「
笛が鳴り 走り始めて すぐこけた びりでも泣くな 勝ってこそ泣け」、「勝ち負けに こだわり競う 若き日を 過ぎても常に 落ち着き励み」、「気になりつ 見つけた西瓜 大玉買わず 値が張り重く 老いには多し」、「水無月の 四角を分けた 天冠を 仲よく食べる 老いの夫婦や」

一昨日の夕方、嵯峨のスーパーでまた水無月を見かけた。小さなパックに収められた四角形の菓子の対角線に切れ目が1本入っている。表面の小豆がまばらで、よく見ると黄色が混じり、それが栗だとわかった。秋向きの水無月だ。それに本体は抹茶色でさらに凝っている。味は想像がつくが、今年は何度か水無月の写真を投稿したので、またブログのネタ用に買った。そして以前の投稿と同じ皿を使い、同じようにふたつを向い合せて並べ、写真を撮ったが、以前のものより粘着度が高く、切れ目から切り離すのに手こずった。以前書いたように水無月の形は鱗文で、死者の頭の正面につける白い紙の「天冠」と同じ三角形だ。水無月を食べるのは死が遠のくようにとの願いからで、筆者と家内がひとつずつ食べるのは、意識しなくても祈りの行為となっている。老いて体調が悪化し、生きていても楽しいとは思えなくなるのはいずれ誰しもとして、そうなるまでの間は意識して生を味わうべきで、今のところ筆者も家内も病気らしい不調を感じず、人生は凪の状態にある。コロナに感染すれば一波乱が生じるが、「風風の湯」でもいつも常連とそういう話になり、だいたい誰しも発生から終息まで丸3年と思っている。そうであればいいのだが、誰にも先のことはわからない。家内は先日の筆者の誕生日に息子を呼んでどこかレストランで食べたがったのに、コロナを理由に筆者は拒んだ。ちょっとした気の緩みから感染するとして、気を引き締めていても感染する時はするはずで、交通事故のようなものだ。それが嫌なら家にこもるべきで、筆者はそうしている。それでネットで買った本やDVDが毎日届き、出費はコロナ以前より増えているが、家内は筆者が古希を迎えたことを口実に、もうそろそろ買い集めた本などの資料を処分し始めろと毎日言う。筆者の昔からの夢は、持っている本を全部家の壁面の本棚に収めることだが、それはきっと実現しない。隣家も本だらけにしていて、整理して本棚をしかるべき場所に設置すればいいのに、天井や床などのリフォームも途中で放り出したままもう7年経つ。それにおそらく壁は足りず、また足りても次々に本を買うので毎日本棚の本に収めるべき場所を確保するために時間が取られ、それは御免だ。また壁面全体の本棚を誂えるとして、その費用があればほしい本を買う。これはきっと精神病の一種で死ぬまで治らない。安価な本がほとんどで、筆者が死ねば一括してトラックで処分してもいいが、捨てるのは惜しい筆者の作品もたくさんあって、生きている間に行き先を真剣に考えねばならない。そう言いながらおそらく何も変わらない。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する 