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●「SPARRING PARTNER」
徨いの わたしとあなた 今ここで ただ目を交わし 語らず楽しき」、「荒れた手を さすりつ思う 愛しさを 言葉にせずに 瞼滲ませ」、「伝えたき 思い飲み込み また思う 吾思うほど 吾思われず」、「傷のなき 玉を思いて 重ねるは 愛し優しき 懐かしき顔」



●「SPARRING PARTNER」_d0053294_02112844.jpg先日取り上げたフランス映画『ふたりの5つの分かれ路』には60年代のヒット曲が映画音楽として使われる。「頬にかかる涙」や「煙が目にしみる」など、物語が60年代のことかと錯覚するが、携帯電話が登場するので製作年の2004年頃の物語とわかる。オゾン監督がなぜ半世紀ほど前のヒット曲を使ったのかわからないが、単なる好みで深い理由はないか。映画の第2章でヴァレリア・ブルーニ=テデスキが演じる主婦マリオンと夫、夫の兄とその同性愛の愛人の青年の計4人が書斎のような部屋でくつろぐ場面がある。マリオンは背中が丸見えの黒のドレス姿で、マリリン・モンローを意識したような演出と言ってよく、同映画では最もセクシーな雰囲気を醸している。その場面でマリオンの夫が1年か1年半前に経験した友人宅での乱交パーティについて話し始めると、マリオンの表情は次第に曇るが、マリオンもそのパーティに参加し、夫が若い女性とセックスしている場面を暗がりの中で目撃したはずだ。また性交中の夫が男に肛門に挿入されたことも気づいたと思うが、映画ではそのことは明らかにされない。マリオンは知っていたにしてもいい思い出ではなく、その嫌な経験を夫が有頂天に兄やその恋人に話すことにさらに嫌悪感を覚えたのだろう。夫が話し終わった後、マリオンは夫の兄と踊り始め、やがて兄の恋人も加わる。その音楽に合わせての踊りは、ヴァレリアの笑顔と美しい体が相まって忘れ難いが、踊る時に流れるのが今日取り上げる曲「SPARRING PARTNER」だ。筆者は映画でこの曲を初めて聴きながら、即座に感電した。DVDを改めて見ると、3人は明らかにこの曲を聴きながら踊っている。特にマリオンの動きからそれはわかるが、マリオンや夫が部屋でCDを鳴らす操作はないので、映画の現実では音楽なしで踊り、撮影時には音楽を流したことになる。それはいいとして、昨日YouTubeでヴァレリアを検索すると、彼女の映画のベスト10が紹介されていて、うち半分は日本ではDVDが販売されていないが、『ふたりの5つの分かれ路』は第5位になっている。体を張って裸を見せる演技でもあるのでそれは当然か。表情のとても豊かな彼女で、時にとても平俗な顔つきになるが、それこそが女優で、ヴァレリアは汚れ役もこなせる。そしてほとばしる色気が一方にあり、筆者は古代ギリシア・ローマ時代の美女の典型を見る気がする。ヨーロッパを代表する今世紀初頭の美人で、イギリスやアメリカでは見かけないタイプだ。そこで今日取り上げる曲もイタリア人のもので、家の中での酔いが回ったうえでのダンスにぴったりだ。
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 『10ミニッツ・オールダー』の「水の寓話」ではヴァレリアはイタリア人女性を演じた。イタリア生まれであるのでそれは当然のようだが、彼女はフランスに住み、もっぱらフランス映画に出ている。イタリアとフランスは一体と言ってよいところがあり、ナポレオンもイタリア出身だ。それはいいとして、早速映画のダンス場面での曲が収録されるCDをアマゾンに注文した。サントラ盤が無難だが、筆者が同映画で聴きたいのはダンス場面の曲のみだ。それならばその曲が元来収録されるオリジナルの盤がいい。同曲は84年の『PAOLO CONTE』と題するアルバムに収録されていることを知り、それをアマゾンで買った。今日の最初の写真は一番上がサントラ盤で、上から2枚目のジャケットのCDを注文した。ところが届いたのは3枚目のジャケットのもので、アルバム名は同じ『PAOLO CONTE』でも収録曲が全く異なり、聴きたい本曲が入っていない。返却しようかと思いつつ、ステレオで聴くとなかなかよく、手元に置くことにし、最初の写真の一番下のアルバムを注文した。それがヨーロッパから届くのは来週だろう。アルバムの題名にあるのは1937年生まれのイタリアの歌手で、作詞作曲、ピアノを担当する。美声ではないが、それが却ってよい。シャンソン風で、歌詞が重要なはずだが、イタリア語ではわからない。パオロの音楽はアメリカやイギリスにはないタイプのもので、その珍しさはいかに筆者がこれまで聴いて来た音楽が偏っているかをわからせる。これは映画についても言えるだろう。ハリウッド映画しか見ない人にはヨーロッパの監督はさっぱり関心がない。筆者はニュー・ジャーマン・シネマのヘルツォークやファスビンダーの映画が好きだが、それでも偏っていて、フランスやイタリアの映画はほとんど知らない。それで去年ようやくヴァレリアの存在も知った。そして一旦知って関心を抱くと夢中になる筆者であるので、ヴァレリアの出演する映画を可能な限り見てフランス映画のごく一部を知ろうとしている。話を戻して、筆者はロックのうるさい音楽を好み、男性のソロ・ヴォーカルはあまり関心がない。それでパオロの音楽もCDを全部集めるほどにはならず、YouTubeでもっぱら楽しむが、ライヴの映像を見るとかなり複雑なジャズを演奏していることに驚く。大人の音楽で、彼の演奏を聴きに行くにはきちんとスーツを着るべきだろう。彼の音楽はイタリアならではの鄙びたと言えばいいか、ショー・ビジネスに毒されない、生活に根差した逞しさが横溢している。華麗ではなく加齢と言えば腐すことになるが、いい意味での見栄え重視ではなく、歌詞内容と独特の語り口調の歌い方がとにかく格好いい。それはCDジャケットの顔から即座に伝わる。美形ではないが、そんなことを軽く吹き飛ばす貫禄がある。
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 一見肉体労働者風の顔でありながら、知性と優しさが伝わる。俳優のアンソニー・クイーンを思い出すが、もっと逞しい。このパオロの顔に一気に惚れる。そしてそういう彼であり、彼の音楽であるので、筆者は『ふたりの5つ……』で聴いて一瞬で記憶した。『ふたりの……』では本曲の冒頭から半ばまで使われ、後半はカットされて次の音楽のない語りの場面に移る。そこでマリオンの夫の兄の恋人はこれから若者が集まるところに出かけると言い、そこではテクノ音楽が鳴っていると言葉を加える。これはテクノ音楽がマリオンら40歳以上の他の3人には似合わないと暗に言っていて、逆に言えば本曲は大人にしかわからないと監督は考えた。本曲は同性愛者の男性ふたりに挟まれる形でマリオンが踊る時に流れるので、その時のマリオンは複雑な気分を想像すると、本曲の歌詞が知りたくなる。あるいは知らねばならない。そこで検索するとイタリア語の歌詞があり、それの英訳も見つかった。それを訳してまた驚いた。映画のダンス場面とは何の関係もない。「スパーリング・パートナー」は、マリオンと夫の諍いを意味しているのかと想像したが、そうではない。これは「話し相手」、「論争相手」という意味で、親しき間柄だ。歌詞を訳すとメロディはより理解出来、またパオロの優しさがわかる。こんな詩を書く才能はまず日本にはいない。いても歌にならないし、しても売れない。今日の最初の写真の上から3枚目のCDジャケットは、中年ないし老人の男たちが群がっているイラストだ。この絵は本曲の歌詞に通じる。ジャケットの男たちはイタリアのどの町や村にもいる男たちで、彼らは論争し、酒を飲み、歌う。そこに幸福がある。あるいはそれ以外に幸福はない。そういう生き方はイタリア映画ではよく描かれる。『鉄道員』がその代表と言ってよい。そういう普通の労働者の中からパオロのような才能が生まれ、求められ、生活を歌う曲が人々の心を潤わせる。そのように考えるとパオロの曲の本質がわかりやすいだろう。ただしそれは筆者の想像で本曲以外の曲の歌詞を吟味していない。また前述のように曲は複雑なジャズもあって、侮れない。ジャズとなればアメリカが本場だが、パオロは全くイタリアの色合いにしている。そこに筆者は『ふたりの……』のダンス場面のヴァレリアが、マリリン・モンローを彷彿とさせながら、イタリアの大地から出て来た女の性を感じさせることを重ねる。そこまでオゾン監督が意識したかどうかだが、当然意識し、イタリア、フランスにしか作れない映画を目指しているはずだ。イタリア・フランスはルネサンス以降500年も美術の本場であり続けた。そんな土地から生まれる映画、そして音楽が人間を描くのは当然で、また美しい女の代表としてヴァレリアが一時代を築いて来たことは映画史に刻まれる。
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 本曲の歌詞を以下にざっと意訳する。「過去のない猿/彼女はそう言う/記憶のない彼は/暗さの底にいて/ヴェランダを見つめている/そっとしておこう/彼は困惑するからね/会ってはいけない/ゲームの中を覗いた?/もういいかい?/私は旧き議論相手だった/見たことがないよ/虎のような落ち着き/それより多くの秘密を/始発のバスに乗って行け/ほかのすべては詩だ/彼は40以上になっているに違いない/拍手は/彼への愛ゆえだ/彼に会っては駄目だ/微笑んでそこにいたよ/路面電車が通り過ぎるのを見ながら/象のような古い足跡が/道路の敷石に広がっている」事故で頭を怪我したのか、記憶を失ったかつての話し仲間についての歌詞だ。彼は見知らぬ者からは猿に見られる。ひとりで暗闇の底に沈んだように無口で、眼差しをヴェランダに向けている。誰かが語りかけると、記憶のない彼はたちまちジャングルに入ったように混乱する。パオロは彼女に向かって「そのことがわかったのか?」ということを「ゲームの中を覗いた?」と表現している。彼が黙っている様子は虎がじっとしているように落ち着きがあり、それよりもっと多くの秘密を持っているかのような雰囲気がある。彼は夜通し街をうろつき、トラムが往来するのを眺め、始発のバスに乗って帰って行く。そして彼がうろついた足跡は歩道のあちこちに広がっている。歌詞の最初の「猿」、次に「虎」、最後の「象」というように、記憶を失った彼を動物にたとえながら、より勇壮に形容している。また「語りかけると彼はジャングルに入って行く」という下りも動物に因むが、パオロのアルバム・ジャケットにパオロの顔をライオンのような動物の正面顔のイラストにしたものがあって、実際パオロの渋い顔は人間離れして見える。昔はよく議論した旧い知り合いが記憶をなくし、その彼の生態を暖かく描写する歌詞で、この1曲でパオロの稀な才能と人間味がわかる。この曲をアルバムに収録した時、パオロは47歳であった。歌詞に歌われる「彼」は40以上なので、パオロと同世代でやや年下か。年下で議論相手であったならば、優秀な人物であった。それが何かの原因で過去の記憶を失ってしまった。それでも彼はみなから愛され、拍手を送られる。パオロも含めて周囲は暖かいのだ。『ふたりの……』では乱交パーティの話の後でこの曲が流れるが、歌詞はセックスとは無関係だ。ではなぜオゾン監督はこの曲を選んだのか。それはマリオンの夫が男を性交したことを記憶の底に留めて表に出してほしくなかった、つまり本曲の「彼」のように黙っていてほしかったというマリオンの思いを代弁するからだろう。映画のそのダンス場面では夫は終始椅子に座ったままで、マリオンにしばし触れても、立ち上がって一緒に踊らず、口を閉ざしている。それはマリオンにすれば遅過ぎたのだ。
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by uuuzen | 2021-08-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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