「
系のなき 個はあり得ぬと 気づくなば 心広がり 神に近づく」、「何もかも つながりありて 変わり行く 粗が密になり 密は粗になり」、「手機織 粗密の綾の 面白き 機械が均す 貧しき世には」、「手仕事の 貧しさ失くす 機械化の 大手振るとも 貧しさ消えず」

昨日書いた元悪王子町に対して悪王子町もあるが、元悪王子町に最初に悪王子神社が建てられた。元悪王子町は四条烏丸南東角の裏手で、筆者はほとんどその地域を歩いたことがないが、2年前の秋、アメリカから大西さんが京都にやって来るという時に予め歩いた。というのは、大西さんをレザニモヲのふたりと会わせるために、レザニモヲに適当な店を訊ねると、マッチング・モールというカフェ・バーがいいとのことで、その場所を確認しておくことにした。それは9月下旬であったと思う。同店からは四条烏丸駅まで歩いて2,3分で、大西さんが帰る際に利用する京都駅に行くのは便利だ。四条烏丸交差点を一歩裏手に入るとこんな静かな一画があるのかと驚いたが、マッチング・モールのすぐ近くに赤い鳥居があるのが印象的であった。その時はカメラを持っておらず、また大西さんと連れ立って10月4日にマッチング・モールを訪れた時は日暮れでよく見えず、結局家内と京都駅に出る機会があった12月6日に立ち寄って撮影した。それが今日の2枚の写真だ。この神社のある場所は元悪王子町のすぐ南で、地図に記されない。その点は先日紹介した
LIFE太秦店前の駐車場内の神社と同じで、かつて商家の土地にあったものだろう。個人所有ならば土地の権利が移転する際に撤去されてもいい気がするが、「触らぬ神に祟りなし」の思いは今に生きていて、最小限これだけは必要という区画はそのまま伝えられて来たのだろう。ただし、土地が中国人など、他国の人に買われると、災いがあるといった迷信は信じられない可能性があり、今後京都のこうした創建の年代が不明な小さな社は少しずつ消えて行くかもしれない。この神社には石の鳥居とその奥に赤い鳥居があって、前者は最上部の笠が2010年以降になくなっている。地震で落下したのか、修復されないままだ。世話する人は今もいるはずだが、修復費用の捻出が困難なのか、残念なことだ。その笠に具えられていた神額に「正一位稲荷大明神」の金文字があって、奥の赤い鳥居と整合性がある。また赤い鳥居の神額には縦に二行、右に「信徳大明神」、左に「玉義大明神」と書かれる。どちらも先祖の名前と思うが、となればLIFE太秦店前の神社にある銅像の男性のような存在か。またそうすれば同店前の神社のふたつの祠が気になる。ひとつは稲荷大明神として、もうひとつは「信徳」や「玉義」のような名称がつくのかもしれない。マッチング・モールは気立てのよい店主が経営する気持ちのいい場所だが、コロナのために酒を出す商売は難しいだろう。大西さんがやって来た時期はちょうどよかった。

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