「
菌と聞き 思う言葉で わかる運 それを嘘とは 雑菌なりや」、「ザッキンの ゴッホ像見る 太陽は アルルに燃えて 心と身焼く」、「吾いつか 夏に去りなば 願わくば 想われたきは 向日葵の花」、「夏が逝き 思い返すは 幼なき日 何も持たねど 空輝けり」
去年の夏は西瓜の玉を二度買ったと思う。そして来年はもっと食べたいと心待ちにしていたのに、今年はスーパーで西瓜の大玉をめったに見かけなかった。最後に見たのは今月5日に訪れたムーギョで、黒っぽい緑色の、つまり縦縞模様なしの大玉が税込みで3000円近かった。それを買っても冷蔵庫に入らないと家内は言うし、また夫婦で食べるには多い。今年の夏は雨がよく降り、西瓜の成長はよくなかったと想像するが、去年と違って顕著であったのは、ソフトボールほどの大きさの小玉だ。老人向きないしひとり用にちょうどいいのだろうが、それでは夏の豪快な気分が湧かない。そう言えば数日前のTVで小さなミカンほどの小粒の柿が出荷されている映像を見た。苺は巨大化して来ているのに、西瓜や柿は矮小化の傾向だ。筆者は西瓜も柿も大きなものがよいが、西瓜なら税込みで1800円ほどなら買う気になるのに、3000円では我慢する。小玉西瓜は面白くないので論外で、結局今年は一度も西瓜を食べなかった。心残りだが、食べるものは他にいっぱいあるので別段困らない。西瓜を食べたいと思うのは子どもの頃を思い出したいからだろう。老人になって子どもの頃がひたすら懐かしいというのではなしに、子どもの頃の夏の空気が気持ちよかったとの思いが年々純化される。その空気は西瓜や葡萄、トマトやかき氷といった食べ物に結ばれていて、またそれらは物価の上昇率を考えても昔はかなり安かった気がする。それにクーラーがなくても充分過ごせたし、入道雲や雷雨も楽しかった。小学5,6年生の頃、通りをひとつ南のとある家の高齢の割烹着を来た品のいいお婆さんがかき氷店を始めた。開店当日かその翌日には筆者も出かけ、黒蜜をかけてもらった。そうそう、京都に来てから染色の道に入り、それから3,4年経った頃、長崎出身の7,8歳年下の女性が工房で勤務することになった。彼女とかき氷の話になった時、筆者の幼少時は、大人はもっぱらみぞれと呼ぶ無色の蜜をかけてもらったが、筆者は黒が好きであったと言った。彼女はそんな色はないと言い張り、筆者を信用しなかった。彼女はそういうところが多々あり、たぶん嘘でからかわれているとの思いが強かったのだろう。田舎出身を意識し、都会人を警戒していたのかもしれない。かき氷の黒蜜は黒砂糖で作る。今でも子どもはかき氷が好きで、わが自治会の地蔵盆でもかき氷を提供するが、毎年スーパーで赤、黄、緑、青の4色を買って来るので、日本中どこでもその4色だろう。つまり黒はないと思う。ま、黒とはいえ、焦茶と言うのが正しいが。
夏休みは終わってとっくに学校が始まったが、今年は去年同様に夏休み最後に予定される地蔵盆がなかった。コロナのために子どもがかわいそうだ。今年の夏は学校の行事とオリンピックのどちらが大事かという話があちこちで起こり、コロナ感染が拡大するという理由もつけて五輪反対の人が目立った。始まるとどうせ日本の金メダル・ラッシュのニュースで持ち切りとなり、政府を批判する人も激減すると一部では予測されていたが、実際はそれほどでもなく、淡々と競技が進み、そして終わり、パラリンピックも同様の経過をたどった。こういう夏を小学生が大人になった時にどのように懐かしむだろう。近年は光化学スモッグの注意報を聞かなくなったが、コロナはそれよりも恐いとされ、また筆者の子どもの頃では考えられない暑さで、子どもが外で長時間遊ぶことは考えにくい。昭和30年代の夏は朝も昼も夜も風情があったのに、今の子どもは半世紀後に夏をどのように思い出すのだろう。筆者が記憶する子どもの頃の夏を他人にそっくり伝えることは不可能であるし、今の子どもが将来どのように夏を懐かしむかについても筆者はわかりようがない。ひとつ言えるのは、筆者は昔の夏はよく思い出しても、ここ10年、20年の夏はさっぱり覚えていないことだ。思い出すに値する風情がなかったからだ。それでも嵐山に住んでいるからには、大阪市内とは違った自然があり、それをそれなりに満喫しているが、子どもの頃の夏の思い出にはかなわない。それでせめて昔のように西瓜の玉を買って来て食べたいのに、掌サイズの小玉か、3000円近い大玉しか見かけない。切り分けた西瓜は買わない主義で、他人が入れた包丁の断面は何となく雑菌が繁殖している気がする。それで切り分けた刺身も筆者はめったに買わない。それはさておき、今日は2年前の9月25日、つまりコロナ前に金森幹夫さんが車で伊賀から甲賀に入った時に見つけた「飛び出しボーヤ」だ。金森さんの撮影順ではなく、型別に投稿するつもりで、同じ日の撮影分はまだ数回の投稿分がある。今日のもの以外は土地柄らしく、忍者を象っている。それはそれで珍しいが、今日のものは他では見かけない絵柄の手製で、忍者ものより写実的だ。その日、金森さんは盆踊りを見るために出かけたのだと思う。そう言えば昭和30年代では大阪市内ではどこでも盆踊りがあった。それが急速になくなったのは高度成長期が終わった頃だろうか。ほかに娯楽がたくさん出現したからだ。TVゲームはその大きなひとつで、今の子どもはひとりでスマホを操ってゲームをして遊ぶ。そんな夏は大人になった時にどのような自然の懐かしさを蘇らせるのか。国は経済的豊かさを目指すが、それによって失われて行くものがある。とはいえ、それはそれ、これはこれで、消えてなくなったものを他人に説明することは無理だ。「黒蜜の かき氷食べ 頬痺れ 店主笑顔で 「ゆっくりお食べ」」
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