「
熊の子を 飼いて教えて 見世物に 熊手が銭を 浚うは真」、「潮干狩り 今は貝なき甲斐もなき ゴミを集めて 清掃奉仕」、「正装の 法師も汗の 盂蘭盆会 裏では盆に 冷え茶を用意」、「みなで読む お経にやがて 度胸つき 意味はわからず 南無阿弥陀仏」
些細なことをいつまでも放置することが筆者にはよくある。些細なことなので放置したままでかまわないのだが、小さな棘のようにいつまでも気になっている。そんなことがあまりに多く、そして増える理由のひとつにこのブログがある。たとえばこれを書く傍らに1か月ほど前に買った「おっとっと」の2箱の菓子がある。パッケージは新しいデザインが印刷され、嵯峨のスーパーで見つけた途端に籠に放り込んだ。とっくに全部売りたが、今確認すると今年11月が賞味期限で、次の新しいデザインのものが出回るのは10月中だろう。2箱から菓子を全部取り出し、重複する形のものや割れているものなどは除き、箱に印刷されている新しい形のどれが欠けているのかを確認するのにたぶん30分ほどだ。その30分を作るのが面倒だ。とはいえ買ったからには絶対に食べるが、ぎりぎりまでその機会を伸ばしたい。これは褒められることではないが、前述のように些細なことであり、些事は後回しになる。というのは嘘で、筆者は大事なことでも確認を遅らせることがままある。半分は面倒というより逃げているのだが、なぜ逃げるかと言えば面倒なことに巻き込まれるのが嫌であるからだ。この微妙な思いは理解されにくいだろう。自分でもよく理解出来ないから当然だ。さて、今日はどの写真をと思いながら、またゴッホの話では使う写真と齟齬が生じる。そうならないようにするにはゴッホの絵の写真を撮って使えば済むが、それが面倒だ。それで以前撮った写真を消化するが、それでは文章と写真が合わない。それでもかまわないが、出来るならば関連があったほうがよい。それでゴッホのことは忘れて今日は蘇鉄について何か考える必要がある。「蘇鉄葉に そっと手をつき あ痛たた お手つき札の 血痕赤し」今作ったこの歌の「血痕赤し」は「結婚証」で、女性に手をつけると痛みを返され、場合によっては結婚を迫られるという連想による。となれば蘇鉄は女性の象徴か。そうかもしれない。扱いにくく、堂々としていて、めったに枯れない。「彼のない 娘はいても 枯れはなく 緑の髪の 瑞々しきや」今は本当に髪を緑に染める女性がいて、何でもありの世の中になって来て少々のことでは誰しもあまり驚かない。そういう時に却って新鮮に映るのは奇を衒わないことか。それを言えば髪を緑に染色する人も奇抜さを狙ってのことではないと言うこともあるはずで、また奇抜を意図することは自己主張であって謗られることではないという考えもある。こんなことを書く筆者もそれなりの自己主張で、読む人には奇を衒っているように見えるだろう。
生きるほどに小さな棘が刺さり続けるのでは、自分が刺抜き地蔵になって面倒でも1本ずつ抜かねばならない。小さな棘としてひとつ思い出すのはジョニ・ミッチェルのアルバム『ブルー』だ。この作品から13年後に彼女は『タービュレント・インディゴ』と題し、アルバム・ジャケットとしてゴッホの自画像に扮した自画像の油彩画の写真を使った。筆者はこのアルバムを発売当時の1994年に聴き、その後の同じ傾向すなわちジョニの自画像をアルバム・ジャケットに使ったアルバムを全部買って聴いたが、あまり感心せず、彼女のアルバムを聴かなくなった。その理由をここに書き切ることは無理だ。まず女性論になるからだ。それにはフェミニズムに触れる必要があり、たとえばフランス革命時に女性が男性並みに活動する風潮があって、そのことをドーミエが風刺していたこと、さらにはゴッホが女性をどう思っていたかなど、関心はいくらでも広がる。そう言えば先月ネット・ニュースに確かアイルランド人と結婚して現地在住の40代の日本の主婦が文章を書いていた。彼女は伊藤野枝の生き方に憧れ、伊藤が男を次々と変えて4,5人の子を生み、それを全部大杉栄とともに育てていたことに女性のあるべき生き方を思っているようであった。その文章を読みながら筆者は伊藤と辻潤の間の子どもであった辻まことがわずかな運命の違いで甘粕大尉に虐殺されずに済み、また辻まことが後年女性解放運動に眉をひそめていたことを思い出していた。辻まことにすれば、自分の母親が他の男に走り、そして官権力に殺されたのであるから、女性の身勝手な行為を理想などとは思っていなかったはずだ。話を替える。ドーミエは一回りほど年齢の違うお針子と結婚し、生まれた長男はすぐに死に、その後妻と添い遂げた。ドーミエの膨大な作品に女性への関心がうかがえず、それが男として大きな謎に思われているが、妻以外の女に関心がない夫はいる。ゴッホは自分が結婚出来るほどの稼ぎもなく、性欲の処理はもっぱら売春婦に頼ったが、女に振り回された形跡は画業にない。ジョニ・ミッチェルはどのアルバムにも男について書いた曲を収めた。恋多き女で、そのことで有名になり、ゴッホ張りの油彩画をせっせと描き続けたのは、いわば金に困らないことによる余技だ。筆者は彼女の絵を全く評価しないが、それは「見てほしい」という衒いを感じるからと言ってよい。『タービュレント・インディゴ』にはゴッホについての曲がある。その歌詞を読み、筆者は彼女だけが真にゴッホを理解していると思い上がっているように感じる。自分を「コンポーザー」と呼んだゴッホはジョニの「作曲」をどう思うだろう。それはポップだ。ゴッホの時代にも流行歌はあり、またゴッホは絵画の伝統に連なり、改革を目指していた。今日の最初の写真は4月中旬、嵯峨で。2枚目は4月14日、桂、3枚目は5月11日、上桂の保育園。
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