「
馬と鹿 神に祀られ 拝まれて 馬鹿の言葉を 唱えるは馬鹿」、「病みは闇 気づけば晴れる 心窓 夜は眠りて 疲れを癒す」、「カーテンの 隙間に覗く 月明かり 布団の雲を 被りおやすみ」、「イチジクは 一時期の玉 意地で食う 地軸傾き 四季の賜物」
題名とほとんど関係のないことを書くことが多いが、今日もそうなりそうだ。写真は5月17日の撮影で、
「飛び出しボーヤ、その69」の写真を撮った直後のものだ。「その69」の最初の写真の奧に今日の最初の写真の朱塗りの鳥居が見える。今日の3枚目の写真に「田中氏」の墨書がある紅白の鈴紐が中央にあって、近隣の有志が世話しているのだろう。稲荷神社なので三条通り沿いで店を経営している人たちが中心になって勧請したものと思うが、あるいは隣りか奧の住民の個人所有かもしれない。以前に何度か書いたことがあるが、嵐山の法輪寺の境内にも稲荷の社があった。世話する人がなく、さびれていたそれを新たにしたいという古老が自治会内にいて、筆者は相談を受けた。再建費用はその人が出すが、世話は自治会がやってほしいとのことで、それは無理であるので筆者は難色を示し、やがて古老も諦めた。その2,3年後に古老の息子が経営する料亭も廃業し、広い土地を売ってしまった。そうなるとますます再興しようと言う人はない。ところが5,6年前か、傾いた社や鳥居は全部取り壊され、色も形も異なる新たな稲荷神社がたぶん同じ場所に建立された。鉄の囲いが四方に設けられたので間近でお詣り出来ない状態だが、法輪寺にすれば古い記録に載る社を整備しようとの考えだろう。近くには料理旅館やレストランが並び、そうした経営者が商売繁昌を願ってお詣りすればいいと思うが、今時そんな心がまえの主は少ないだろう。また個々の店に神棚があるかもしれない。法輪寺の稲荷の社が以上のような経緯をたどったことからすれば、この嵐山小学校前の稲荷神社はとても珍しい。法輪寺の稲荷には境内はないが、ここは緑が豊かで、わずかだが森のような雰囲気がある。それに道路に面した鳥居をくぐると、左手に鳥居が三つ連なる。木製であるので定期的に建て替える必要があり、それだけ世話をする人がいることになる。法輪寺前すなわち渡月小橋付近の有名な料理旅館が並ぶ地域とは違って商売で栄えている店は近くにはなく、なおさら信心深い人たちがいることを思う。おそらく古くからの住民ばかりで、この神社の保存に異議のある人はいないのだろう。一方、法輪寺前は前述のように古くからの住民がさっさと廃業して土地をよそ者に売る。昨日「風風の湯」でYさんからそんな話を聞いた。法輪寺近くのとある建物が売られ、更地になっているとのことだ。筆者はここ3か月ほど法輪寺前の道路を歩いていないので、正確にはそれがどこかわからないが、いずれまたレストランか民泊になるはずだ。もちろん地元の人の経営ではない。
筆者は排他主義ではなく、嵐山によそ者が移住して来ることは何とも思わない。筆者自身が全くのよそ者として梅津から移り住んだからだ。その頃のわが自治会の会長は長年その役を務めていて、古くからの住民が会長や副会長、会計、監査の4役をすべきとの思いがあった。ところが筆者が嵐山に住んで10数年経った頃、その会長の目に留まり、自治会では最も力のある料理旅館の社長に、「いずれあの人に会長をやらせよう」という囁きを耳にし、その社長も「後継の若い人がいてたのもしい」といったことを口にした。結局その後さらに10数年経って筆者に会長になってほしいとの話が来たが、その後のことはこのブログにいろいろと書いた。また書けないこともたくさんあって、筆者が嵐山を離れれば小説にすれば面白い話もあるが、先の話の続きで何が言いたいかと言えば、筆者が会長になって以降、自治会の4役は2年ごとに新しい人が担当するようになり、随分住民の意識が変わり、風通しがよくなった。つまり自治会に加入すればよそ者が住みやすくなった。筆者が会長になったことでよく話すようになったFさんは70代半ばだが、筆者が会長をしていた10年ほど前のことを懐かしがり、「大山さんと楽しいことが経験出来た」と面と向かって最近言われた。その言葉は嬉しかった。Fさんはお父さんがよそ者として戦後まもなく現在のFさん宅に家をかまえ、当時はよそ者として陰口を言われて苦労したらしい。それでFさんは筆者が自治会長をしていた頃の苦労に同情するのだが、Fさんの助けがあって積極的に務めを果たせられた場面も少なくない。働き盛りの筆者が自治会のつまらぬことで時間を取られたことを家内は恨んでいるが、筆者は気晴らしになり、Fさんのような知り会いが出来たのでよかったと思っている。地元の奧深くを知るには自治会の仕事をすればよい。知ったところで嫌な気分になることもあるが、必ず協力者はいる。そう思えるところに筆者の楽天性がある。もっとも、嫌な経験もして、そのことを思い出すと腹が煮えくり返るが、その相手は嫌われ者で、古くからの住民の中でも孤立している。同じように何代にもわたって住む古い住民のIさんはFさんと同じく70代後半で、散歩中に筆者と出くわすと、必ず帽子を取りながら大声で筆者に挨拶の言葉をかける。Iさんがいつも先に気づくのが不思議で、筆者が奇抜な格好をしている時でも30メートル離れたところから声をかけられる。よほど会長をしていた頃の印象が強いと見えるが、立ち話でもまたIさんとしばし談笑する機会があればと思う。よそ者であっても古くからの地域に馴染むことは出来る。もちろん人柄によるし、また人は人をよく見ているという現実を知らねばならない。とはいえ、わが自治会に限っても新たに家が建ち、筆者の知らない店が出来、またよそ者の住民が増えつつあり、いつの間にか筆者は古老の仲間入りだ。
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