「
鱒や鮎 何でも来いと 鯉も飲む 鵜から迂回は 避け難き運」、「鮭か鱒 柿の葉寿司の 赤き身は 鯛と鯖あり 鮭と言う妻」、「潜る鵜を 素知らぬ顔で 鷺佇み 川面見つめて 好機逃さず」、「縄張りを 無視する夏の 烏合の鵜」

今日は今日撮ったばかりの写真を使う。先日の20日は終日大雨で、「風風の湯」は筆者以外に2,3人のガラ空きであった。桂川はかなり増水しているはずと思いつつ、川べりには行かずにネットで渡月橋南詰めのやや上流に設置されている
淀川河川事務所のライブカメラの映像を見ると、思ったほどの水嵩ではなかった。また以前と違ってリアルタイムでの常時映像表示ではなく、15分置き程度だろうか、静止画像に変わっていた。たぶん豪雨が降り続いて氾濫の危険が迫っている時だけ常時表示にするのだろう。防災目的の定点カメラであるので、流れが穏やかな時は数十分置きの静止画像で充分だが、それでは筆者と家内が渡月橋を往復して嵯峨に買い物に行く様子が画面に映る確率はぐんと減り、面白くない。ついでに書いておくと、このライブカメラの画面右下に石のベンチがあり、筆者がその付近に立ってカメラを見上げた様子を自宅にいる家内にパソコン画面をキャプチャーしてもらい、その画像を何年か前にブログに載せたことがあるが、ライブカメラが常時撮影でない限り、またスマホを持たねばそういう遊びがしにくくなった。さて、今日の写真は渡月橋北詰め近くの下流側の欄干から見下ろしたもので、その筆者の姿はライブカメラではわずかな点にしか映らない。渡月橋下流10メートルほどに新たな堰が設けられて数年経つが、20日の大雨から5日経った今日はさすがに水流に泥は混じらず、嵩も減ったものの、今日の写真のように堰では激流が渦巻いていた。そして2枚目の写真にあるように、2,3羽の鵜がその激しい流れに潜って魚を飲み込んでいて、2、3分その様子を観察した。鵜は2,30秒潜り続けて2秒ほど水面に出るということを繰り返し、その様子は嬉しさ混じりの狂気さながらで、魚にとってはたまったものではないが、魚は飲み込まれた瞬間真っ暗になってたぶん気絶し、何が起こったのかわからないまま死ぬだろう。それは人に釣られるよりはまだいいかもしれない。それはさておき、先週の17日、下流の松尾橋では上流側の欄干からロープが上流50メートルほどの川面に向かって1本張られ、結び目に「鵜の飛翔を避けるための縄です」といった小さな貼紙があった。それで鵜はその縄を無視してもっと魚の多い上流の渡月橋のすぐ近くで食べ放題だ。そう言えば中ノ島公園に2年前に出来た鵜屋はコロナのために一度も開館せぬまま蔦がはびこる始末だが、嵐山の鵜飼の鵜はどこで飼われているのだろう。今日の写真の鵜は野生で、縄張りを犯して平気だが、人間も同じで、領海侵犯が審判されずに了解だ。「縄張りて 遠ざけた鵜の 漁り場は ずっと上手の 大堰の川面」

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