「
判断は 迷いの有無に 関わらず 常に正しい 日はまた昇る」、「『後悔は 公開するな』 こう書いて 広き公海 航海中」、「疲れても 突かれぬ限り 尽きはなし 月に憑かれて 浸かれるピエロ」
嵯峨へのスーパーの途上、先日まで真っ赤なアマリリスの鉢植えが3か所にあった。その家がみなごく接近していて、3軒は近所付き合いがいいのだろう。筆者は毎年アマリリスに気づけばしばし注目し、今年は来年こそは自宅で咲かせたいと思った。球根ならば放っておいても花は咲く。ところが調べると種子から育てる人がいて、3年で開花するらしい。3年は気が長いようでも、あっと言う間だ。球根か種子のどちらかを買いたいと思い始めているが、鉢で育てる場所しかなく、またその鉢を陽当たりをよくすることはほとんど不可能で、(中段)この先に400字ほど書き、またそれがかなり面白く書けたのに、字数を計算するとワードがフリーズし、画面が皆目動かず、コピーも出来なかった。強制終了して再起動するとその400字ほどが消えていた。「あんまりや!」と内心叫び、もう寝ようと思いつつ、また書き始める。先の400字は忘れた、あるいは思い出すのが面倒で、以下は違うことを書く。アマリリスは一本の茎の上部に数個の花を四方向きに咲かせ、その春を謳歌するトランペットのような、大きく堂々としている様子は、百合のような品のある女性らしい姿には程遠くて趣は乏しいが、逆に言えばそのこだわりのなさのような快活さが持ち味だ。今はアマリリスの鉢は撤去され、鉄砲百合やカサブランカなど、百合が満開だ。そう言えば今日の写真を撮った先月23日、近所で黄色のキスゲの花が20ほど群れになって咲いていた。よほど撮ろうと思いつつ、自転車を下りるのが面倒で、心に焼きつけただけに終わった。アマリリスと百合とキスゲはほぼ同じ時期に咲く。みんなユリ科と思っていたが、今調べると全部違う科だ。画題には百合が最適で、アマリリスやキスゲを描いた絵を見たことがない。さて、事情があって先日来、放蕩息子の帰還中で、息子は言うことをほとんど聴かんが、気分晴らしにふたりで買い物や用事などに自転車で遠出している。先月23日は一緒に向日市まで行き、その帰りにたぶん2年ぶりに走った道沿いのとある店の前で今日の写真の百合を見かけた。あまりに見事であったのに、写真にすると全然感動が伝わらず、「あんまりや」と内心叫んだ。カメラの性能のせいと、見事な晴天で光が過剰で百合らしいしとやかさが写りにくくなった。これがアマリリスならそうではなかったと思う。それで今日の投稿は最初に題名を考え、またそれにふさわしくどうでもいい内容の典型になる予想があったのが、途中で腰を折られてそのとおりになった。せめてアマリリスの写真を撮っておけばよかったのに、もうどこにも咲いていない。咲いていても萎れている。

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