「
唇を 噛みつ眺める 世間には 意味なき楽し 歌溢れるや」、「冗漫な 歌詠む吾の 役ありや せめてなれるか ジョーカー殿」、「冗歌で 浄化される ジョーカーの 末路哀しき 誰も覚えず」、「関心を 総合しての 作品は 時経て沈み 時に浮かぶや」

グーグルのストリート・ヴューは知らぬ街を歩く気分にさせて便利だが、初めて訪れる場所の予備知識として確認すると、実際に行った時の新鮮な感情が削がれやすい。それで筆者は訪れた後に確認することが多いが、見知らぬ場所の映像を見て行った気分になることと、実際に行って感じることに差があるのは確かとして、その差がどれほどかとなれば、あまり違わないのではないかと思うことがしばしばある。映像文化に慣れ過ぎたせいであろう。TV番組「ヒロシの迷宮グルメ」で、スロヴェニアかチェコか忘れたが、数十年前に人が住まなくなった街の一画が映り、その夕暮れの廃屋を見た時、筆者はもう充分という思いがして、同番組がいつ終わっても、あるいは筆者がいつ見るのをやめてもかまわない気分になった。実際に行った気分になり、憂鬱を感じたためで、それは同じような場所を現実に、あるいは夢を含めて経験したことがあり、もう充分と思うからだ。その感情を晩年のロジェ・カイヨワが絵画を見ることはもうたくさんと思ったことと同じではないかと考えることがよくある。ヒロシの「二度と訪れない」という感慨は、外国に行かなくても感じられる。人間は同じ体をしているからには同じ機能を持つ街を造るはずで、外国を旅行したことのある人は、それまでの経験で見知らぬ街のどこにどういう店や区域があるかについては勘が働く。そのため、散歩だけであれば近所でも同じようなものだ。旅行の醍醐味は現地の人と心を一瞬でも通わせることにあり、ヒロシはそのことを好んでいないかもしれないが、食堂での料理の注文に言葉を交わす必要があって、同番組で彼は毎回実行している。とはいえ、そうして言葉少なく顔を合わせる見知らぬ人物は、街角と同じようなもので、二度と出会うことはない。あるいはいつでもどこでも出会えると言ってよい。それゆえ筆者は斬新なものを芸術に求めるが、それとてカイヨワは飽き飽きした。以前に何度か書いたように、それで石に関心を持った彼で、常に何かに夢中になっている性質のまま死んだが、酒に溺れたのはなぜか。そう言えば富士正晴もほとんどアル中のようなもので、酒で死期を早めたのではないか。筆者はそうならない自信があるが、カイヨワや富士が囲った孤独がやって来ないはずはない。老齢期をどう過ごすかは誰にとっても無視出来ない問題だ。若者でも孤独をどう手懐けるかに悩むはずだが、若い頃は箸がこけただけでも笑うと言われるように楽しみに満ちている。ところが久坂葉子のようにいつの時代でも20代で自殺する人はあり、今は10代の自殺もあって、富士が若かった頃よりも孤独が深刻化しているのだろう。

今日の3枚の写真は「その12」の最初で示した地図の青線上で撮った。安威川の名神高速のすぐ南に架かる太田橋の歩行者専用の橋から西国街道に入り、そして茨木市を横断し、高槻市内に入って400メートルほどまでの間だ。最初の写真は橋から東100メートルほどで、両側に旧街道らしく江戸時代さながらの木造の屋敷が並ぶが、こうした家屋はごく少数だ。山手ゆえに比較的裕福な人々が住んでいるのか、下町らしき家並みはない。2枚目はさらに500メートルほど東で、太田東芝児童遊園付近だ。石の道標はもう少し西にもあって、近くに太田茶臼山古墳があることを示す。地図では前方後円型の古墳の存在が目立つ。それは継体天皇の陵墓で、そのすぐ東に茶臼山古墳があり、西には太田神社がある。数年前にレンタ・サイクルで家内と一緒に高槻市内の
今城塚古墳を訪れたからには、今回少し足を延ばして古墳や神社を訪れてもよかった。再訪すればいいが、その目的が茶臼山古墳と太田神社というのは物足りない。また同古墳は今城塚古墳にはある復元埴輪などの展示物は乏しい気がする。太田東芝町の交差点辺りから西国街道は上り坂で、それが400メートルほど続くが、左手の住宅の合間に樹木が茂る丘としての陵墓が覗く。街道の南は下りの斜面で深い崖の段差が太田東芝町の交差点から2枚目の写真辺りまで続くが、街道に隣接して巨大な真新しい建物が2枚目の写真近くまでの150メートルほど続く。窓がなく、縦縞の格子で全体を覆う直方体の異様な威容の黒い箱は5、6階建てに相当するだろう。街道からはそれを坂の上から見下ろし、見上げる格好で、1枚の写真に収まらず、撮影しなかった。家内がたまたま道路際の家の外にいた女性住民にこれら3棟の建物が何であるかを訊ねると、知らないと言われた。帰宅してストリート・ヴューで確認すると2,3年前までサッカー場ほどの広大な空き地で、見晴らしはとてもよかった。そこに片仮名表記の内装会社が建った。内装でこのような巨大容量の建物が必要とは思えず、相変らず謎めいている。安威川沿いに倉庫や会社の大きなビルがあるので、こういう一種得体の知れない建物が出来るのは不思議ではないが、西国街道の情緒を削ぐ代表的な建物として筆者は記憶した。この建物を過ぎると街道の南北に藍野大学や高校、付属病院などがある。それを後にするとすぐに住宅表示が高槻となり、家内は安心した口調で話すようになった。高槻市内に入ってすぐ、狭い街道の南により広い道路があり、その二本の道に挟まれた楔状の土地に大きな和菓子店があった。道路を挟んでその南にマルヤスというスーパーを見かけたので、休憩を兼ねて入り、パンを買ってイート・インで外の駐車場を見つめながらしばし休んだ。3枚目の写真は高槻に入って400メートルほど東で見かけた面白い形に整えた樹木で、これは近所でも目印としてよく知られるだろう。

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