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●『ぼくを葬る』
いた 名も忘れられ 残りしは 常に新たな 子孫なりしや」、「跡取りの なきこと言われ 阿Q知る 子作り相手の 見つからぬ身を」、「動きつつ 動かされるは 人の常 理性の陰に 本能の神」、「まだいいと 先に送りつ 見失う それを愚かと 思わぬ愚か」



●『ぼくを葬る』_d0053294_22330748.jpg 先日触れたように、YouTubeでヴァレリア・ブルーニ=テデスキが出演した映画のベスト10が紹介されている。今日取り上げるのはその第6位で、第5位の『ふたりの5つの分かれ路』に続くフランソワ・オゾン監督の作品だ。『ふたりの……』は2004年、本作は2005年の製作で、本作の前、同年に『明日へのチケット』が撮影されたようだ。本作でのヴァレリアは41歳で、これは初産で子どもが得られる限界の年齢と言ってよく、その微妙な役どころをオゾン監督はヴァレリアに演じさせた。日本では女優はだいたい若作りしてTVに出るものだが、映画では実年齢からそう隔たらない役の依頼が来るだろう。ただし、化粧で老け役は出来るので、時に1本の映画で年齢幅の大きい役を演ずる場合がある。筆者が最初に見たヴァレリア主演の『10ミニッツ・オールダー』中の一篇「水の寓話」では、その年齢幅をこなす印象が強かったので彼女に興味を抱いた。同作でヴァレリアは17,8歳の娘をひとり持ち、夫はおらずにひとりでイタリアの寒村でバーを経営する母親役で、たまたま出会ったインド青年と暮らすようになり、結婚式の当日に破水して男児を産む。その子が4,5歳になった頃、インド人の夫は失踪するので、ヴァレリアは4,5年の年齢幅を演じた。その程度であれば化粧で老け具合を誇張せずとも演じられるだろうが、インド人青年と出会った時と男児が成長してからのヴァレリアは雰囲気が全然違い、監督の技量もだが、ヴァレリアの演じ分ける才能に感心した。同作は中年に達したヴァレリアの演技人生を大きく変えた作品ではないかと筆者は思っているが、実際同作を起点に後のヴァレリアは年齢相応に役柄の幅を広げ、また基本として彼女が持つ色気と、そこから連想される、簡単に言えば絵に描いたような幸福とは違う役がよく回って来るようになった気もする。また「水の寓話」におけるインド青年と家庭を持つ設定は、彼女をより国際的した感があるが、すでに1997年にリトアニアの監督による『家』に出演していて、彼女は早い時期からイタリアやフランス以外の国でよく知られていたようだ。それはともかく、「水の寓話」では二度目の夫に去られる役、『ふたりの……』では子連れ離婚した役、本作では夫以外の男の子を妊娠する役を演じ、これらの役をヴァレリアが自身に照らしてどう思っていたことか。というのは、女優は役にはまり切るほどに現実との境がわからなくなり、ヴァレリアもその例に漏れないと思うからだが、2007年に彼女が監督、主演した『女優』ではそのあたりのことが描かれているかもしれない。
 さて、今日取り上げる『ぼくを葬る』は『ぼくをおくる』と読む。原題を直訳すると、『去る時』で、この方が映画の言わんとすることをよく説明する。DVDのジャケット上端にある「魂を揺さぶる感動のヒューマン・ドラマ」は少々おおげさだ。ジャケット右端中央の「余命3ヵ月。あなたなら、どう生きますか?」は本作の内容をわかりやすくほのめかす。ジャケット写真として裸の青年が赤ん坊と一緒に寝ている写真が使われるが、これと同じ場面は映画にはなく、主役の男性の想像だ。ジャケット裏面にその男性の顔が大きく印刷され、その横に「“31歳、余命3ヵ月”悲劇の宣告は、彼の人生を輝かせた」とある。この31歳とされる男性と実年齢41歳のヴァレリアが後半になって絡み始める。またヴァレリアが年下の男性を相手にするほどの中年になったことを実感させ、実際ヴァレリアは本作の2年後に19歳下のルイ・ガレルを起用して自身も出演する映画を監督し、そしてルイとの関係は2012年まで続いたとされるから、年下の男性好みは「水の寓話」や本作から予期されていた。YouTubeにはルイと一緒にインタヴューされている映像があり、そこでのヴァレリアは貫禄充分なルイを前に、彼のご機嫌を取るのにおろおろしているように見え、あまりの年齢差をヴァレリア自身が不合理と思っていたふしが感じられる。俳優同士で5年も続いた男女の関係はたいしたものだが、ルイと別れた2017年以降のヴァレリア出演の映画については今後順に見て行く。また前述したヴァレリア出演のベスト10では、最も新しい映画が2014年で、ルイと別れてからも力作に出たことがわかる。女優は多くの恋をして役の幅を広げて行くのが普通であると、普通の人からはみなされる傾向が大きいが、「水の寓話」や『ふたりの……』では子どもを出産する役を演じながら、実生活では自身の子を産まずに養子を育て、これが思惑どおりであったのか、それとも女優業に勤しんでいる間に出産の可能性を失ったのか、たぶんどちらでもあるだろう。『ふたりの……』では素っ裸でベッドに横になる場面があり、そこに年齢相応のヴァレリアの美しさはあるが、40歳までに子を持てなかった悲哀のようなものも漂っている。そう断言するのはよけいなおせっかいかもしれないが、ルイ・ガレルと出会ったのが43歳で、当時のヴァレリアは、本作で描かれるように10歳以上年下の男性であれば妊娠するかもという期待があったのではないか。『ふたりの……』でヴァレリアを起用したオゾン監督は、ヴァレリアのかなり私的なことまで訊き及び、そのことをヒントに本作の脚本を書き、そしてヴァレリアを起用したのではないかと想像するが、そこには監督の子どもを産むことについての肯定的な考えがあって、ヴァレリアは本作をどう思ったのだろうか。
●『ぼくを葬る』_d0053294_22332554.jpg
 本作の主人公ロマンはヴォーグなどの有名雑誌でモデルを撮影するカメラマンを演じる。冒頭からその撮影の場面で、彼は目眩から気を失い、病院で末期癌を宣告される。この展開はとても速い。余命3か月とわかり、その期間をどう過ごすかが本作のテーマだ。ロマンは同性愛者で、かなり年下の、無職でTVゲームばかりしているような男と同棲し、またコカインを常用している。ファッション界は同性愛者が多いとされるが、本作は同性愛者がたむろするクラブの場面があって、その趣味のない人にはなかなか強烈だ。筆者はピエール・ガスカールが年下の哲学者のミシェル・フーコーと一緒にハンブルグの同性愛者の世界を垣間見たことを思い出した。フーコーが35歳頃、1950年代初めの頃だ。その頃のフーコーは年下の男性が好みであったようで、本作の主人公と姿がだぶる。つまり半世紀以上前から同性愛者は独自の世界を持っていて、それがフーコーの時代はまだ地下に潜っていたのに、今世紀に入ってからは映画で普通に描かれるようになった。『ふたりの……』でオゾン監督はやはり同性愛の男性ふたりを登場させ、ふたりの年齢差は明らかに10歳以上あった。また同作は本作の布石と思えない場面がほかにもある。ヴァレリア演じる妻マリオンの夫ジルの兄が、セックスしないでスプーンで精子を膣内に自分で挿入して妊娠するという話をし、同性愛者の中年男性が自分の精子をそのようにして提供するので誰か自分の子どもを産んでくれないかというセリフがある。本作はそれを引き継いでいると言ってよい。同性愛者でも自分の子がほしいという本能があるのは意外だが、本作のロマンも子ども好きとの設定で、同性愛者のひとつの悩みは愛する人との間に子孫をもうけることが出来ないという事実なのだろう。男女でも子どもをほしくないカップルはあるので、その望みがどれほど大きいのかは知らないが、オゾン監督が子どもを産むことに意義を見出していることは本作から伝わる。ここまで書けば本作がどういう内容かは言ったも同然だ。余命3か月のロマンは同性相手と別れることにし、また相手を慮って就職先を密かに世話する。またロマンには結婚して子どものいる姉がいるが、折り合いは悪い。ある日ロマンは郊外に住む祖母を訪ねる。その祖母を演じるのが本作のクレジットでは最初に登場するジャンヌ・モローで、本作当時彼女は77歳であった。ロマンが叔母に会いに行った理由は、祖母が間もなく死ぬ年齢であるからと彼女に言う。そのロマンのブラック・ジョークのセリフつまりオゾン監督の考えを、ジャンヌがどう受け取ったか。彼女はその後12年も生きたので、本作でのロマンのセリフは却って死神を遠ざける効果があった。本作でのジャンヌは昔の面影がないが、代わって迫力満点で、ヴァレリアが77歳になった時、同じように演じられることを期待したい。
●『ぼくを葬る』_d0053294_22334778.jpg
 ebayでヴァレリアを検索するとサイン入りの写真などが出品されていて、その中に本作の撮影中に撮られた素晴らしい笑顔のものがあって本作で見るよりかなり若く見える。本作ではほうれい線が顕著で、肌も少々荒れ気味の41歳で、筆者はそっちの方が虚飾がなくていいと思う。話を戻して、ロマンは車で叔母に会いに行く途中、レストランに立ち寄る。その窓から児童公園がよく見え、ロマンは子どもが遊び回る姿を見るのが好きなのだ。以前からたまに利用していて、ウェイトレスに顔を知られている。その店員を演じるのがヴァレリアだ。彼女はロマンに子どもがいるのかと訊ねる。結婚していないのでいないと答えるロマンだが、同性愛者で子どもは得られないことは言わない。叔母に会って1か月ほどだろうか、ロマンはまたそのレストランに行く。その頃にはロマンは痩せ始めていて、演じる俳優は末期癌患者の風貌を観察して体重を落として行ったのだろう。話を戻す。レストランでコーヒーを飲んでいると、ウェイトレスが入って来て、近東出身らしき店主の男性に寄り沿う。彼女は結婚しているのだ。そしてロマンの前の座席に座り、以前から思っていたことを話す。夫の精子虚弱性のために自分たちには子どもがいない。それでお金を支払うので、若くて健康なロマンにセックスしてもらって妊娠したいと言う。ロマンは子ども好きではないと断り、その場を後にする。ロマンの体は次第に悪化し、やけになることもあるが、一方で姉からは和解の手紙が届く。残り少ない人生を前にロマンはまたレストランに行き、ウェイトレスの提案を受け入れる。そして今すぐにセックスしようと言い、彼女の夫も交えて3人でセックスする。ヴァレリアの上に乗るロマンはセックスがかなり辛そうで、演技と現実が合わさって滑稽かつ悲惨な場面だ。ロマンは女性相手では勃起せず、裸の男が傍らにいなければならなかったのだろう。ともかく無事に妊娠し、ロマンは生まれて来る子どものために弁護士を前にウェイトレス夫婦を交えて遺言書を作成する。その時の彼はがりがりに痩せて死期が近いことが明らかだ。ロマンは生まれて来る子を見ることなしに、ひとりで海水浴場に行き、そこで横たわって日没とともに笑顔で息を引き取る。この海辺の場面は『ふたりの……』の最後と重なる。ロマンのモデル撮影は代わりの者がたくさんいるが、彼の子どもは彼だけのものだ。ウェイトレスとの間に愛はないが、遺伝子は伝えられた。冒頭の歌に書いたように、魯迅の『阿Q正伝』の阿Qは若い尼僧をからかった直後、「跡取りなし」と泣きながら言われる。家意識の強い中国ではあるが、その話から百年後の現在、子孫を残さないとあえて主張出来る若者の割合が増えているのかどうか。自分が残さなくても他の誰かがその役割をすれば全体として人類は絶えることがないのは事実だが、そんな世界愛を思っている人がどれだけいるだろう。
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by uuuzen | 2021-09-11 23:59 | ●その他の映画など
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時々ドキドキよき予告

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