ましく名づけるものの、全員初老のように見え、もう活動していないかもしれない。また町の聖堂前の広場で演奏している投稿があって、初老のカップルがたくさん踊っている。その様子は日本では見られないもので微笑ましい。北イタリアのどの村や町にもある教会の聖堂ないしそれを転用した市役所の広場を、市民の娯楽の場として提供しているところ、日本とはいささか異なる宗教と人々の生活の密接なつながりを感じさせる。今日の3枚目の写真はトリノ市のエジプト博物館のすぐ南西にサン・カルロ広場でのライヴだ。ジウジィとは違ってイタリアの若者に人気のあるロックのバンドなのだろう。サン・カルロ広場は写真右奧の暗がりファサードが見えるように、広場の縦中央の突き当り、つまり出入り口の道の左右にふたつの聖堂がシンメトリカルに並び、トリノ市の貫禄を如実に伝える。ジウジィのオーケストラがその大きな広場で演奏したことがあるのかだが、日本と同様、芸能界はマネージャーや興行主の力が絡み、人気度もそれに比例するはずで、ジウジィは旅芸人と似たものだろう。それでも彼らはそれなりの親しみやすさ、楽しさを提供する。
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