「
醒めて後 冴えることあり 喜ぶも すぐに忘れる 考え事や」、「メモしても その紙失くし みな忘れ 大事なことは 覚えるべしと」、「末永く 忘れぬために 歌にする 言葉を唱え 繰り繰り返し」、「こんにちは 交わす間の 笑顔かな あの世に行けば 今日はなし」

今日からここ数年気になっていた裏庭の雨よけの波板を張り替える作業を始めた。久しぶりに息子がやって来たからだ。高さ2メートルほどの脚立に乗っての作業で、手伝いが必要だ。今年の夏は雨が多く、なかなか作業に入ることに踏み切れなかったが、涼しくなって来たこともあって、思い切って取りかかることにした。作業の結果については全部終わってから改めて書くとして、今日は蘇鉄の話。最初の写真はJR嵯峨嵐山南の商店街となっている広い道から東に折れる昭和通り沿いで撮った。6月18日のことだが、以前からよく知っているので撮影日はいわばどうでもよい。この道は東向きに坂で、南側は大きな家が並ぶ。またキリスト教の教会があることから、アビー・ロードとも地元では呼ばれている。筆者はたまに嵯峨のスーパーに向かう途中に歩くか自転車で走る。「昭和通り」は昭和に出来た道を意味するはずで、それ以前は田畑の畦道であったのだろう。最初の写真の蘇鉄は垣根越しに数本見えていて、よく目を引く。これほどの蘇鉄のある庭は珍しい。手入れもよくされているようだ。他に目立つ植物は植えられないほどだが、その必要もない。2枚目の写真は5月18日の撮影で、どこで見かけたものか忘れた。家内の日記を調べてもらうと、当日は遠出をせず、いつものように嵯峨のスーパーを4軒回っている。ということは嵯峨のどこかであるのは間違いないだろう。あまり歩かない道をたまに利用することがあり、そういうところで見かけたので忘れてしまったのだと思う。最初の写真の蘇鉄よりも葉が多く、貫禄のある1本が門扉のすぐ背後に陣取り、家の人は玄関から出入りするのに支障がありそうだが、蘇鉄の成長はきわめて遅く、いつの間にか邪魔になるほどの存在になっても家の人はそのことに気づかないのだろう。あるいは「まあいいか」との思いだ。それにこの蘇鉄はどのように葉を少なくすべきか。適用に間引いたのでは全体のバランスが悪くなる。「まあいいか」はわが家の裏庭にも言える。椿や合歓木、梅、ぐみ、藤その他、樹木がほとんど小さな森のように育ち、近所迷惑と思っている人もあろう。ひとまず他人の敷地を侵してはいないので大幅な枝の剪定は先送りにし続けている。その先送りに対する気がかりが最大限になり、なおかつ時間と気持ちの余裕が出来た時に作業に取りかかる。目下のその最大は裏庭の波板張りだ。以前業者に張ってもらったのが15年ほど前だ。大工仕事が得意でもない筆者だが、せっかくFさんの世話になり、また各種道具も揃えて来たからには、もう腰を上げねばならない。

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