「
栖鳳の 『蹴合』に添える 鶏頭花 丸や尖りの 赤で競わせ」、「自転車で 走りつ気づく 鶏頭の 花の赤きは 葉も深く染め」、「裏庭の 日向に置きし 鉢五つ 細き鶏頭 黒き種見せ」、「たまさかに 出会う盛りの 花眩し その謎めきに 生を重ねる」

今日の本文は題名も含めた以上の5つの句で言い尽くした気がするが、いつものように1200字を越えず、それぎりぎりの字数でまとめよう。昨日家内とめったに訪れない嵯峨のスーパーに行き、その帰りに車折神社近くに嵐電沿いを歩くと、線路の向こう側の枯れ気味のヒガンバナの群れに大きな黒の揚羽蝶が一頭飛んでいた。面白い眺めに感心していると、50メートル先の線路の手前側でまた同じ眺めが展開されていた。その赤と黒の対比はなかなか絵になる眺めだが、ヒガンバナに蝶を添える絵は見たことがない。絵の着想は実際の眺めを基にすべきだ。現実のほうが想像を超えて面白い組み合わせがある。家に籠っている筆者はたまに外出すると、咲いている花も変化していて、新鮮な驚きに見舞われることが多い。先日
『明日へのチケット』という映画を見て、70歳ほどの教授がヴァレリア・ブルーニ=テデスキが演ずる製薬会社の秘書の女性の美しさに打たれることについて書いた。ふたりの間には何事も起こらず、起こりようもないが、老教授がたまたま出会った中年女性に思いもかけない魅力を感じたことは、筆者が町中でたまたま花を見かけて強く印象に留めることと同じと考えてよい。筆者も映画の老教授と一緒で、ただ相手に見惚れるだけで、またその瞬間は二度とない。明日か明後日にはもう花は萎れるし、女性も次に出会った時はよそよそしいかもしれない。つまり二度目は最初の感動ほどの胸の高鳴りはない。今日の2枚目の写真は裏庭、最初のものは昨日嵯峨のスーパーからの帰り道で撮った。見つけたのは三日前の午後7時半頃、薄暗がりの中であった。振り返ると1本だけ咲いていた。その家の前庭には
日光で動くプラスティック製の小さな玩具を勢揃いさせた台が置かれ、その写真を撮って以前に紹介したことがある。つまり馴染みの場所で、毎週二度はそこを見ているはずなのに、鉢で鶏頭の花が育てられていることを知らず、咲いてようやく知った。しかも振り返ってのことだ。花は筆者に見つけてほしかったのだろう。今年は去年ほどに鶏頭の花を見かけず、またわが家の裏庭で5つの鉢で育てているものも去年同様に鶏冠状の花は咲かせない。どうすれば気に入った花を写生出来るのかと相変らずぼんやり思い悩むだけで、せめてブログのバナーだけは鶏頭をと考えて先日それを配置した。そうそう、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキが出演する映画で彼女が赤の衣服にこだわったものがある。その映画の感想を書こうと思いながら、あまりに濃い内容で考えがまとまらない。それはともかく、ヴァレリアは赤がよく似合い、その映画で筆者はますます彼女の魅力の虜になった。

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