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●〇は〇か、その45
ぐ手間も 儲け思えば 楽しみの 銅線高値 待ちて売るべし」、「水道の 蛇口盗んで まとめ売り 足を洗うに 困る泥棒」、「安く買い 高く売るより 口のみで 稼ぐは僧や 政治家詐欺師」、「ただのもの 顧みられず 蹴飛ばされ 石と同じの 硬き意思無駄」



●〇は〇か、その45_d0053294_00462650.jpg
今日の写真は嵯峨のスーパー前で一昨日撮ったが、半年ほど前、空を見上げて電線が円形にまとめられていることに気づき、いつか撮ろうと思いながら忘れていた。一昨日は自転車で走りながらそこに円形の影が落ちていることに気づき、慌てて自転車を下りて影とその実体の丸い電線を撮ったが、「〇は〇か」のシリーズ投稿に使うにはもう1枚別の写真がほしい。その候補として先ほどスーパーの花屋で売られている白いポンポン菊を見かけたが、カメラを持っていなかったことと、売り物の撮影は憚られるので、思いだけを書いておく。それにポンポン菊の球体すなわち「ゴッタ」は、球体の置き石と同じく、『おにおにっ記 FINALE』の残りの投稿に使うべきで、たぶん10年ほど前に撮って保存している。それはさておき、今日は「〇は〇か」という題名にふさわしいことを何か書くべきだが、円形にまとめられた電線とその影でははたと困る。半年ほど前に電線が丸く束ねられているのを見上げたのは夜で、「〇は〇か」に使える1枚の写真は用意出来ると思った。ところが一昨日はその影に筆者は反応した。実体は同じ場所の頭上に常にあるが、雲に遮られず、まためったに訪れない昼過ぎの時間帯であったので、歩道上に丸い影が映った。いくつかの偶然が重なってのことで、丸い影は筆者にとって〇であった。偶然が重なって気になる存在になることは筆者にはよくある。ただし、それを僥倖と思うことはおめでたく、たいしたものでないのに魅せられたと思い込みたい場合がほとんどだろう。そういう一例は高齢者が贋物の骨董品に大金を使うことにある。TVのお宝番組を1年半ほどの分を録画したままで、たまに何本もまとめ見するが、先日いくつか恥晒しの例があった。ある独身の男性は1千万円で日本刀を買い、30万円の評価を下された。また海外赴任を経て今は文筆業をしている貫禄充分の高齢男性は、以前その番組で柿右衛門の婦人像が2500万円すると知り、それを入手しようと思い続け、友人が所有する婦人座像を自分の生涯を費やしたコレクションの半分ほどと交換したが、3000円の評価を受けた。似た例に枚挙のいとまがないが、長年生きて来て自信があるのはいいとして、なぜ自分の素人の審美眼にも自信を持つのか。美を少しでも理解する人なら簡単にわかることなのに、ただ世間的な成功のみを目指して生きて来たことの恥を同番組で晒す。簡単に言えば晩節を穢している。自分で〇と思ったことが専門家にそうではないと烙印を押されても、おそらく半分ほどの人は専門家が間違っていると思うほど自惚れている。
●〇は〇か、その45_d0053294_00464266.jpg 昨日ヴァレリア・ブルーニ=テデスキのことを書いた。筆者は彼女をひとりの女、そして表現者として関心があるが、映画から想像するのは彼女の影で、実体ではない。実体を知りたくても無理であるし、また映画の彼女はもういない。映画は影であり、また影のほうが実体よりもいろいろ想像出来る余地がある点で面白いとも言える。ヴァレリアの実体、実態を映画から推察する楽しみのようなものもあるが、それはどの表現者にも言える。そしてそこに辻まことの言葉を思い出せば、彼女の演技が素晴らしくて価値があるとすれば、それは彼女自身が素晴らしいという理屈になるが、彼女の演技が絶対に素晴らしいかどうかの判断基準はなく、個人の考えひとつでどうにでもなる。そして筆者は過大評価しているかもしれない。つまり贋物の骨董品を買って晩節を汚す金持ち老人と同じかもしれないが、女優しかも彼女の出演する映画を見て楽しむことと大金を叩いて骨董品を買い、それが数十倍の価格に化けるかもしれないと考える下衆さは違うだろう。小林秀雄は骨董趣味と女買いに熱を入れることとは差がないようなことを言ったが、筆者がヴァレリアに見るのはセックス云々の観点からではない。それも含むかもしれないが、鑑賞の対象としての味わい深さで、その意味では骨董愛玩に似ていて、また一方では色や香りのある花を愛でることに近い。話題転換。目下読んでいるノーマン・ワデル著『売茶翁の生涯』に、売茶翁が作った最も長い漢詩「試越渓新茶」(越渓の新茶を試む)の訳文があり、その最後「……祇此色香名六塵 即此六塵了真味 色声香味浄法身」が目を引く。これを訳者の樋口章信は次のように書く。「ただこの色と香は六つの感覚器官の対象(煩悩)ともなる。この六つの感覚に即して茶の真の味を体得できるならば、色も声も香りも味も清浄な悟りの姿になるのである。」本文では「……喫茶によって知覚される色や味が迷いであるといって否定する必要もなくなるのである。」と改めて説明するが、ヴァレリアの演技を見ることを香しい茶を飲むことにたとえるのは許されるだろう。売茶翁の先の詩は、「私たちの生存において迷いの世を形成する六塵は、そのまま究極の悟りに異ならない」ことを結論づけていて、それと同じ思いを映画『明日へのチケット』でヴァレリア演じる会社の秘書に淡い恋心を抱く老教授が持っていたとみなせる。売茶翁はどのような人が見ても独特の、そして他にはない香り高い人柄を感じさせたという。そんな人物はTVには絶対に出ず、また有名人でもいないだろう。ヴァレリアが出演する映画をまだ数本しか見ていないが、彼女の演技が〇であれば、実際の彼女も〇に違いないと筆者は思う。彼女は売茶翁とは正反対の大金持ちとして育ったが、どう生きるべきかを悩み続け、一本の筋を通して来ている気がする。
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by uuuzen | 2021-09-29 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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