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●『明日へのチケット』その3
ばれる ことを思わず 施すは 恥ずかしながら 忍びながらに」、「奪われて さらに施し 空財布 腹も減りて 友と笑うや」、「愚かとは 知りつつなおも する愚か 次はしないと 次も言い訳」、「心病み 行ないも病む 人の目に 映るは闇の 小さき光」



この映画について1日の投稿で終えるつもりであったが、3人の監督による3部作と言ってよく、3回に分けて投稿するのが筋であろう。『10ミニッツ・オールダー』と違って各部は関連し合うので、脚本を誰がどのように書き、また俳優をどのように使って撮ったのかが気になるが、3篇通して登場するアルバニア人家族の5人は小さな男児がいて特に扱いが難しかっただろう。注意深く画面を見ると、演技が出来ないその子どもは各場面で理想的な表情をし、現実の難民家族を起用したのかと思わせられるほどだ。ギリシアの北に接するアルバニアはアドリア海を挟んでイタリア半島の東に位置し、本作のアルバニア人家族がローマに行くのであれば、海をわたったほうが早いが、それが出来ない事情があるのだろう。そこは当時の東欧の政治を知る必要もある。第3篇はイギリスのケン・ローチ監督が担当し、社会派らしく、難民のローマ移住を主題に暖かく描く。この人間の暖かさはいつの時代も求められているはずなのに、一方では世界中に排外的な考えが蔓延している。最近日本の入管でスリランカの30代の女性が死亡する事件があり、日本が外国人定住に関して厳しい国であることが改めて明らかになった。そう言えば日本の有名化粧品会社の社長は在日韓国人が日本のあらゆる世界に浸透し、日本を牛耳っていると差別発言したことが、フィンランドのムーミンの著作権を持つ会社の知るところとなり、同化粧品会社のムーミン・キャラクターの使用を停止した。どの国にでも差別はあり、それをなくして行こうというのが人間として正しい考えであるべきなのに、ホームレスや生活保護受給者を犬猫のペットと比較する愚か者が大きな人気を得る。そういう煽動者に賛同する者は本作を見ても何も感じないか、嫌悪を覚えるに違いない。心温まる物語など嘘っぱちという考えで、誰もが人を蹴落とすことで生存を図り、また金をたくさん得て有名になる者が優秀であると自惚れることが正しいと思い上がる。そういう者が多数を占める国はいずれ内乱が起こり、アルバニアのように不安定な国になり、多くの難民を生む可能性がある。日本は島国でまだいいかもしれないが、ヨーロッパでは隣国の政治変動は国を揺るがす。そういう観点で本作を見る必要がある。またDVDのジャケットの中心に第3篇の主人公であるスコットランドのサッカー・ファン3人の若者の写真が使われたことは、サッカー人気が戦争に対する本能を消化しているとの読み解きも可能で、ヨーロッパの明日はどうあるべきかのひとつの答えを監督は提出している。そしてそれは先の入管事件からして日本では難しい。
●『明日へのチケット』その3_d0053294_22460116.jpg
 「明日へのチケット」の邦題は、第3篇のアルバニア難民にふさわしい。彼ら5人は父親のいるローマに移住するために列車を利用するが、貧しさから切符は全員の分を買っていない。それに第1篇では列車の連結部分に座り込み、座席指定券も持っていないのだろう。インターシティは等級があって、金を多く支払うほどにゆったりとした座席に座れる。第3篇ではアルバニア難民家族は座席にいるし、また車掌が切符を確認に来る時に1枚足りなければ言い訳が出来ないので、まさか切符が1枚買わずに乗っているとは思わないが、ドラマは切符の件で大きく動いて行く。第3篇の主役はスコットランドのスーパーに勤務する若者3名だ。彼らは地元グラスゴーを代表するサッカー・チームのセルティックとローマとの試合を楽しむために列車でローマに向かっている。彼らの姿は第1篇では見えないが、第1篇で中心になる食堂車とは別の車両に乗っていたかもしれない。3人はセルティックのシンボル・カラーである白と緑の横縞の揃いのシャツを着ていて、経済力のなさを自覚している。インターシティに乗ったのは3人のうち眼鏡をかけた男(B)が飛行機嫌いであるからだが、列車は飛行機より安価で、時間はかかっても列車で行くことにしたのだろう。そして試合を見ればすぐに帰るのだろうが、ローマを知らず、泊まる場所を決めていない。3人では最も口数の多いAは、通路を挟んで隣り合った若い女性3人組に話しかけ、しばし楽しい時間を過ごす。彼女らのうちの最も笑ってよくしゃべるひとりは右腕にギプスをしていて、Aはその表面に自分の携帯電話番号を書くなど、どうにかして交際の糸口をつかみたい様子だ。3人の娘はいかにもイタリア系で、うちひとりはヴァレリア・ブルーニ=テデスキとどこか似たタイプだが、全員いわばどこにでもいそうな青春期の女性だ。英語が彼女たちにうまく伝わるかだが、若ければその心配はあまりないのだろう。Aは彼女らの家に泊めてくれとまで言うが、彼女らは笑って取り合わず、目的の駅に着いた時に全員が下車する。その様子を窓から3人のセルティック・ファンは首を揃えて見つめると、彼女たちの前にそれぞれ若い男性が迎えに現われ、抱き合う。セルティック・ファンの3人は野次を飛ばしてがっかりし、この辺りの描写はなかなか面白く、それでDVDのジャケットの中心にその時のセルティック・ファンの3人の顔が使われたのだろう。きれいな娘に恋人がいないはずがなく、そこから逆に恋人のいないスーパーの店員であるしがない男たちの立場が明らかになる。因みに彼女らが下りた駅はオルテで、第2篇に登場したガレーゼから南7,8キロだ。オルテはローマまで5,60キロ程度で、もうドラマは終わりに近づいている。そして彼女らが下車してから次のドラマが始まり、3人のセルティック・ファンはアルバニア人と関係することになる。 それは第2篇でも登場し、セリフもある車掌が切符確認のために乗客を順に回ることで生じる。その前に3人のセルティック・ファンは食堂車でサンドイッチを買って食べようとした時、好みの中身でなかったこともあって、Aはそばにいたアルバニア人家族の10代の少年に与える。彼は赤くて大きなシャツを着て、その背中にベッカムと書かれていて、Aは「おい、ベッカム」と呼びかける。貧しい少年は遠慮なく受け取って食べ始めるが、英語をそれなりに理解する理由をAが訊ねると、サッカーの放送やゲームなどで覚えたと少年は答える。第2篇ではフィリッポに話しかけるイタリア娘はCDウォークマンをイヤフォンで聴き、携帯電話で友人とメールを交わすなど、現代っ子らしい生態を示す。フィリッポがどのようにして遊ぶのかと訊くと、あたりまえのことだが、彼女はもうかくれんぼはせず、プレステなどで遊ぶと返事する。第1篇では教授がイタリアにいる孫からの電話に出ることで確実に携帯電話時代になっていたことがわかるが、第1篇の老人から第2篇の中年の未亡人、第3篇のサッカー・ファンの3人の若者と、順に主人公の世代が若くなっている。それは明日への希望の象徴だ。また教授が秘書からチケットを受け取る場面があることに対し、第2篇ではチケットにしたがって座席に就かない未亡人、第3篇ではチケットを1枚買わなかったアルバニア人家族といったように、チケットが全篇を通じて物語の運びの道具になっているが、教授が他人に邪魔されないように秘書が2席分買ったことに対し、貧しい難民は1枚足りないという設定も現実的だ。そうしたあらゆる階層の人々が同じ列車に乗ることは飛行機では考えにくい。経済的な理由からだけではなく、飛行機では限られた人数しか乗られず、機内をうろうろして心を通わせる機会も乏しい。また、アルバニアからローマに最も安く行くには、かなりの大回りになるが、列車を使うのが最も経済的で現実的という設定から本作の基本の脚本が書かれたに違いない。となれば主役はアルバニア人家族となるが、それでは地味過ぎて映画の商業的成功は望めず、世代の異なる、また職種もさまざまな人物を設定したが、アルバニア人難民とスコットランドのサッカー・ファンを絡めるところにケン・ローチ監督の面目があり、本作は最後で一転して快活な色合いで終わり、後味がよい。ということは、最後に至る直前に大きな波乱がある。食堂車でAがベッカム少年にサンドウィッチを与えた際、Aは列車の切符を少年に奪われてしまう。その場面は最初見た時にはわからず、もう一度確認してなるほどと思わせる描写をしていて、ケン・ローチの手腕は巧みだ。昨日書いたことを繰り返すと、細部に破綻がないように撮影している。ここで疑問となるのは、切符が1枚足りずに列車に乗ったアルバニア人家族は、車掌の切符改めにどう対処するつもりであったかだ。
●『明日へのチケット』その3_d0053294_22461880.jpg
 その間、ベッカム少年はトイレに駆け込むつもりであったのか、あるいはローマ駅で待っているはずの父親に運賃を支払ってもらう考えであったのかだが、少年が切符をわずかな隙を見つけて奪ったことは、間もなくセルティック・ファンに見破られる。Bは味が好みでなかったこともあって、その家族にサンドウィッチを与え、感謝された後、そのサンドウィッチを家族が分けて食べることの貧しさに驚く。それなのにAが切符が奪われたとなると激怒するのは無理もない。3人はアルバニア人家族の座席に詰め寄り、切符を見せろと騒ぐ。通路を挟んで隣りのイタリア人の中年男性が迷惑がり、彼と少し揉めるが、やがて観念したようにアルバニア人家族の年下の娘が立ち上がって事情を説明する。切符を奪われたAを初め3人は彼女を信用しない。貧しい難民であることに同情し、サンドウィッチを与えたのに、恩を仇で返すのかという気持ちだ。それは自分たちもなけなしの金で旅行していて、Bが靴底からへそくり金を取り出してもひとり分の切符代に足りない。車掌は切符のないAに向かってローマで警察が待っていることを告げる。難民の娘は切符がなければ逮捕されるので、それならばこの場で列車から飛び降りるとまで言う。そしてローマで父が待っているし、いつか必ず金は返すと言ってノートを取り出してAの住所を書き留める。それをAはみな嘘で信用出来ないとわめき、切符を取り戻す。すると、3人の若者では最も長身でいかにもスコットランド人という赤毛の男、DVDのジャケットでは中央に写るCがやおら自分の切符を取り出して彼女に与える。最も憤っていたはずのCは土壇場で彼女を信用し、家族の哀れさに同情したのだ。駅に着いてプラットフォームに下りると、Bは車掌に言う。「8万人のセルティック・ファンはひとりも騒がず、われらは紳士の代表だ……」。これは2003年の欧州のサッカー試合でセルティック・ファンが8万人もスペインを訪れ、試合に負けてもひとりも騒動を起こさなかったことを意味している。つまり、Bは自分たちは正直に切符を買ったと言い張る。列車から降りる際、Cは前方を歩くアルバニア人家族の前に父親が両手を広げて歓迎している様子を見て、彼女の言ったことが嘘でなかったことを知る。相手を信じたことが報われたのだ。3人は車掌の隙を狙って一斉に出口に向かって走り出す。駅の出口近くに赤いローマのサッカー旗を広げた集団がいて、彼らはセルティック・ファンの3人に気づき、車掌を阻止する。その場面が今日の2枚目の写真だ。最初の写真はオルテ駅で降りたイタリアの娘たちで、彼女らもセルティック・ファンと同様、どこにでもいる若者で純心さを持っている。その純心さと優しさこそが明日につなげて行くべきチケットで、金はどうにかなる。若ければなおさらだ。個性の違う3人の監督がよくぞ1本でまとまった。
スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示する

by uuuzen | 2021-08-30 23:59 | ●その他の映画など
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