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●神社の造形―東寺稲荷神社
ること 何も持たずに ゴミ掃除 埃まみれの 世間変わらず」、「汗流し 風呂のサウナで また流し 後はビールを 喉から流し」、「暑過ぎて 冷たきビール 飲み過ぎて暑さ避け得ず 熱き酒飲む」、「鳥井氏が 建てる神社の 鳥居には 陽の鳥たちが 酔うて飛び交う」



●神社の造形―東寺稲荷神社_d0053294_16172909.jpg先月15日、自転車で羅城門跡に着いた後、北東方向の水族館を目指し、その途中にある神社を巡ることにしたが、地図に鳥居のマークをボールペンで記しただけで、神社の名前は覚えなかった。それで最初に撮影したのが昨日紹介した小さな祠で、次も同じようなものかと期待せずに狭い道を北上すると、四つ辻の北東角に朱塗りの大きな鳥居が突如現われて度肝を抜かれた。昨日の地図ではCの位置で青線の右手にあり、東寺町に属する。自転車を停めた途端、鳥居前に白髪の70代半ばらしき小柄の老人がいた。さっぱりとした水色の半袖のシャツにベージュのズボン姿で、隠居した温和な商店主といった感じで、筆者をじっと見つめた。地元の人であるのは間違いがない。よそ者がやって来たという顔をされたが、筆者は神社に関心があり、その写真を撮るだけだ。そして神社の西壁際に自転車を停め、鳥居の前に戻って撮った。振り返ると老人は筆者が走って来た道を振り返らずに南下して行く。その姿を確認して神社前を少しだけ東に入って今日の2枚目の写真を撮影した。住宅が密集するせせこましい地域にこれほど大きな鳥居は珍しい。先ほど名称を調べると「東寺稲荷神社」だ。自転車で走っていると、右手に東寺の五重の塔が見えた。この神社は東寺境内から少し外れた北西に位置し、仏教に追いやられた、あるいはおまけの形に見えなくもなく、明治維新にこの場所に移されたかもしれないが、秦氏の伏見稲荷創建は弘法大使が生まれるよりはるかに古い。神の国の日本で仏教が神社より大きな力を持つことはけしからんという声が明治維新に大きくなり、多くの寺や仏像が壊されたが、神と仏を同じものとみなして来た長年の経緯からして神仏を厳密に分けるのは無理な話だ。それでまた曖昧にされて今に至るが、造形の面からすれば神社と寺は全然違い、子どもでもわかる。ところが寺の中に鳥居があることは珍しくなく、神宮寺はその反対に神社に寺が附属する。何事も混淆すると複雑になって面白さが増すが、真言密教の東寺では講堂にある立体曼荼羅の仏像群がヒンズー教の熱くて高度な密度の造形性を持ち、その迫力は葬式で馴染みの仏教とは一線を画す激しいものと誰しも思うだろう。東寺稲荷は1本の大きな楠の神木があるのみで、歩き回れる境内はないが、町中の神社とすれば最大限の迫力を伝える石垣や鳥居、玉垣、社殿となっている。2枚目の写真では鳥居の右手に小さな地蔵の祠が設置され、これは地元住民の便を図って移設されたものではないか。地蔵盆がこの場所で行なわれるとして、人々は隣りの朱色の神社に目が行き、東寺の威厳を感じることになる。
●神社の造形―東寺稲荷神社_d0053294_16175136.jpg

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by uuuzen | 2021-08-04 23:59 | ●神社の造形
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