「
肋骨 露わな童 あばら家に ばらばら降らせ 慈悲の薔薇色」、「多孔感 蛸の酢の物 多幸感」、「げっそりと 蛸浮かぬ顔 半夏生」、「水無月の 終わりに走る 宣伝車 水無月買えを 繰り返し去る」
昨日は京都では水無月を食べる日で、今年は2度食べたのでもう買うつもりはなかったが、4か所訪れる嵯峨のスーパーの最初の店の前に着いた時、京都の和菓子組合の小型宣伝カーが「今日は水無月を食べる日です……」と音声を鳴らしながらゆっくり通り過ぎて行った。最後に立ち寄った全国チェーンの大型スーパー以外の3軒で水無月2個パックが3,40個ほどレジ近くの台に置かれていた。どの店でも製造元が違い、筆者は3軒目で半額シールが貼られているものを見つけて買った。半数ほどにそのシールが貼られ、本日中に食べるのであればたいていの人はその半額品を買うだろう。包みを開け、皿に移して2個を切れ目で外して撮ったのが今日の最初の写真だ。ういろは黒砂糖入りで、今年食べたものでは一番おいしかった。2軒目のスーパーの商品は、小豆が隙間なしに載せられておらず、製造費をケチった感じがして買う気がしなかった。それにしても宣伝カーが水無月の宣伝に走り回っている様子は初めて見た。季節感があってなかなかいい。そんな車はスーパーや和菓子屋が1軒もない嵐山では見かけず、水無月を売る小売店やスーパーがいくつもあり、人口が多い地域を走るのだろう。あたりまえの話だ。その意味では嵯峨は嵐山より住みやすい。だが「風風の湯」の常連のFさんは嵯峨よりも梅田に出るのが便利な嵐山のほうが地価は高いと言う。最近Fさん宅の固定資産税がわが家の4分の1ほどであることを知って驚いたが、地価が高ければ暮らしやすいとは限らず、むしろその反対ではないか。嵐山は年々住宅が新たに建ち、いずれ『駅前の変化』のカテゴリーに投稿するが、さらに駅前が大激変する気配があることを今日知った。話題転換。今日は半夏生とやらで、京都や大阪では蛸を食べる風習がある。昔は安価であった蛸は今や高級食材だ。筆者は蛸の酢の物は大好物だが、めったに買わず、たぶん年に一度あるかないかだ。ふたたび話題を変えるが、昨日辺りから妙にしんどく、昔の人は甘いものを食べて元気をつけようと水無月を考案したことはさすがに理にかなっている。もっとも、今は甘い食べ物が溢れ返っていて、筆者の年齢では控えたほうがいいが、最近ニッキ飴を毎日1個舐めている。60年代のイヴァ・ザニッキを突如思い出したからだ。当時ラジオで紹介される彼女の名前が「イバザ・ニッキ」に聞こえ、そこからニッキを連想したものだ。相変らずどうでもいいことを書いているが、さらに書くと、2枚目の写真は先月5日、嵯峨のスーパーへの途上、ある角家の角のアスファルト路面に三角形の切り込みが入れられている。理由はわからないが、土管交換の際に誤って入れたものかもしれない。
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