「
鷺と鵜が 点在するや 桂川 渡月橋には 雨傘の花」、「うなだれて もうおしまいか 紫陽花や 声をかけても 聞く耳持たず」、「耳なしの 菊が聞くのは 茎か根か 花弁は語り 弁舌多し」、「愛想よく 語る背中の 観音の 刺青冴える 夏の銭湯」

今月に入って「風風の湯」は午後8時までの営業が元どおりに10時までとなった。6月末までは、6時頃に入ると8時10分前に館内に鳴りわたる「蛍の光」を聞きながらフロントで下足箱のキーを受け取った。その習慣がすぐには抜け切らず、筆者も嵯峨のFさんも今月に入っても6時頃に行く。ところが2日前、Fさんは7時にやって来た。相撲を見てゆっくりするとだいたい6時半に「風風の湯」に着くが、土日は若者が7時過ぎまで大勢入っていて、サウナをほとんど利用出来ず、それで7時に着くように家を出たと言った。85Mさんはもっと遅くて8時少し前にやって来た。となれば10時10分前に鳴る「蛍の光」を聞きながら家路に着くはずで、家に帰れば後は寝るだけだ。これからは筆者もFさんに倣って7時頃に行くつもりでいるが、常連は5時頃に入るグループと8時頃にやって来るグループとに分かれている。8時頃ならばもう若者は皆無で、ほとんど常連のみでかなり空いている。2日前にFさんは若者と談笑していて、相手は誰かと思っていると、「あいつ、足がものすごく日焼けしてるやろ。人力者の奴や」と後でFさんは言ってくれた。1年ほど前か、東京の浅草から転勤になったばかりの人力者の若者ふたりとサウナ室で話した。その後コロナ禍となって渡月橋界隈の人力車はほとんど営業しておらず、彼らの給料はどうなっているのかと思う。「風風の湯」にやって来るくらいであるから、さほど心配することもないのだろうが、コロナの波は今後も繰り返しやって来る気配があって、見通しが効かずに鬱陶しい。東京の感染者が大阪と逆転し、間もなく1000人を超えるはずで、五輪祭開催の頃はどう増えているのか不気味だ。風邪と変わらないとの意見がまだあって、感染して苦しまない人には緊急事態宣言は迷惑でしかないが、相手が変化し続けてどう力をつけるかわからないウィルスであれば、取り越し苦労気味のほうがいい。とはいえ、店の経営者は大変だ。Fさんは日曜日に祇園に自転車で出かけ、その帰りに昼食のために馴染みの店に二軒寄ると、どちらも「営業を辞めました」の貼紙があったそうだ。大手のチェーン店でなく個人営業では、1年半近く続いているコロナ禍による客の激減が致命傷であることは誰にでもわかる。その点、政治家は気楽だ。無免許で事故を起こした都議はその代表といったところだが、事件が発覚する直前、その女性が語る顔をTVで見た時、下品な口元に目が行ったが、予想どおりに醜悪な人物であった。顔と話し方を見れば人間性はわかるもので、TVに出て来るのはどれも化け物じみている。これはグロテスクと言い替えてよい。

85Mさんが午後8時に「風風の湯」に行くのであれば、筆者もそうしたい気はあるが、食事前に風呂に入る主義で、それならば午後10時過ぎに食べねばならない。それでは体に悪く、食べてから出かけるしかないが、身に染みついたリズムを即座に変えることは難しい。それで6月末までの6時入湯と、Fさんがやって来る7時の間を取って6時半頃が妥当か。そうすると2,30分は85Mさんと話すことが出来る。最初か2回目か忘れたが、京都に緊急事態宣言が発令されていた頃、「風風の湯」は3か月ほど営業を辞めていた。その間、85Mさんは夫婦で市バスを利用して市内各地の銭湯15か所を訪れた。その中で最もよかったのが西大路七条にある「大門の湯」で、二、三度回訪れたそうだ。どれほどいいのか、どこがいいのか、自分で経験してみないことにはわからない。筆者は市バスを乗り継いで銭湯に行くほど冒険心も興味もないが、85Mさんとの話のネタに一度は経験したい。そこでその機会をうかがった。先月息子のアトピーが深刻な状態になってしばらくわが家に戻って来た。体調がましになった頃、息子と自転車を連ねて「大門の湯」に行くことにした。6月2日の夕方だ。もうひとつの理由があった。Fさんから吉野屋の株主優待券3000円分をもらい、それで牛丼を食べることだ。わが家から最も近い吉野家が「大門の湯」の向い側にあって、入浴後に牛丼を食べることにした。300円10枚綴りの券は一度に何枚でも使える金券で、Fさんは毎年送ってもらえるが、息子さんが転勤したこともあって今年は筆者に回って来た。もちろんお返しはするが、するとまたFさんは何かをくれるので、切りがない。つい先日は新米が合計15キロほど送られて来たので、また取りに来いと言われたが、目下の筆者は自転車に乗りたくても尻の痛みで乗れず、また雨天が多いこともあってFさん宅に行く機会がない。話を戻して、息子と一緒に最短距離で「大門の湯」まで走ると、ちょうど30分要し、汗まみれになった。西京極の運動公園施設の西側の外周をぐるりと走って七条通りに入り、後は直進だ。その途中で「極楽湯」という銭湯を見かけた。85Mさんはそこを利用したのだろうか。目指すは「大門の湯」なのでそのまま走ったが、やがて道路幅が極端に狭くなり、また広くなってすぐに左手に「大門の湯」が現われた。その辺りは昔梅津の従姉夫婦の車で何度か走ったことはあるが、筆者は土地勘がない。「大門の湯」にいたのは1時間少々だ。サウナも電気風呂も露天風呂もある。露天風呂は茶色の薬草湯で、温度は低めだ。電気風呂は苦手で利用したことがないが、85Mさんもそうで、「大門の湯」のよさは露天の薬草湯にあると思っているようだ。京都らしくうなぎの寝床状に縦に細長い銭湯で、450円の割りにはいいが、銭湯は銭湯で、「風風の湯」のほうが断然よい。

銭湯なので全員常連だろう。刺青を派手に入れた50代と70代がいて、目のやり場に困ったが、後者は別の人と話している様子を見るととても和やかで、顔だけ見ると刺青を入れているとはとても思えない。さて、「大門の湯」に着く数分前に左手の奥に小さく朱色の鳥居が見えたので、帰りがけにそこに立ち寄ることにした。風呂を出た後、牛丼を食べて優待券で支払い、その足で来た道を戻り、神社のある横道に入った。「大門の湯」の外観を撮るために首からカメラを下げて走ったのに、神社の、つまり今日の4枚に変わった。参道を入って行くと、大きな鳥居のすぐ奥で若い母親が2歳くらいの男児の自転車の練習に手を貸していた。そう言えば一昨日は「風風の湯」の帰り、ホテル花伝抄のすぐ近くの暗がりの歩道から突如小さな自転車が青白くて小さなLEDの電灯を点けて勢いよく走って来て筆者とぶつかりそうになった。ペダルがなく、両足で地面を蹴りながら入る自転車で、2歳になっていないかもしれない。5メートルほど後ろに母親と祖母らしきふたりが夜の散歩といった雰囲気でゆっくり歩いていたが、8時過ぎでは嵐山駅前はほとんど誰も歩いておらず、子どもの自転車の練習にはいいとの思いだろう。鳥居の扁額は新しそうで、「松尾三宮社」と書いてあった。息子を鳥居付近に待たせ、筆者ひとりで境内に入って写真を撮った。「三宮」と言えば、同じ名前の神社が桂に多いが、ここはそれらとは比較にならないほど大きな境内で、中に入ると空気が一変する。工場の多い西京極らしくないと言えば語弊がある。京都のどこの神社かわからない、神社特有の雰囲気は大昔から変わらない。それがいつでも無料で味わえるところに日本のよさがある。家並みは変わっても神社はほとんど変化がない。松尾大社の氏子の範囲である西京極にこれほど大きな境内の神社があるとは知らなかった。自転車で走りながらたまたま見つけ、当日は「大門の湯」よりもこの神社のほうが印象深かったが、そのことは85Mさんには言わなかった。市バスに乗っての銭湯利用ではおそらくこの神社の存在はわからない。今年の4月の松尾大社のお祭りはコロナのために去年同様中止になったが、お祭りの際にこの神社は「御旅所」として使われるのではないだろうか。そういう話は西京極の知り合いで古文書を扱っている松尾大社の氏子代表のIさんに訊くと教えてもらえるが、そう言えば今日の写真を撮った後、往路とは違ってIさん宅の門の前を通って高辻通りを西進して梅津に入った。そのことで別に書くことがあるが次の機会に回す。6月のかかりは夏至に近づき、日暮れは遅いが、それでももう自転車の灯りが必要な時刻になっていた。それにしても市バスで市内各地の銭湯を片っ端から訪れたという85歳のMさん元気さには驚くほかない。何でも見てやろうとの精神は新聞記者時代に培われたものだろう。

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