「
醜さを 見て見ぬふりし 避けもせず ともに彷徨う 羊と同じ」、「貧しさは 財に満ちても 座り込む 心豊かな 意味を知らねば」、「違う道 歩んでいても わかり合う 片思いでも 心微笑み」、「パソコンで 見知らぬ町を 眺めれば 吾魂は 神か死者かと」
一昨日と昨日はグーグルのストリート・ヴューで北イタリアの山を手当たり次第に調べ、「水の寓話」のロケ地はわからなかった。山の形は20年で変わるはずがなく、地道にトラックが走る舗装道路を調べて行くと必ず判明すると思うが、山の稜線はよほど遠方から見ない限り、案外わずかな距離でがらりと変化する。筆者は京都に住んでそのことによく気づく。スーパーに出かけた帰りなど、改めて前方の山を見てその意外な形に驚くことがある。その意外な形は、たとえば家並みに遮られ、50メートル先に歩くともうかなり違っていることがあって、不思議な気分になるが、それは山は不変と思い込んでいるからで、実生活で毎日見ている山は日々違って見えることも意味している。あるいは山にさほど関心がないからだろう。円錐状の山が孤立して見える場所に住むのでない限り、つまり「水の寓話」に出て来るようなさほど特徴のない山の連なりでは、普通に生活している人は山の稜線を見ただけで地元の山とわかるとは限らない。話を戻す。ストリート・ヴューは大いに助かるが、道路上での撮影地点は限られ、検索者の画面上のわずかな移動で山の姿はがらりと変わる。それゆえ「水の寓話」のロケ地が判明しても映画の画面と同じ角度で確認出来るとは限らない。それに道路沿いに新たに建物が建てられている可能性もあって、そうなると映画の撮影場所が判明しても山の全容は見えない。一昨日の写真の2枚目には山裾に細長い工場のような建物が見え、ほとんどそれと同じ建物を見つけたが、山並みの形は一致しなかった。またグーグル・マップでは鳥瞰図として地形を確認出来るサーヴィスがあり、昨夜それに気づいて円錐形の山を片っ端から探そうとしたところ、筆者のパソコンではそのサーヴィスが使えないと表示された。グラフィック・カードの性能が劣るせいではなく、原因はわからない。さて今日の話題はストリート・ヴューでたまたま出会った北イタリアの聖母マリア像を祀る祠だ。こういうものがイタリアにあるとは知らなかった。聖母崇拝はカトリックでも本当は認められていないと昔キリスト教信者が聞いたことがあるが、北イタリアでは聖母信仰が盛んなようだ。というのは、一昨日昨日と筆者は山の麓ばかりを調べていたのに、3か所もマリア像の祠を見つけたからだ。これは運命的に珍しい出会か、あるいはどの町にもたくさんあって、見つけることは簡単であるのか、わかりようはないが、山の稜線を調べているのに祠が画面に映り込むのはやはり運命としか言いようがなさそうだ。北イタリアのどこで見かけたかをメモしておいたので次に順にそれを書いておく。
最初の写真は「ベネト、56セモンツェット通り」、2枚目は「ゴルドラ、ティチーノ、15サン・ゴッタルド通り」、3枚目は「カステッラモンテ、ピエモンテ、15クローザ通り」で、これら3つが北イタリアのどこか再確認していない。2枚目は道路沿いの丘に孤立していて世話が大変だが、他の2枚は民家の玄関脇に民家と同じ色合いとデザインで建てられている。内部の聖母子像はどれも似たり寄ったりで、現代のかわいい人形と言ってよいが、この民間信仰は何百年も前から続き、とても古い祠が残っているかもしれない。そういうものは文化財の指定を受けていると思うが、となればそれなりに地方で有名な作者が造ったものもあり得る。この祠は日本のお地蔵さんのそれと同じようなものである一方、山岳信仰とつながっているだろう。日本でも山岳信仰の行者として山伏は今も続き、四国のお遍路もいるが、北イタリアの山々が信仰の対象となっていることは容易に想像出来る。形が変わらず、一方で自然の恵みも与える大きな山は、どの国でも崇拝の対象になる。グーグル・マップでは北イタリアの山に教会が点在することが確認出来る。信仰に篤い人はそういう教会に礼拝に行くべきだが、毎日は、また高齢では無理で、それで経済的余裕のある人は自宅前に祠を建てるのだろう。道に面し、誰でも拝むことは出来るが、聖祠前面に細い鉄柵が設えられ、像の盗難防止をいちおう意図している。聖母信仰の発祥について筆者は知らないが、キリストを産んだ母マリアに対する崇拝は、キリストも偉いが、マリアはもっと偉いという思いの反映にも感じられる。また豊穣の象徴として母子を称える思いだ。そのことはミシュレの『女』の表紙に採り上げられる、馬小屋で乳飲み子を見守る若い母すなわちマリアを描いたコレッジォの絵画「夜」につながる。コレッジォはルネサンス期のパルマの画家で、北イタリアではルネサンス以前から盛んであったはずの聖母崇拝の伝統的聖像を写実かつ理想的に描き直したと考えていい。そうだとしても今日の3枚の写真のような祠の15世紀のものが伝わることは珍しいはずで、比較のしようがないが、聖母子を描く絵画はルネサンス以前のチマブーエやジォット、さらには東方のギリシア正教にあって、今日の写真の祠もコレッジォの聖母子像も同じ根から出て来た。そういう北イタリアでヴァレリア・ブルーニ=テデスキは生まれ、幼少時からカトリックを身近に感じていたことは疑いがない。そしてトリノ西方数キロに彼女の名前と同じ聖人を祀る小高い山があることは、一家のフランス移住後も彼女の精神に影響を与え続けたであろう。「水の寓話」で彼女はイタリアで演じ、またヴァレリア山とそっくりの円錐形の山を背後に、ベルトルッチ監督はインド人青年と出会った時、そして別れの日の双方で彼女を捉える。そこには彼女を聖母と見る向きもあったのではないか。筆者はそう見たい。
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