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●阪急嵐山駅前の駐輪場、その11
げた後 嬉しさよりも 味気なさ 生きる限りは 届かぬ思い」、「まだまだと 思いつ気づく 高齢や 元気自慢の 見苦しさ知る」、「迷惑を かけぬと威張り 人寄らず さびしく死んで 他人の世話に」、「縁のなき 人も恋しき 病の身 窓辺の雀 来てはすぐ去り」



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暗い内容の歌ばかり詠んだが、いずれも半分は実際の経験、もう半分は想像による。今日の写真は6月10日撮影で、工事用の塀が一部外された。この駐輪場は今後半世紀は使われると思うが、近年阪急嵐山駅前の変化が激しく、またどうなるかわからない。このブログでは駅の前ではないので取り上げていないが、駅からすぐ南の大きな駐車場や畑、木造アパートが姿を消し、新たな建物が完成もしくはこれから工事が始まる。町はバベルの塔のようなもので、常にどこかで工事があり、完成がない。そのことを筆者は人間ないし筆者にたとえたい思いがある。気になっていることは常にたくさんあるが、考えがまとまらないことは書きにくい。また芋蔓式に興味が派生し、まとまったはずの考えが深化することはよくある。先日岩崎巴人のことを昔から知っていると書いた。その昔がいつのことかと思うと、先日ネットでたまたま昭和62年6月に京都の思文閣美術館で開催された図録を見た。筆者は同展を見て巴人の作品を知った。30歳であるからもう40年前のことだ。同展の図録は10数年前に入手し、隣家に置いてあるはずだが、まだ探していない。それはさておき、40年後に巴人のことをそれなりに詳しく知り、今であるからこそ理解出来ることが多く、近年は若い頃に気になりながら読まなかった本をなるべく読破したいと思っている。一方、日々読みたい本が生まれるので切りがなく、人生はそのようなもの、つまりバベルの塔と思って興味の赴くまま好きに時間を潰している。巴人の画業で面白いと思ったことに、彼が戦後ドイツ表現主義の絵画に心酔し、評論家の河北倫明の提案もあって「日本表現派」を立ち上げたことがある。ドイツ表現主義の絵画は筆者も大好きだ。日本ではグロッスの人気が昔から高いが、巴人はディックスの絵を知っていたであろうか。戦前の美術雑誌に「戦争」の銅版画シリーズから数点は紹介されていたであろうし、輸入本に頼ることも出来た。ともかく巴人はディックスの作も知ったはずで、そうであればきれいな表現の日本画に物足りなくなったことはよくわかる。戦争を経験した巴人であればなおさらだ。河北倫明が巴人と親交があり、巴人の絵をアメリカの資産家に積極的に紹介し、購入を勧めていたことも意外で、河北を見直した。巴人は若い頃から鉄斎の絵が好きで、やがて水墨画を始めるが、10数歳年配の棟方志功が水墨を始めるのが巴人との出会いがあってと知って驚いた。そのほかにも有名画人との関わりが興味深く、また売茶翁や池大雅、小川芋銭、村上華岳などの文人画系の人物に一目置いているところは筆者と好みが一致する。
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 巴人の現代芸術に対する視点も面白いが、画家であるからには最先端の絵画の流行も注視せねばならない。日本で最初のゴッホ展を見ての感想は格調が高く、戦後間もなくの日本がいかに本物の芸術に飢えていたかがわかる。今では毎年ゴッホ展が開催され、巴人の感動はおおげさに思う人があるかもしれない。巴人はルオーの絵にも大きく感動しているが、日本でのルオー人気はここ半世紀ほどの間に下火になった気がする。巴人がディックスの絵を知っていたのであれば、風刺絵画に関心を持ち、そこからドーミエを評価したと思うが、ドーミエの光と影の対照が著しい絵は、東洋の優越性を唱える巴人にはあまり気に入らなかったかもしれない。ところで一昨日、美術出版社刊「世界の巨匠シリーズ」の1冊『ドーミエ』を読み終え、気になる絵がある。「逃亡者」、「移民」と題する2点の横長の、逃げ去る群像を描く油彩画だ。これの意味するところが評論家でもわからないらしい。後者について同書では、「1848年6月の反革命事件以後のあの追放をほのめかしているといえるのだろうか? いや、そうとも私は考えない。ドーミエはしばしばこのテーマを扱っていて、私にはそれが、ある種の独自的オブセッションの反映としか信ぜられないのである。」とし、ドーミエに憑りついていた「逃亡」「移民」「追放」といった思いが何によるのか、筆者は関心を持った。というのは、アフガニスタンで大統領が外国に逃げてタリバンが政権を奪い、アフガニスタンから出たい人が急増中で、ドーミエの時代と変わらぬことが今も世界中で繰り返され、権力の犠牲になる弱者にドーミエが同情していたと思うからだ。「逃亡者」と「移民」は4000点ほど描いたとされる石版画にはない悲しい絵で、売る当てがあっのものではない。ドーミエの時代、革命の大混乱にあったフランスから群衆が移民となって逃げ出て行ったとすれば、行く先はアメリカと考えてよい。そこで一旗揚げられればいいが、そんな成功者は稀であったろう。ドーミエは旅芸人もよく描いた。日銭を稼ぐ彼らも「逃亡者」の部類で、彼らにドーミエは自己投影したであろう。日刊新聞のために石版画を4000点も描くのは職人芸と言ってよく、またそれほど1点当たりの画料がさほどでもなかった。実際ドーミエは借金を重ね、逃亡者のように住む場所を変えることがよくあった。『ドーミエ』の解説者ロバート・レイは最後にこう書く。「他の少数の作品が人間ドーミエを示している。……彼は独りわれわれに背を向けて、人通りのない寂しい道を、いずことも知れずこの世ならぬゴールを目指して、希望のともしびを永遠にかかげつつ降りていく。これらの作品こそ、真に秘められたこの大芸術衛の魂をわれわれに啓示して見せている。……」「これらの作品」に「逃亡者」や「移民」が含まれる。そう言えば巴人も逃亡者のような人生ではなかったか。
●阪急嵐山駅前の駐輪場、その11_d0053294_00383989.jpg

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by uuuzen | 2021-08-19 23:59 | ●駅前の変化
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