「
筏舟 天神載せて 川下り 無事に彼岸に 着くを祈りぬ」、「宝なき 貧しき民の 子が作る 宝の値打ち わからぬお上」、「税金で 集めた宝 見せるには 赤字はならぬ むしろ儲けよ」、「無駄言えば AIで済む 政」
今月の10日頃か、TVで中之島に新しい美術館が完成したニュースがあった。筆者はまともにそれを見なかったが、コロナ禍の間に国立国際美術館の北隣りに半世紀ほど昔から望まれていた美術館がようやく建ったことを知った。それで18日の大阪行きは『表現の不自由展』と、その建物を見ることを最大の目的とした。不要不急の用がなければ電車に乗るなという阪急電車の車内放送が耳につき、9か月ぶりに大阪に出ることは不要不急かと自問しつつ、コロナ感染を最大限に避けるために、影のようにひとりで歩き回ればかまわないではないかと思った。大阪高裁の蘇鉄を確認した後、堂島川右岸を西に進み、渡辺橋北詰めに着いた時、いつもならその橋を南にわたるのに、オレンジ色の店がまえが目立つ有名な洋菓子店の前を通って直進するこにした。国立国際美術館の背後に新美術館を見るのではなく、新美術館を真っ先に臨みたかったからだ。そうして田蓑橋北詰めに着き、そこから撮ったのが今日の最初の写真だ。予想どおり、新美術館が橋の奧に聳えている。この美術館の名称は当初「大阪市立近代美術館」が想定されていたが、「市立」も「近代」も欠落している。「大阪市立美術館」が天王寺にあって、大阪市にもうひとつの美術館は不要ではないかと、おそらく政治家は思い続けて来たのだろう。美術家や学者は大阪が誇る有名画家たちの作品を所蔵し、常設展示するために新たな美術館があってしかるべきと考え、少しずつ購入し、あるいは寄贈もあったと想像するが、収蔵品を増やして来た。それらを展示するのに、10年ほど前は長堀の出光ビルの4階だったか、一時期近代美術館準備室と称してフロアを借り受け、蔵品の企画展が開かれた時期があった。また大きな彫刻はモノレールの各駅の大きな空間に半ば常設展示された。バブル期に大阪市は美術館の5つや6つは容易に建てられる経済的余力があったと新聞で読んだことがあるが、税金は他のことに使われた。それでいつまで経っても建たない新美術館が、どう政治が動いたのか、国立国際美術館北の空き地に建つことが決まった。それが5,6年前のことであったと思うが、美術館が隣り合うのは便利でよい。先年300メートルほど東には私立の香雪美術館が開館し、中之島は文化ゾーンとして整って来ている。文化への税金投入は後回しになりがちで、特に美術財産豊富な京都に対して大阪は美術以外の文化に税金を使う考えが強いだろう。とはいえ新たな市長は文楽その他、大阪が誇るあらゆる文化は税金の補助を極力削り、一方でお笑い芸人が大きな顔をしてTVで知識人気取りをするという悪い冗談がはびこるようになった。
税金の援助がなければ持続出来ない文化は滅びて当然との考えは一理ある。その考えによって日本の博物館や大学も改革を求められているのに、議員数は相変わらず多く、彼らの年収も世界的にかなり多い。ロンドンの市会議員の年収は平均サラリーマン以下で、あまり自慢出来る職業でもないとされるが、日本は前近代的で、頭が悪くても二代目、三代目が幅を利かせ、美術に関心のある者はまあ絶無だ。彼らに日本の国宝をどれほど知っているかを訊ねればよい。学校でそこそこよい成績を取った政治家でも、美術や音楽に造詣が深い者は日本では皆無と言っていい。そういう連中は学者に任せておけばいいものにも口出しし、そして税金を回さないと暗に脅す。もっとも、筆者は自作を美術館にいつか所蔵してもらいたいという夢を持っておらず、税金で製作費を援助してほしいとも思ったことはなく、美術館の所蔵品のみが名作とは露とも考えず、政治家が学者や識者の意見に対して新美術館建設を渋る問題も冷ややかに見ている。そういう立場で今秋開館となる大阪中之島美術館を目の当たりにすると、いろいろ思うことがある。まずはデザイン費をこれほどけちった美術館はいかにも大阪を象徴し、美術を呪詛する政治家の思惑が見え透く。全体は真っ黒な四角い箱で、限りなく少なく抑えられた面積の窓のうち、東面するL字型が何を意味するかなれば、『表現の不自由展』が開催された「Lおおさか」の「Labor(労働)」を真っ先に思ったが、「Liberty(獲得した自由)」でもあるのがまあ面白い。それにしても地下に造られた凹状の国立国際美術館に対して、この凸のブラック・ボックスは対を成し、それなりに考えられたデザインと擁護する意見があるだろう。筆者は国立国際美術館のデザイン性に対する冒涜に思うが、南海トラフ大地震があれば国立国際美術館は津波で水没する恐れがあり、その考えに立てば中之島美術館が以前の地面より嵩上げされた土地に建つのは危機管理の意識が強いと言える。だが、たとえばフランクフルトにあるハンス・ホライン設計のカラフルで凝った現代美術館とはあまりの差で、ただの黒い箱はデザインに凝る費用が捻出出来ないことを示す。その浮いた費用を新たな収蔵品の購入に回すのかと好意的かつ楽観的に推察する人もあろうが、実際はやはり税金を使いたくない考えによるはずで、学者識者がうるさく言い続けるので、仕方なく形ばかりの美術館を建ててやったという政治家の考えを反映するだろう。筆者が驚いたのは、最初に書いたように名称に「市立」がないことで、運営は民間業者に任せると言う。早速ネットで調べると、人員を募集していて、最低限の人件費で運営して行こうというのだろう。だがそれはどれだけ集客出来るかにかかっている。それは美術ファンが何度も訪れたくなる収蔵品を持っているかどうか、また企画展が面白いかどうかに大きく依存する問題だ。
とはいえ、真っ黒な箱では最初から気分が重い。どうせなら経営が火の車を想像させる真っ赤にすればよかった。行ってみようと思わせるには、まずは外観が美しく、楽しいものであらねばならない。その点で思うのは舞洲にあるフンデルトワッサー設計のゴミ焼却施設だ。なぜ彼に市立美術館の設計を依頼しなかったのだろう。逆に言えば、ゴミ焼却場のデザインをよくぞフンデルトワッサーに任せたものだ。そのゴミ焼却場と中之島美術館の建立の間に維新の連中が登場し、大阪の政治ががらりと変わった。徹底的に無駄をなくす考えは市民に歓迎されやすいが、何事も今この瞬間だけがよければいいというものではない。大きな無駄と思われていたものが、長年経って他に代わりがない大きな遺産になることはいくらでも例がある。政治家のやるべきことはそういう壮大な未来を思い描くことではないか。確かに腹が満たされなければ絵に描いた餅は意味を成さないが、絵に描いた餅の絵という空想の充足もない状態では人間は犬や猫と同じ動物になる。それに税金の無駄を減らすと言いながら、政治家は自分や取り巻きが経済的に潤うことを陰で行なう人種であると思っておいていい加減だ。中之島美術館がブラック・ボックスとして姿を現わしたことは、新美術館を望んだ人たちと、可能な限り税金を出し渋りたい政治家との間の長年の闘争のやり取りを象徴しているように思えつつ、限られた土地に収蔵品をいかに保管し、公開するかという最低条件を満たすためには、無駄を配した箱になるしかなかったという合理性を納得させもする。黒い壁面はそのうち資金の余裕が出来れば誰かに豪華に何かを描かせることも出来るし、そうなることを期待したいが、国立国際美術館との調和を考慮すれば、やはり黒い箱はない。5階建てで、1階がホールとワークショップルーム、ショップエリア、2階がチケットカウンター、アーカイブス情報室、ミュージアムショップ、多目的スペース、親子体験室、4,5階が展示室となっていて、3階は収蔵庫だろう。今日の4枚目の写真は右端が国立国際美術館、奥が関電ビル、左端の黒く突き出た廊下は中之島美術館の2階に至るもので、接続部が未完成だ。国立国際美術館の敷地から階段を設けるしかないが、秋の開館までに工事は終わるだろう。2枚目の下は建物の北側に置かれる猫の大きな作品で、これをどこかで見た記憶があるが思い出せない。1点のみの野外展示で、これは猫ブームに乗じた選択だろう。真い箱の内部がさまざまな美術作品に溢れ、子どもから大人まで楽しめる空間になってほしい。大阪画壇をもっと積極的に宣伝に努めて行くべき大阪で、その点は香雪美術館が一翼を担っているが、中之島美術館は大阪の誇るべき美術家やその作品を世界に向けてもっと大々的に宣伝する機能を果たすべきで、大阪に未練はない筆者でも期待する展示は多い。
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