「
様になる 形望むは 人情で せめて並みにて 目立ちもせずに」、「嗤われて 気づかぬ親の 子健やか 朱に交わり 赤に染まるか」、「血みどろの 吾に驚く 夢見たと 妻話す朝 雨音激し」、「頑張れば 夢がかなうと 励ませど みんな頑張り 毎夜夢見る」

コロナでスーパー以外に出かけず、ブログのネタが枯渇して来たが、投稿するつもりで用意した古い写真が大量にあり、そこから掘り起こせばよい。それで今日は今年3月27日に家内と訪れた祇園の八坂神社の悪王子神社について。この名称はどきりとさせる。東山の「若王子神社」と対かと一瞬思いながら、「若」と「悪」では対にならず、では「善王子神社」があるのかと言えば、日本のどこかにあるかもしれない。「悪王子神社」をネットで調べると、スサノオノミコトの荒魂を祀るとある。神には二面性があり、「悪」は「強い」の意味で、いわば元気づけられる神だろう。ところが、弱っている人を強い人が鼓舞すると逆効果になりやすい。先月筆者はしばし体調を壊した。そのひとつの理由は、たぶん酒だ。高麗人参酒を入手し、息子と半分ほど飲んだのだ。その翌日に体調が激変した。昔母から聞いたことがある。高麗人参やにんにくを一時に過剰摂取すると、病弱気味の人には毒になるそうだ。何となくそのことはわかる。強い人のそばにいると疲れると感じる人は、虚弱気味の状態であるからだろう。それで強い人は強い人と相性がよく、お互いますます強くなる。話を変える。10日ほど前の夕暮れ、家内と嵯峨のスーパーに向かっていると、頭上からかなりドスの利いた女性の低い大声がしばし降り注いだ。「お前ら、早く帰ってけえへんがったら承知せんぞ!」といった男言葉で、首を曲げると、ヴェランダで30半ばの女性が見下ろし、筆者ら目がけて走って来る子ども2,3人に話しかけていた。新築の家の1階の車庫に大きな車があって、その頭部が道路に7,80センチほどはみ出している。たぶん近所では鼻つまみ家族だろう。小学生の子どもたちはごく普通に見えたが、4,5年もすると母親のヤンキー気質に感化されるかもしれない。その母親のあまりにえげつない声と言葉は、「悪」を連想させるが、いいように取れば「逞しくて強い」。家内は高価そうな自転車も数台停められているのを見て、夫の働きがいいと言ったが、たぶん土建屋や配管工といったところで、教養や知性はろくでもない者がほしがるもので、自分たちは荒ぶる神のように怖いものなしで生き続けられることを幸福と思っている。それはさておき、悪王子神社は平安時代に現在の四条烏丸東南の「元悪王子町」に八坂神社の摂社として建てられ、その後何度か移転し、明治に八坂神社に戻された。そして1998年に元悪王子町に分霊され、祠があるとされるが、筆者はそれを確認していない。「元悪王子町」で思い出した神社がある。投稿の機会を逸したままになっているが、明日投稿する。
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