「
巧まざる 作に具わる 直き人 驕ることなく 誇りもせずに」、「企みの 裏を穿って 騒ぐ声 その裏露わ 泡の企み」、「真夏日に 騒ぐ左右の 人だかり 吾は無言で 白き道行く」、「消されても 消えぬ魂 ケセラセラ 気づけば並ぶ タネつきの草」

『表現の不自由展 かんさい』には副題「消されたものたち」がある。これは公開が拒否された作品を意味している。本展は公開を意図して制作されたのに、圧力によって展示が中止に追い込まれた作品を集めたもので、その意味でほとんど存在が知られない作品と言ってよい。本展出品作のうち、筆者が知っているのは有名な「慰安婦像」のみで、その実物を見るのにいい機会と考えた。初日17日の夜、TVニュースで本展を訪れた70代の大学の先生のような雰囲気の男性が、真面目な表情で「慰安婦像」を素晴らしい作品と答えていた。本展が愛知や東京で物議をかもしたのは、この像を反日プロパガンダとみなし、税金で展示するなという意見が沸いたからだ。もうひとつの大きな声は、昭和天皇の肖像を燃やす場面を含む映像作品に対してだ。さまざまな意見が交差する中、実作品を見ることが重要と考える筆者は、コロナ禍で本当は京都から大阪に出ることを控えるべきだが、本展の開催は今のところ京都ではなく、またついでにいくつかの用事を作り、10日頃から気を揉みながら、最終日に見ることに決めた。18日の大阪での行動は、当日の投稿以降昨日まで、途中2日間の投稿を除いて書いて来たが、今日と明日で本展の感想をまとめる。とはいえあまりに多くのことが脳裏に浮かび、2回の投稿でまとめることは不可能な気がしている。筆者のこのブログのかなりの部分は本展と根底で関係しているという思いもあるからだが、一方でブログには決して書かないことも大量に抱えていて、それらと本展が切り離せないことにもよる。そこでたぶん本展を見た人があまり書かないようなことになるべく焦点を合わせる。それは政治的なプロパガンダに絡めることなく、造形作品として個人に何を訴えるかという、芸術鑑賞の基本をまず押さえることだ。もっと言えば、対峙する作品を自分が所有したいかどうかだ。自己の美意識に訴えるものが少ない作品を筆者は所有したいとは思わない。それは誰しもだが、得てしてそうではない人がいる。話題になっているので買えるなら買っておこうかという、蛙のように身軽で口のでかい人物は美術ファンにも大勢いる。それはさておき、芸術家は個性がなければ存在意味がないが、個性は単独、唯一のものであるから、どの団体にも所属しないという立場にあるべきと筆者は思う。ところがたとえば印象派が示すように流派というものがあって、その文脈で個々の画家が捉えられることはよくある。それはそれで筆者も理解するが、その流派が特定の政治思想とつながるとおかしなことになるし、そういうことはいつの世の中でも起こりやすい。
ヒトラーは自分の気に入らない画家たちを退廃画家と認定して作品の公開を禁じるなどの弾圧をする傍ら、お気に入りの芸術家には仕事を与えた。これと同じ構図はもっと柔らかな、見えにくい形でどの国においても行なわれているだろう。ザッパが皮肉った、あるいは真実を述べたように、アメリカでは芸術音楽はごくごく一部の人しか受容せず、またそうした芸術家は財団の援助を当てにしばしば作曲するが、それではごく狭い、閉じた社会でしか芸術は鑑賞されない。もっとも、芸術とはそういうものと割り切ることも出来るし、実際そういうものだが、個の立場、つまり自由を守りたいのであれば、公的機関や財団などからの経済的援助は受けないほうがよい。人間は金を出せば口も出しがちで、気に入らない作品であれば拒否もするからで、それを察して芸術家は気に入られるような無難なものを作りがちとなる。「表現の自由」を守るのであれば、自分の金で制作、発表するのがよい。ザッパはそうした。そして子どもが喜ぶようなポップ曲で儲けた金でロンドン交響楽団を雇い、自分が作曲した管弦楽曲を演奏させた。そんな作曲家は他にはいない。そういうのが本当の格好よさだ。愛知や東京で本展を反対した人たちは、天皇侮辱と反日展示の象徴である「慰安婦像」が税金を使って公の美術館で展示されたからだが、関西では初めての本展は3日間のみ、大阪市内の「エル・おおさか」の9階ギャラリーを借りてのことで、実行委員会は税金の援助を受けていない。同ギャラリーは2部屋合わせて学校の教室ほどの大きさで、また申し込んで所定の費用を支払えば誰でも借りられる。そういう施設はおそらくどの他府県にもある。本展の整理券をもらうために並んでいた時、横を通りがかった50代らしき係の女性に訊ねた。「本展は京都では開催しないのですか」「会場を貸してくれるところがあれば……」つまり、もっと多くの場所で開催したくても、反対を唱える者たちの声に恐れをなしてどの会場も尻ごみしている。これは由々しきことだが、本展が大騒ぎになったのはそれだけ話題性を得たことであって、問題提起としては大成功であった。街宣車が騒がなければ、TVなどで取り上げられず、ひっそりと展示され、ほとんど話題にならなかったのに、展示を好まない連中の騒ぎによって話題性が広がり、反対論者の声を増大させたが、おそらく同じ程度に開催者の意図に賛同する人も増えた。これはいいことではないか。少なくても筆者は美術ファンとして今回新たに知ったことがいろいろとあり、日本の現代美術にあまり関心がない者にとっては視野を広げるのにいい機会であった。それはネットで詳しく調べればわかる部分が大きいという意見があるだろうが、実物を前にして味わった感覚は大きい。先入観を持たず、作品と一対一で対峙することから思考を出発させねばならない。
さて、筆者は言われていた2時10分前ではなく、2時に会場に着いた。手荷物を調べられ、そして透明なドアから中に入ろうとすると、右手少し奧の別のエレヴェーターから50歳ほどのひとりの男性が上がって来て、数人の男性と揉めていた。実力行使で展示に抗議するために来た右翼だろう。筆者のすぐ近くで「警察! 警察!」と言いながら右往左往している高齢の係員の女性がいて、しばし騒然となった。男は「入らせろ!」といったように叫び、その男に胸を合わせて本展の委員会のもっと背の高い大柄の男性が怒鳴りつけ、結局右翼の男はそれに迫力負けしたようだ。右翼の男は苦笑いし、筆者は何となくその場面が面白く、さすがひるまずに本展を裁判まで持ち込んで開催を勝ち取った委員会の面々ではあると思った。「エル・おおさか」の正面玄関では通りの真向かいに街宣車が並び、拡声器で盛んに主張していたが、それが一段落すると今後は委員会すなわち左翼陣営が同じように反論していた。どちらも負けておらず、またじっくり聴くとおそらくどちらもごもっともなところがあるはずだ。筆者がふと思ったのは、去年も今年も天神祭りがなく、本来ならすぐ近くで大賑わいのその祭りの音が、今年は本展会場における左右の思想の持ち主が大声で自分の意見を発することに変わったことで、猛暑の大阪での熱い怒鳴り合いは、爆弾が破裂したり毒ガスが撒かれたりして誰かが被害を受けることがなく、暑気払いになってよかったのではないか。言い換えれば日本は平和ということだ。それゆえどうにかにせよ、本展が開催される。これが政治家の勝手な思い込みや圧力で開催が禁止されると、前述のヒトラーと同じ行動になる。そう言えば、ジョン・ハートフィールドはヒトラーの片腕上げの返礼ポーズを金を受け取る姿としてコラージュした写真作品を発表したが、文字どおり命を賭けたその風刺は当時のヒトラー崇拝者たちは激怒したのは当然でも、ヒトラーの現実をまともに捉えていた。そういう痛烈な風刺が日本では可能か。戦後日本は民主主義国家になったが、何でも保存する日本の伝統にしたがって、ある部分は江戸時代のままで変わる気配がない。戦争に負けて外圧があってもそうであるから、おそらく日本は今のまま何も変わらずに行くだろう。それが日本のよさかも知れず、また全く反対に欠点と捉える人もあるが、思想を左にするのも右に向けるのも自由で、それで本展を無価値と思う人があれば、筆者のようにまずは見てから判断という閑人もいる。それは、繰り返すと、自分が先入観で判断されたくないので、他者の作品もどこかでかすかに触れた無責任な意見に同調したくないからだ。ビートルズが来日した66年、東京では鉢巻きをした右翼の若者が乗った街宣車が抗議運動をした。その映像を今見ると何とも微笑ましい。今ではもっとうるさいロックを武道館でやっても誰も不思議とは思わない。

整理券と引き換えに入場券がもらえず、筆者は受付のテーブルに1枚だけ残っていたチラシに無言で触れた。すると係員は「最後の1枚なので…」と言い、横にいた中年男性は筆者を2,3秒見て『持って行っていい』という態度を示した。17日のTVでは入場者がひとりずつチラシを受け取っていたので、当然それをもらえると思っていた。また整理券を用意するのであれば、鑑賞者の人数は予めわかり、チラシはその分を用意すべきだ。筆者以降に予定されていた50人はチラシをもらえなかったはずで、それでは見た記念になるものがないと筆者の年齢では思いがちだが、今はスマホ時代だ。それでチラシや展示作品を撮れば済む。本展は映像作品以外は撮影してもよかった。たぶんSNSにその写真を載せてもかまわないと思うが、筆者が載せるのはネットで上がっている作品ばかりだ。出品作家は16組(17人)で、それぞれ1点ずつであったと思う。図録はなく、また狭い2部屋の会場は時間指定された50人の鑑賞者と委員会の人々、それにTVクルーもいて、コロナ感染を心配する人には避けたい密集ぶりだ。その密集を促進していたのが、各作品の説明文だ。これが名刺ほどのサイズにルビのような細かい文字がびっしりで、筆者は20センチほどに近寄らねば読めなかった。なぜもっと大きな文字で大きな用紙に印刷しなかったのだろう。まずこの点で鑑賞の気力を半分ほど失った。それに展示室は貸画廊では最下位に属する貧弱な設えで、これでは無料でも展示したくないと思わせた。最初に開催された愛知県立美術館ではもっと雰囲気がよかったはずだが、同館のトリエンナーレ展では本展は特別展として別に展示された。そのトリエンナーレ展では話題になった映像作品があって、それを筆者は見たいと思っているが、戦争の歴史を刻む特別の建物で上映されたので、場所を変えると意味を成さないだろう。トリエンナーレ展はどの作品もそれ用に制作されたもののはずだが、本展はこれまでさまざまな展覧会で展示されながらそれが途中で停止された作品を集めてのもので、アンデパンダン展の趣がある。アンデパンダン展はそれこそ表現の自由で、とんでもない作品の目白押しだが、本展は戦争や天皇の責任問題をテーマにする作品が選ばれ、政治色を帯びやすい。筆者は左翼でも右翼でもなく、人間が表現した作品を味わいたい美術ファンで、その味がこれまでになく珍しく、またいいと思えるものであることを期待している。それは簡単に言えば一見して衝撃を受ける、つまり迫力のある作品だが、その迫力だけで判断すると間違うことはよくある。一瞥で凄いと思っても、二度見すると辟易する作品は特に近年は目立つ。「目立てば勝ち」の価値感がSNSで拡大化した。「目立つものほど中身は空っぽ」というものが大手を振っていることも人々はよく知っているが、目立つ者の勢いでそれはかき消されがちだ。
また一瞬でドキリとさせる作品が、長年その迫力を失わない場合ももちろんあって、そういう代表として筆者はオットー・ディックスに関心を持ち続けている。彼は第一次大戦に従軍し、戦争の悲惨さ、非情さを目の当たりにした。その目撃したことが彼を突き動かし続けたが、本展で展示される作家はおそらくひとりを除いて戦後生まれだ。戦争を伝聞でしか知らない者は戦争のごく一部しか、しかもおぼろげにしかわからないが、戦争ではない平和な状態で想像力を働かせ、また戦後が遠のくにつれて見えやすくなって来ているさまざまな矛盾もあって、タブーをどう乗り越えて作品を作るかを使命と思う作家はいる。そういう系譜にもいろいろあって、たとえば儀間比呂志のように静かに抗議を作品に込める者もあれば、原爆の絵で有名な丸木夫妻のように戦争の惨禍を直截的に描く者もいるが、反日的と捉えられることは少ない。国立交際美術館で見た畳2枚分ほどの大きな写真のシリーズ作品に、日本軍がかつて攻め込んで神社を建てた現場を捉えたものがある。たとえば大きな石鳥居は壊されて地面に横たわり、ベンチ代わりになっている場所がある。それは見る人によっては反日的だろう。日本は外国を侵略してまず神社を建てて自分の領土と宣言したが、元々現地の人には元々神聖であったそういう場所は、今は地元古来の聖なる地に戻っている。その写真作品をたとえば右翼の議員が神社を穢してけしからんと言い始めると、その声がSNSで広まり、同美術館は焼却することで抗議の声を交わすかもしれない。そんな言いがかりは表現の自由を認めない行為で、やがてどんな作品でも反日の烙印を押されることにつながる。前首相が東京五輪に反対する者は反日と公言したが、五輪開会式で天皇陛下の宣言の真横で首相と都知事が即座に起立しないという不敬をするほどに天皇は政治家に軽んじられているようで、真の反日が何かということが話題になっている。そこでまたヒトラーが片腕を上げて後ろ向きに札束を受け取ろうとしている写真をコラージュしたジョン・ハートフィールドを思い出すが、五輪によって経済的に潤ったのは政治家とその取り巻きということを国民は知っていて、政治風刺は日本ではうまく機能しないようにも思える。それはホロコーストを行なったヒトラー時代ほどに日本は酷いことをせず、そして戦後は平和であり続けているためと、国家権力によって消されることが確実にわかっているのに風刺表現をやめないという覚悟を持つほどの芸術家が日本では育ちにくいからだろう。それは思想の違う者の命を奪って平気という者が少なく、したがって表現者の権力者への嘲笑も激越なものになりにくいからで、騒ぎになっている本展の作品もよく見れば個人の思いを吐くだけで、左翼思想の宣伝を積極的に買って出るというものには見えない。

そこで本展の出品者たちが流派としてそれなりに連帯しているのかどうかだが、実行委員会に作品を貸し出している点で、共通した思いを抱いていることは確かであろう。その思想が左翼の言葉で片づくものかどうかは知らない。街宣車が抗議に集合しているからには一般人には本展は左翼思想の持主たちが集まっていると思うだろう。問題はそんな単純なことではないはずで、なぜ反日とみなされるほどに個々の作家が個性的な表現をするのかについて、作品を通して理解する必要がある。ところが作品は作者の手を離れると鑑賞者にどう受け取られるかはわからず、拒否する者は見なければよく、賛同するものは気の済むように解釈して見ればよい。話は脱線するが、TVに出て来る下品な顔の芸人は全く見るに堪えず、筆者は即座に目を背けるが、それに比べて曲りなりとも命をかけて生み出された作品は、その本質を理解したいと思う。話が長くなってまとまりがつかなくなっているが、ここから本題。一作家一点の出品で、各作家の本質を把握するには不十分な展示で、本展を見て誤解する人も多いのではないか。筆者は全作品を吟味せず、ほとんど理解しようとする気が起らなかった作品もある。20キロ近くも歩き続けて疲れていたことと、会場が狭くて混雑していたこと、キャプションが見えにくかったことなど、思考を巡らすにはふさわしくない空間であったためもあるが、色紙に毛筆で「梅雨空に 『9条守れ』の女性デモ」と書かれた作者非公開の作は、その句は月並み、書は悪筆で、なぜこうした素人レヴェルの作品が展示されるのかわからない。美しい仮名で書かれないので却ってアジビラのように意味があると捉える意見もあろうが、筆者は認めたくない。作品には芸すなわち優れた技術が欠かせないと思うからだ。また無芸でも心根の美しさが滲み出ている作はもちろん評価するが、この色紙は「梅雨空」と「9条」、「女性デモ」の結びつきに必然性を感じず、叙情、余韻が少ない。そこで「炎天下 『9条守れ』と 母子気炎」ともじってみるが、さらに「宮城に 『9条守れ』と 苦情言う」とするとお門違いと罵られるので、「窮状に 『9条守れ』と 苦情言い」としておくか。ともかく憲法で謳われる戦争放棄によって戦後日本の成長があり、また変わらぬ部分も依然としてあるが、令和時代になって政治家の劣化が目立ち、そのことが20年前から成長が止まった日本と関係しているように思える。そのことは芸術にも及んでいると見るべきだろう。また本展に話を戻すと、筆者がまず気になった作品は靖国神社に昭和天皇の影を添えたモノクロの作品だ。これは写真に手描きを加えたもので、とある展覧会に出品された後、撤去された。靖国神社に昭和天皇の影を加えることに悪意があると感じる人がいるのだろう。それは天皇が死んだ兵士たちに謝っているように見えるからか。それは穿ち過ぎではないか。

靖国神社はA級戦犯を合祀し、そのことで天皇が参拝しないことを宮司が批判した。そんなややこしい話を思い起こしながら、200万か300万か、国のために死んだ英霊を祀る神社に天皇の影を添えた作品を作ることは、何となくしみじみとした味わいがあって忘れ難い。これは小泉明郎の「空気」シリーズ作の1点で、筆者はこの作家の大規模な展覧会を見たい。次に注目したのは大浦信行の「遠近を抱えて」だ。これもシリーズ作で全14作だが、1点のみ展示された。背後に海北友松の有名な障壁画を縦向きに配し、前面に昭和天皇と人間の頭部の断面図をいくつか添える。ぎょっとさせられる作品で、なぜ天皇と脳かと思うに、天皇と脳天の語呂合わせかと勝手に納得しつつ、その悪趣味性が脳内に点灯される。ただし、筆者はこの作品をほしいとは思わない。何部刷られたのか知らないが、ネット・オークションでは1点100万円で売られている。ネットでこのシリーズの他のものがいくつか見られるが、刺青を全身に入れた裸の女の後ろ姿など、どの作も天皇の写真と日本的なイメージを組み合わせ、ロバート・ラウシェンバーグの手法「コンバイン」の引用だ。あるいはジョン・ハートフィールドにその祖型があって、斬新な手法ではなく、むしろ古典的だ。大浦は76年に渡米し、10年間をニューヨークで過ごしてこの版画シリーズを制作した。詳細は撮影してきたキャプションの写真を参考にしてほしいが、何度も展示拒否に遭い、物議をかもし続けていて、彼の代表作と言っていいのだろう。大浦はアメリカやヨーロッパで大成功を収めたラウシェンバーグなどの現代美術を学びながら、自己のアイデンティティの確立に苦悩し、そして技法は月並みでもアイデアは日本を用いることに思い至ったのだろう。異質なイメージの組み合わせは、たとえばザッパの初期のアルバム・ジャケットをデザインしたカル・シェンケルに通じ、いかにも70年代半ばの作風で、今では古臭く感じる。日本以外ではその異国情緒が歓迎されるかもしれないが、昭和天皇をどの作品でも目立つ場所に配し、レトロ感が強い。先ほど彼のことをネットで調べ、風貌が横山大観に似ていると感じた。彼はこのシリーズ版画を自画像として制作したが、自分の内面を覗き込んで日本的な要素を多く見つけたということだろう。昭和天皇の像を用いたのは、大浦が昭和生まれということと、アメリカ暮らしで味わった孤独に天皇のそれを慮って重ねたのではないか。天皇と自己を同一視すると言えば不敬の謗りを免れないが、天皇は名字を持たず、人権もない。ロラン・バルトの『表徴の帝国』は、「誰からも見られることのない皇帝の住む皇居……これは神聖な『無』をかくしている」と書く。自画像ならば自分の姿を用いればいいのに、日本人なら誰でも知る天皇を使い、自分そして日本の虚無性を表現したかったのか。
先日のネット記事に、皇居を囲う形で北海道の輪郭が現われるように道路を走った人がいた。皇居は北海道に内包される「無」かと思ったが、皇居をそのように北海道で囲うことを右翼は非難しないのだろうか。「遠近を抱えて」の隣りにモニターが置かれ、大浦の映像作品が映されていた。座り込むなど、10名ほどが群がり、筆者は人の隙間から5分ほどしか見なかった。海辺で並ぶドラム缶が爆発する場面、若い女性が出て来る場面、そして天皇の御影が焼かれる場面があった。背後に韓国のパンソリが流れ、韓国の問題と重ねた映像作品なのだろうか。天皇の肖像が燃える場面は自作の「遠近を抱えて」を燃やして撮ったもので、同シリーズが富山で最初に展示された時、図録が焼却されたことに通じているのだろう。ケストナーは自分の著作がベルリンでナチスによって焚書に遭ったこと目撃したが、作品が権力から否定されて抹消されると反骨性が増すだろう。自画像として作った「遠近を抱えて」は左翼から歓迎され、そして本展でも展示されることになった。大浦が天皇性についてどう思っているのかはわからない。昭和天皇にだけ思い入れがあるのかもしれず、そうであればそこに戦争責任の問題を見ているだろう。責任を感じて退位すると言ったのに、戦後も天皇の地位にあったことは、A級戦犯でも総理大臣になれたことからして不思議ではない。そしてその首相の孫が長らく首相の座に就き、「美しい日本」を語り、反論者は反日であると発言する。ナチスのホロコーストも、「あれは捏造で、なかったことだ」と主張する者が沸いて来る時代だ。戦争の悲惨は数十年で忘れ去られる。従軍した富士正晴は戦後その経験をいくつかの小説に書き、「いつまでも戦争にこだわっている」と揶揄された。富士は天皇や特攻のことを書かず、自分の経験に絞ってその現実を小説にしたが、そこには人間の本性がグロテスクに現われている。富士より後の世代の開高健は、戦争を経験するためにヴェトナム戦争の特派員になり、死ぬ寸前の経験もしたが、その後の世代の小説家は戦争をどう捉えているかとなると、筆者は興味がないのでわからない。平和はいいことだが、開高健は必ず戦争は起こると言っている。そういう爆発的な力を発散させるためにも五輪があるのかもしれない。また人類が一致団結するのは他の惑星から攻撃でもされた時だけという話はいかにももっともらしいロマンだが、コロナが全世界を覆っている現在、どこも自国のみで精いっぱいで、ワクチンのぶん捕り合戦をしている。そして日本は日々感染者急増中だが、「自分に責任がある」と公言しながら、何人死のうが薄ら笑いをしている。責任という言葉の意味が戦後は大きく変わった。それは無責任ということだ。嘘をついても、誰かを死に追いやっても、逮捕されない。本人たちにはさぞかし美味しいことだ。「呟いて ブツぶつけられ つぶされて」
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