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●『表現の不自由展 かんさい』その2
くて 美しきこと 好む人 眩しさ愛でて 財宝持たず」、「道草を 食んでばかりの 馬や鹿 吾が望むは 大山羊」、「山娘 山彦聞いて 胸躍る 春の息吹に 山は霞みて」、「松の葉の 赤きを摘まみ 捨つる妻 白き髪増え 夕陽に映えし」



●『表現の不自由展 かんさい』その2_d0053294_15493597.jpg大阪がサンフランシスコと姉妹都市の契約をしたのはいつのことか知らないが、今の大阪知事が数年前に一方的にそれを解消したことには驚いた。サンフランシスコの市長が話題になっている韓国の「慰安婦像」の市内設置を許可したからだ。大阪の知事はそのことが日本への侮辱行為と思ったのだが、先人が結んだ外国の大都市との相互理解を目的とした友好契約を、今後のことも考えずに知事が破棄することは、冷静であるべき立場にある者の対応とはとても思えない。もっと言えば国際的感覚がない。おかしなことをする知事だなと思っていると、本展が愛知県立美術館で開催された際、大阪の知事が所属する維新の議員が抗議に加わった。そのため、本展が「エル・おおさか」で開催されることになった時、当然知事は阻止しようとしたが、最高裁まで争って裁判官全員一致で元どおりに開催が認められた。サンフランシスコとの友好を蹴ってまで自分の思いを通した知事であるから、本展の開催が「表現の自由」として憲法で守られた判決が出たことを腹に据えかねたはずだが、知事の賛同者たちにどう言い訳するのだろう。ともかくわずか3日にしろ、また作品は少数に絞られたにしろ、いちおう話題になっていた問題作は展示されたので、開催委員会としては成功であった。筆者は開催されなければ仕方がないと諦める程度の関心で、愛知で開催された時に見に行く気はなかった。市長や名古屋の有名な整形外科医が大騒ぎしたので機会があれば見ておこうかという程度だ。そして結論を言えば「慰安婦像」を目の当たりにしてさほど感動しなかった。というのは、てっきり木彫りに着色の1点制作品と思っていたのに、100でも200でも量産可能なFRPの彫刻と知って拍子抜けしたからだ。チマ・チョゴリを着た赤い頬の十代の娘の像となると、何となく柳宗悦が生きている頃の素朴な朝鮮を連想し、木彫りに違いないと思い込んでいた。FRPは粘土の塑像を石膏で雌型を型取りするが、木彫りの像でも石膏を使えるかもしれない。それはともかくFRPは軽くて量産可能であるから、今回の展示作が開催反対者によって破壊されても代わりはある。作者はキム・ソギョンとキム・ウンソンの夫婦で、2年ほど前にふたりをTVで見たところ、いかにもこの像の作者という真面目な雰囲気で好感が持てた。正式には「平和の少女像」と呼び、この像の製作経緯を記す説明文を撮影して来た。それによれば作者夫婦は「民衆美術」の流れを汲み、「民衆美術とは、1980年代の独裁政権に抵抗し展開した韓国独自のもので、以降も不正義に立ち向かう精神は脈々と継承されている……」とある。
●『表現の不自由展 かんさい』その2_d0053294_15495815.jpg
 「民衆」となれば柳の「民藝」と無縁ではない。むしろ柳が価値を見出した民衆の健康的な造形を賛美する思想を再確認した考えによる美術だろう。もっと言えば、「韓国独自」は確かだが、その根底に日韓併合によって柳が朝鮮半島を動き回りやすくなったことから発見した朝鮮美術の個性を戦後の韓国人が自信を持って成長させた側面は無視出来ないのではないか。昨日は儀間比呂志の名前を出したが、彼の版画も沖縄の独自性を阻むものに対する抵抗が根底にあり、「民藝」とつながっている。その儀間の作品から「平和の少女像」を思えばすんなりとその意図することが理解出来る。以前の投稿で儀間の版画で沖縄の女性を描いたものは特に美しいと書いた。儀間でしか表現出来ない力強さと潔癖さ、美しさがあり、筆者はそこにひとつの理想的な女性像を見る。そういう良質の芸術の香りは「平和の少女像」にもある。等身大の写実的な彫刻で、顔は典型的な、つまり整形をしていない朝鮮の素朴な娘を表わしている。ところがブロンズに鋳直されると人間らしい着色がなくなるため、魅力は半減している。野外に設置するからには仕方がないが、作者の最初の思いを知るには着色したFRP彫刻を見るべきだ。説明文の続きを書くと、「本作は「慰安婦」被害者の人権と女性の人権と名誉を回復するため在韓日本大使館前で20年続いて来た水曜デモ1000回を記念し、当事者の意思と女性の人権の闘いを称え継承する追悼碑として市民団体が構想し市民の募金で建てられた。……」とある。このことを知る日本人は少ないだろう。第一、「慰安婦像」ではなく、皮肉を込めて「売春婦像」と呼ぶ人がいる。そう言えば4,5年前か、筒井康隆がこの像を「かわいい」と言った次に「みんなで射精して精子をぶっかけよう」と書いた。それ以降TVで筒井の姿を見なくなった気がするが、本人は「慰安婦」の像であるからにはその実態を戯画化したつもりなのだろう。もっと穿てば、この像を小学生にどう説明出来るかを思ったのかもしれない。「平和祈念」として、なぜ民族衣装の娘の像なのか。それを子どもに理解させるには戦争における異常で悲惨な出来事を伝えねばならない。ところが性教育でもためらいがある日本では、「慰安」の具体的な意味を説明することはとても無理だ。そういうことをわかったうえで筒井は大人向けに、この像を囲んで男どもが射精している様子を想像したのだろうが、そういう射精像を実物大で造ってこの少女像の周りを取り囲むと、その表現の自由は展示不可になるはずだ。性器や性交を表現することは現代芸術ではさほど珍しいことではないが、「平和」を主張する像に対して冒涜と捉えられる。つまり、この少女像に別の像を置くとして、それは日本としては手も足も出ない。韓国が出したひとつの答えは、前首相らしき顔のスーツ姿の男性がこの少女像の前でひれ伏す像だ。
 そこには日本を代表する者の謝罪を真に望む韓国の思いがある。これまで日本はそれなりに謝罪して来たが、心がこもっていないと韓国は見ているのだろう。そこで日本はいつまでも金をせびるのかと受け取る人があるが、韓国にすれば金よりも誠意というのが本音だろう。ところがその誠意をどう相手に理解してもらうかは何事においても難しく、結局は金で解決される。一方韓国では慰安婦のための財団を取り仕切っていた女性がその資金を不法に流用し、韓国でも話がますます込み入り、今ではほとんどわけがわからくなって来ている。天皇に謝罪してもらいたいと発言した韓国の有力議員がいたが、それをするのであれば昭和天皇であったと言うべきだ。ところが日本には日本の事情があり、受け入れられないことがある。韓国では「天皇」は「日本国王」の認識で、日本独自の象徴天皇の位置づけが理解されない。晩年の西部邁が天皇はたとえばイギリスの国王とは全く違う存在で、またその意義に賛同する発言をTVで行なっていたが、日本ですら曖昧なものは曖昧であって、よくわからないのであるから、言葉が異なる国の人にその曖昧さのよさのようなものを説いても理解されず、曖昧なものがなぜ必要なのか、それを言葉で説明してほしいと言われるだろう。筆者に反物の白生地を売りに来ていたKさんは、当初150人ほどいた顧客の染色作家の中でやがて筆者が最も親しくした人物となって、Kさんの葬儀に筆者は友人としてただひとり参列した。ただし、Kさんと何でも意見が一致したのではない。左翼思想のKさんの書斎を一度見たことがあるが、部屋中分厚い専門書で埋まっていた。天皇に対して批判的で、退位して静かに暮らせばいいという意見で、それに対して筆者は天皇の仕組みがあってもなくてもいいと言うと、Kさんは「曖昧はよくない。天皇を利用する政治家がいることは歴史が証明している」と返し、いないことのほうが国民に益があると思っていた。筆者は言わなかったが、天皇を廃すると、政治家はもっとやりたい放題をし、韓国に似た国になるだろう。韓国では大統領が代わるたびに前大統領は投獄され、三権分立が日本以上に機能しているとも言えるが、日本では天皇がいなくなれば、なおのこと幕藩政治と同じく世襲議員が中心となって好き勝手をするだろう。近年は独裁が目立ち、政治家は天皇をほとんど無視している。政治に関与しない存在であるからそれは当然でも、天皇は以前より軽んじられているように見える。となれば天皇不要論を政治家が唱える時代が来るかもしれない。これはKさんと意見が一致したが、韓国は李王朝がなくなったことで民主主義が日本よりも根づいたのではないか。それはともかく、両国の差は政治だけではなく、歴史、文化にも大いにあって、相互理解はごく一部の人以外は相変わらず進んでいないように思える。
●『表現の不自由展 かんさい』その2_d0053294_15510695.jpg 話を筒井に戻すと、射精云々の言葉からわかるように、「平和の少女像」のような「生真面目」な、そして政治のプロパガンダに使われる作品が嫌いなのだろう。もっと言えば反権力の立場だ。またいつも注目を浴び、ふざけて面白楽しく生きられればそれでよいと思っていると認識されたところで、筒井は痛くも痒くもないが、日本の著名人によるこの像に対する「茶化した『いじめ』」の考えの真意を理解しようとする暇な人はおらず、「しょせん売文家風情」の無責任な発言と取られるであろうから、「かわいい」の発言に留めておけばよかった。昨今女性は男性からの性的被害を告発することが珍しくなくなり、仕事においても男性より収入が少ないなど、差別を糾弾する風が強く、筒井は男尊女卑の考えが甚だしい時代遅れとみなされるだろうし、彼の年齢では無理もない。そのように捉えると、「平和の少女像」は日本では男女で捉え方が異なることが想像される。もっと言えば女性が時代を大きく変えて行く過渡期にあるのかもしれない。それを察して五輪相は女性が任命され、都知事も女性となっているが、女性政治家の顔ぶれを見ると男と同様で、期待出来る者がいない。話をまた戻すが、「平和の少女像」にひれ伏す男性像は、キム・ソギョン、ウンソン夫妻が作ったのか、あるいは他者が作ったとして夫妻は対として置かれることを許可したのだろうか。「慰安婦」の人権と名誉を回復するための作品だが、日韓で従軍慰安婦の捉え方に差があることが両国で考えが対立する原因になっている。日本では少女を村から誘拐して来て慰安婦にした事実はないとし、また彼女たちは自発的な娼婦であって、高収入を得て経済的に恵まれていたと言う日本側の意見がある。これは戦前の朝鮮の十代の娘たちは日本軍が来たことで金儲けの機会が出来て喜んで娼婦になったということを言いたげで、生存している慰安婦たちが心から謝罪してほしいと言うのは無理もない。ところがこの問題は根が深い。日韓併合があったお陰で韓国は近代国家に生まれ変わることが出来たのであって、併合して日本が多額の開発資金を韓国に投入したことに対して「ありがとう」の思いはないのかという意見が日本では多い。ここには朝鮮半島に統一国家が生まれても、人口は日本が多く、国力では絶対に負けないという自信が見え透く。つまり流行りの言葉を使えば、「マウント」を永遠に取ることが出来るとの思いだ。ところが人口が莫大に多い中国に対してはとてもかなわないと認める、あるいは諦める意見が目立つ。どの国にもさまざまな意見を持つ者がいて、国を個人に置き換えることは出来ないが、政治家はその点をうまくマスコミを使って操るから、大半の人々は深く考えることもなく、付和雷同して嫌韓意識を持つ。とはいえそれは韓国でも同じはずで、どの国でも同じ割合だけ同じような人がいる。
 Kさんは、日本と韓国は近親憎悪の関係にあり、国交後半世紀ほどではさまざまな軋轢が出て来るのは仕方がなく、侵略された韓国の傷が癒えていないのであれば素直に謝るしかないとの考えであった。これは平均的な左翼の思いで、本展もそこに立っているだろう。右翼にすれば永遠に謝らねばならないのかと否定的で、文句を言い続ける国の相手をしている暇はないとの考えだ。その一例は秀吉の文禄・慶長の朝鮮出兵だ。日本では秀吉は英雄だが、韓国では最大の外敵で、その末裔が今の日本という意識があり、油断はしていない。それを象徴するのが李舜臣将軍の像だ。最近家内のそばで韓国ドラマの『春のワルツ』をぼんやり見ていると、風光明媚な韓国南部の見知らぬ海辺の街に一瞬この将軍の立像が映った。監督はそれを映し込む意図はなかったはずだが、左右対称を強調したこの大きな銅像は、どれも日本を向き、目立つ場所に建てられている。プサンやソウルでも同じで、おそらく同じ型で同じ大きさのものが各地にあるだろう。韓国にすれば南の海を監視する守護神で、日本から攻めて来ることを常に警戒している。人々の意識はそのように何百年も続くが、攻めた方は忘れる。文禄・慶長の役は日本をも疲弊させ、兵士たちは悲惨な目に遭った。中国も制覇する野望を抱いた秀吉の姿は後の大東亜共和圏の構想につながったであろう。京都の豊國神社は大阪中之島に分祀され、それが戦後に大阪城内に移ったが、その本殿の鳥居前に立つ秀吉の大きな立ち姿の銅像は真北の天守閣を見ているとされるが、実際は北西向きで、李舜臣像と対峙しているようにも思える。ところがその秀吉像は多くの日本人が知っているイコンではない。それはそれでいいのであって、その像が日本海沿岸各地に建てられると、韓国から抗議が出るはずだ。それはともかく、李舜臣の銅像を知れば、「平和の少女像」が作られたことは合点が行く。銅像を作って各地に建て、歴史から教訓を忘れないというのは韓国の国民性なのだ。それが滑稽とは言えまい。文禄・慶長の役にしろ、日本が朝鮮半島に攻め入ったのは、悪事をされたことの報復ではない。ところが日本は以前「朝鮮征伐」という言葉を使い、相手を懲らしめると国民に刷り込んだ。似たことはアメリカの西部劇にもある。インディアンはカウボーイにさんざん駆逐され、それが正義とみなされた。そのことに疑問が抱かれ始めたのが、ようやく60年代の終わりだ。中国は蒙古として日本に攻め込んで来たことがあるが、朝鮮は一度もない。ところがそんな初歩的なことでも学校は教えず、今なお韓国、朝鮮を嘲笑する人が大多数を占めている。それを知っている韓国は、侵略されたのは国力がなかったと自覚し、力をつけねばならないと鼓舞するようになった。そのことで思うのは国際的な意識だ。「平和の少女像」はその感覚によって世界中に広がりつつある。
●『表現の不自由展 かんさい』その2_d0053294_15522351.jpg 日本では今なお何か大事があれば鎖国すればいいという冗談半分の意見が出る。その内向きの思想は捨てたほうがいい。日本は自国を外国に向けて宣伝することが苦手で、黙っていても認めてもらえるという意識が強いとはよく言われる。このブログの「ザッパ関連ニュース」でお馴染みのアメリカの大西さんは、ニューヨークに勤務して子どもを育て上げ、日韓の在米人をよく見て来ている。彼によれば、日韓のコミュニティの差は歴然で、日本は静か、韓国は派手と言う。充分想像出来ることだ。人種多様なアメリカではそのくらいでちょうどいい加減で、寡黙が美徳であると思わないほうがよい。人間が人間であるのは言葉を操るからで、自分の思いを伝えるには言葉が巧みであらねばならない。これは国家としても同じだ。昨日触れたロバート・ラウシェンバーグは、美術の中心がフランスからアメリカに移るきっかけの役割を果たした。彼ひとりが作品を作っただけではそうはならなかった。作品の見事さがもちろん最重要だが、それを海外の美術界に売り込む取り巻きが優秀であった。そこには言葉を操る評論家も含まれる。欧米の芸術家は言葉が巧みで、自作を論理的に語れる者が多い。新時代の作品は新しい理論を持っているはずで、それは言葉で説明され得る。言葉を発しない絵画や音楽だけでは広く伝播はしにくい。また現状を分析する必要もある。そこは芸術家の直感が大きな力を持つが、自己に沈潜するだけでは名作は生まれない。ゴッホの作品を見てもわかるが、同時代も含めて多くの絵画を学んでいる。そういう常識は、Kポップの世界的流行を見ればよい。韓国は日本よりはるかに戦略的で、広く理解を得るための研究をしている。その点やはり日本は苦手なようで、外国から賛美されて初めて価値に気づくことがよくある。芸術家がいい仕事をしても、それを世界に広めようという国民の意識が乏しい。そこには政治家の責任もあるが、画商や評論家がグループを作っていかに世界に打って出るかという感覚がない。画商は骨董を扱っても食べていけるが、評論家はよほどの大物にならない限り、文筆の収入のみでは無理で、同じ文章を書くなら小説など、もっと手っ取り早い方法を目指すからでもある。日本の美術は日本のみで消費されてよく、日本独自の価値観があってよいという意見は今も根強いが、その日本独自の芸術ですら、日本の愛好家はごく少数だ。芸術をやるよりスポーツのほうが儲かるという意識が強く、そうして五輪が誘致され、選手たちはいずれ大臣の道も約束されている。それでは本展の開催を阻む勢力があるのも当然だ。東京五輪の開会式ではゲーム音楽が使われたが、そういう子ども向きに書かれた音楽に深い精神性は宿らない。日本にもっと芸術性豊かな作曲家はたくさんいるはずだが、陽が当たらないのだろう。その点はアメリカよりもっとひどいのかもしれない。
 五輪の話になったので書いておく。開会式の当日、「風風の湯」で最後の聖火ランナーは誰かと話題になった。筆者は皆目見当がつかず、帰りがけにふと思ったのは大坂なおみであった。彼女なら世界的に有名で、また混血であるので、多様性の共生を謳う五輪向きであり、日本を差別のない国として宣伝するのに最適だ。予想どおり彼女が務めたが、五輪選手には他にも黒人との混血は目立ち、いつの間にか日本は人種が多様な国になっている。それは差別が減ったことを意味するか。その面もあるが、相変らず韓国や中国に対しては表情が硬い。はるかに離れた、また正確にどこにあるかわからない小さな国に対しては微笑ましく、暖かい眼差しを向けるが、そこには抵抗しないペットを見つめるのに似た思いがあるだろう。つまり目障りな存在は嫌なのだが、さりとて隣国であればお互いに完全無視は不可能だ。ヨーロッパでも隣り合う国の仲がよくないことはあり、あるいは同じ国でも民族の異なる地域の間で争いがあるので、日中韓で偏見やいがみ合いがあるのはおそらく今後も変わらない。そこで大切なことは、世界から見てどうなのかという意識だ。またそれは世界に向けて主張し続けることとセットになっている。大坂なおみに話を戻すと、彼女が幼くして両親とハイチへ移住したのは、大阪に住んで偏見の眼差しが強かったからであろう。彼女は運動能力を活かして世界的に有名になったが、混血で目立つ才能を持たない在日のほうが大勢だ。そして時には警察の世話になることもある。そうなると批判される強さは倍化する。そうでなくても変な事件が起こると、「日本人ではないでしょ」と書き込みする人は多い。それどころか、先日筆者は、遺伝子を調べて3代以上遡って日本人の血ではない者を峻別すべきというコメントを読んで驚いた。そういうことは不可能であるし、血液の遺伝子を調べても、日本は中国や朝鮮、東南アジアの混血であることがわかるだけで、純粋の血の考えは妄想だ。そのコメント主は、大坂なおみをどう思っているのだろう。誰にも真似の出来ない優れた才能を持つ者は除外するというのであれば、ヒトラーやナチと同じ考えだ。とはいえ、そのように考える差別主義者は永遠になくならない。自分が差別されなければわからず、また差別されるとなお差別する思いを増大させるだろう。それでは駄目で、他者の思いを想像することが大事だ。その観点から見ることを、「平和の少女像」は無言で求めている。本展でその写真を撮っていると、背後から若い女性から声をかけられた。「一緒に撮りましょうか」。筆者は自分の姿が撮影されるのが嫌で断ったが、次々に少女像の右手に用意された椅子に座る鑑賞者がいた。この彫刻は少女像だけではなく、空席の椅子も含めてのもので、そこに誰か座ることを求めるパフォーマンス作品でもある。これは重要だ。
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 この少女像に寄り添って彼女の運命に思いを真に馳せられるのは若い女性たちだ。時代が違えばどの国のどの少女も兵士を性的に慰安する役割が回って来る。この像はそんな残酷さを静かに抗議する。一部の知事や市長、極右の者はそうは捉えず、反日行為は許さないと騒ぐ。筆者は想像の中でこの少女像の隣りに座るが、どういう表情をすればいいかわからない。隣りに座る真面目でまともな思考の出来る若い女性に対して、『そうなりたくない。そうなるかもしれないことに抗議する。』という思いを惹起させる点で、この作品は普遍性を獲得している。今回知ったが、床に老婆の白い影が描かれ、蝶が一頭白抜きされる。その二次元の表現は鑑賞者の思いを誘導し、蛇足だ。日本軍が世界的にも珍しい従軍慰安婦を用意したことは事実で、そこにはやむにやまれずに慰安婦になさざるを得なかった少女たちがいた。政府が直接関与せずとも、政府の関係者は女衒に暗躍させたであろうし、少女たちも抵抗出来ずに運命にしたがった。神風特攻隊もある意味同じで、運命を受け入れた。富士正晴は兵士として中国にわたった時、必ず生きて帰ることを思い、女性を犯さないことを決めた。先ごろ五輪開会式の音楽を担当したミュージシャンによる身障者虐待を、あるお笑い芸人が時代の風潮もあったと擁護した。言わんとするニュアンスはわかるが、どのような酷い時代でも精神をまともに保つ人はいる。富士の小説には、中国の村の娘たちを次々に犯して殺す若い兵士の物語がある。彼は童貞で、娘を犯すことに快感を覚え、犯した後は殺し、家を焼いた。結局その若い兵士も死ぬが、そういう狂った兵士の話は戦争では珍しくないはずだ。虐殺の証拠は残っていないが、富士は目撃し、冷静に文字で再現した。一方、富士は兵士にいつの間にか随伴して生活をともにする娘もいたことを書き、女の生き残ろうとする逞しさや狡猾さも見た。まとまりのないことを書いた。それほど従軍慰安婦問題は尾を引き、またややこしくなっている。今日の最初の写真は岡本光博の4点で、ジョセフ・コーネルの手法を引用し、デュシャンの影響もある。4つの箱入り作品はどれも「平和の少女像」の一部を3Dプリンターで作って主役にしている。それほどにこの像は明確なイコンになった。ところで、朝鮮の美術に造詣が深く、その保存にも人生を費やした柳宗悦は韓国から死後に表彰された。そういうことに関心のある人は珍しいだろう。数日前のTVに浜美枝が出演し、彼女が知的かつ美しく年を重ねている理由がわかった。彼女は柳宗悦の名前を出し、民藝の意図に沿った暮らしをしている。江戸時代の朝鮮通信使や柳の朝鮮美術発見といった友好的つながりは、ごく一部の物好きの関心事に留まり、大多数は心の奥底で罵り合っているという見方が、日本では強いだろう。本展では福島原発の写真もあって、何がタブーとされているのかを知るにはいい機会だ。
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by uuuzen | 2021-07-30 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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