「
唐人の 桃はめでたき 果実なり 東方朔の 故事思い食む」、「三年の 小さき桃の 甘さかな」、「桃を手に 並ぶ子猿の 尻が去り」、「折れそうな 枝のたわみに 桃たわわ」

桃は高価でここ数年買っていない。好きな果物だが、無性に食べたいほどでもない。筆者はあまり食べ物に関心がない。想えば食べた気分になれるので、食べたことのないもの以外、興味はほとんどない。酒もそうだが、アブサンのように有名なものはどういう味かを知って死にたいので、機会があればと飲みたい。その機会は買えば済むのだが、桃と一緒で、高価と思うのであればどうしてもという気になれない。これは18日のこと、「風風の湯」で家内は85Mさんの奥さんから自宅庭で収穫した桃をいただいた。数か月前、85Mさんは筆者にその桃の木の話をし、桃の実が出来る楽しみを語った。筆者はその話を聞いて枝に実っている様子を写生させてほしいと言った。桃の花は描き、作品にしたことがあるが、実がどのように枝につくのか見たことがないからだ。85Mさんは筆者の言葉を覚えていて、それで実をいくつかもぎ取って持参してくれたのだ。市販される豪華な大きさにはほど遠いが、とても甘くて驚いた。植えて4年とのことで、去年も結実したそうだ。来年は小さな実を間引いてもっと大きく育てたいが、それには実に袋をかける必要があり、また野生の猿がちょうど食べ頃をよく知っていて、収穫を1日ためらうと全部奪って行くそうだ。今日の最初の写真はいただいた桃だ。2枚目の写真はわが家で実った梅の実と、その桃2個を混ぜて撮った。梅はちょうど2キロある。その話をする。先日梅酒を仕込んだことを書いた。その後も裏庭で収穫し、一昨日はついに小川に腰まで浸かりながら、岸から手の届かない実を摘んだ。それでも手の届かない実のついた枝があり、また収穫の際に枝が揺れ、川に落ちて流れて行く実がある。岸に落下して腐っているものもあって、たぶん収穫不可能が1キロほどある。一昨日の実はどれも先月下旬のものよりかなり大きかった。三回の収穫全部でちょうど2キロあり、以前梅酒に使った1キロ、収穫不能が1キロで計4キロは実った。去年の倍近い。今年は紅梅に20個ほど実ったが、来年はもっと多いだろう。梅酒ばかりでは面白くないので、一昨日摘んだ比較的大きな実は梅干しを作る。それを家内に任せると言うと、梅干しは好きではなく、去年のものがまだたくさんあるうえ、面倒だと言って嫌な顔をする。ほかに使い道は思い浮かばず、捨てるのはせっかく1年要しての結実に申し訳ない。1キロ千円で立派な南高梅が買えるので、誰も小さな実はほしがらないだろう。毎年4キロ収穫出来るとして全部梅酒にすれば、1キロ当たり酒と氷砂糖代で2000円要し、出費はかさむ。それに甘い梅酒ばかり飲んでいられない。85Mさんの桃と交換する手もあるが、梅の木もあると聞いた。

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