「
婆さんと 呼ぶなの理由 孫を見ぬ 百を超えても おばさんと呼べ」、「うろついて 面白きこと 気づきつつ より興味増え 夢でも彷徨う」、「まとまりの なきこと思い 五七五と 言葉選びて 和歌もどき詠む」、「マンネリも いずれ新たな 型を生む 亀も万年 練りつつ噛めば」
今日は昨日の蛇足のようなことを書く。ところで本作「水の寓話」のロケ地は北米かもしれない。先日ベルトルッチの作品は『ラスト・エンペラー』しか見ていないと書いたが、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を封切りで見た。『リトル・ブッダ』はTVで見た気がするが、アフリカを舞台に描いた『シェリタリング・スカイ』は昔録画したものをたぶん消してしまい、長年気になりつつもまだ見ていないことを今さらに思い出した。四半世紀も経てば気になっていても忘れてしまうことが多くなるが、何かの拍子でまた思い出す。それにはきっかけが必要で、ベルトルッチへの関心が本作で本格的に動き出した気がする。とはいえ、彼よりも本作で主演したヴァレリア・ブルーニ=テデスキのほうに興味が湧いている。筆者は熱心な映画ファンではなく、映画好きには常識になっていることを全然知らない場合がままあるはずだが、関心の赴くままあれこれ考えることが楽しい。それにはネットが大いに役立つが限界もある。ネットにベルトルッチやヴァレリアの熱烈なファンが意見を交わす場があれば、筆者の疑問にヒントを与えてくれるだろうが、海外となれば見つけにくし、見つかっても意見を書き込みにくい。ここ数日、本作のロケ地をストリート・ヴューで調べてわからなかったことには後ろ髪を引かれる思いだが、昨日と今日の投稿ネタが得られ、不明な事柄を調べる過程で別の意外なことが判明する楽しさがある。話を戻す。本作は10数分の短編で、各場面、各セリフは長編以上に吟味されているだろう。それゆえ本作についてはまだまだ調べて書き続けられるが、ひとつ挙げると、インド人青年を自分の店に連れて帰ったヴァレリアが壁のポスターを「ジョン・ウェインよ」と伝える場面だ。それは『駅馬車』用のもので、監督のそのアメリカ映画への賛美をほのめかすとともに、そういう古い映画のポスターを貼るところは、インド人青年と出会った年代が曖昧化されている。そのレトロさは店前のガソリン給油機にも言える。2002年の北イタリアにあってもおかしくはないだろうが、アメリカでは5,60年代にあったものだ。西部劇の『駅馬車』は馬車が自動車の代わりをしていた時代を舞台にする。ヴァレリアが経営するガソリンスタンド兼バーは、昔なら馬車の駅として機能していた。その事情がヨーロッパでも似たようなものであったことは、グーグル・マップで北イタリアに「ガソリンスタンド・バー」があることから想像出来る。またペンギンが給油機のホースを持って微笑む大きなイラストのあるガソリンスタンドを北イタリアに見かけた。
今日の最初の写真は「31 アル・チェッローネ通り、ヴィラール・ドーラ、ピエモンテ」にある邸宅前の植え込みに置かれるスフィンクスなどの彫像で、近年に1体ずつ増えて行ったことがストリート・ヴューからわかる。北イタリアの町は概して品がよく、下町っぽい雑然とした様子は道路沿いにはほとんどない。それに日本のように信号が多くなく、今日の最初の写真の町でもたぶん数か所しかない。そう言えば道路標識も日本よりはるかに目立たないが、これは山梨の山間部の町でも同じかもしれないが、ともかく車や歩行者が少ないことが想像される。町のたたずまいが整っているのは美意識の表われとも言えるが、その点からすれば本作の最後辺りで見られる、ヴァレリアが経営する店のシャッターにインドの神々を派手に描く様子はそうとうな違和感があり、アメリカならまだしも、北イタリアでそのような店があればトラック運転手は立ち寄っても、近隣住民は眉をひそめながら無視したのではないか。人や車の往来をなるべく避けて撮ったはずのグーグルのストリート・ヴューからそれぞれの土地の生活ぶりを決めてかかるのはよくないが、それほどに割合平凡なたたずまいの中に今日の最初の写真のような道路際の目立つ彫像を見ると、澄ましたような町にも自己主張の強い面白い人がいることを知る。停車する黒い車の向こうには人の背丈ほどのエジプトの彫像があるが、手前にはエジプトと関係があるのかどうか、男性の巨大な顔を象った植木鉢があり、その現代彫刻性がイタリアの趣味に合っていて、市販品なのかが気になる。隣りのスフィンクスもそうで、こういう置物は日本の石材屋がたまに作って珍しくないと言えばそうだが、なぜ北イタリアでエジプトなのか。その答えと言っていいのが今日の2枚目の写真だ。これはグーグル・マップでトリノ市の中心部を見ていてたまたま見つけた。エジプト博物館があって、その収蔵の規模はカイロ博物館に次いで世界第2位という。つまり北イタリアは古くからエジプトとつながりがあり、古代エジプトの遺品が膨大にもたらされた。エジプトの象形文字を解読したフランスのシャンポリオンの話を中学生で学んだ筆者は、大英博物館にあるロゼッタ・ストーンのみで解明したかと思っていたが、トリノのこの博物館で研究した。ヴァレリアはアフリカ人を養子にしたというが、どの国かはわからない。子どもの写真をネットに載せないとしても、いずれその子も自己主張し、ネットで名乗るかもしれない。3枚目の写真は2枚目の遠くに見えるもので、エジプト博物館前に掲げられる聖母子の絵画展のポスターだ。ヴァチカン収蔵の聖母子像を借りて来て市内のマダマ宮殿で展示するとある。グーグルのストリート・ヴューは自動的に人の顔をぼかして画像をアップし、こういう絵画まで表情をわからなくする。「MADONNAの ど真ん中に Oがあり 顔見えなきが 神秘とイスラム」
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