「
畿の外と 言うべき古き 都には 狐が守る 神そこかしこ」、「初めての 道を進めば 面白き わがアンテナが はてなと尖り」、「工房の 古びた筆で 誤字を書き 弘法の護持 祈る昼下がり」、「冬至には 東寺に詣りて 湯治かな 今は近くに スーパースパ」
西国街道の起点の羅城門跡を確認した後は、地図でたまたま見つけた神社を巡ることにした。地図の縮尺によっては小さな神社は表示されず、拡大したのがよかった。「ついで主義」からすれば、どうせ道を通るのであればブログのネタになる何かに遭遇する何かが多いほうがよい。たいていはたまたま見つけるし、またそのほうが印象に深く、昨日書いた吉祥院商店会のある店頭でも珍しいものを見かけた。高さ50センチほどの焦げ茶色の象の木彫りで、よくある東南アジアの土産の民芸品だが、商品ではないかもしれない。筆者はそれと同じ形の高さが半分くらいのものを持っていて、最近は脇息代わりに使っている。自転車を停めなかったが、0.5秒ほど見つめたのでよく覚えている。帰宅後にグーグルのストリート・ヴューで調べると、店が閉まっているのか、あるいは以前は置いていなかったのか、見つけられなかった。その像を確認するために商店街を再訪する気はなく、何かのついでがある時でいいが、その時にはもうないかもしれない。それはさておき今日の最初の地図はAが羅城門跡で、青線が走った道筋だ。地図ではBに「稲荷神社」とあり、地図片手にまずそこに立ち寄ることにした。ところが地図に記した場所に着いているはずが、それらしきものがない。おかしいなと思っていると、小さな祠が鉄柵に囲まれて筆者の左手1メートルにあるではないか。1枚だけ近寄って写真を撮った。一対の白い稲荷狐の陶像と祠の奧の鏡を収めたが、京都では町内にある地蔵の祠程度の大きさで、地図に「稲荷神社」と記すほどではないが、たまにこのような小さな神社を見かける。これの真横にある建物が「四ノ神神友会、南大門福祉会館」の文字が壁面にあり、おそらく建物がある場所は神社の境内で神木があったのではないか。建物の玄関脇には「南大門児童館」「南大門集会所」「南大門老人クラブハウス」「南大門子供文庫」の4つの名札があって、地域住民のさまざまな利用に供されている。またそれほどに人口が密集し、土地に余裕がないことを示すが、古くからある稲荷神社を廃することは出来ず、地域住民が世話をしている。京都のお地蔵さんはどこも祠のみのはずで、この稲荷神社に境内があったことが地域に幸いした。というのは筆者の想像で、何百年も前から祠のみであったかもしれない。そうとすれば真横の家が伏見稲荷から勧進して世話をしていたのだろう。鉄柵で囲うのは、子どもが稲荷狐で遊ばないようにするためだろう。こういう祠がある地域で育つ子は無意識のうちに謎めいた、触れてはならない印象を植えつけられるだろう。それはとてもいいことに思う。

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